◆◇ ライバル登場? ◇◆

「ようこそお越しくださいました、イルゼ姫」

 謁見の間に、ソウ陛下の声が響きます。
 それを受け、玉座の正面で頭を恭しく垂れ、礼をするのは、誰あろうフリードリッヒ国
第三王女、イルゼ姫その人でした。
「お久し振りです、ソウ陛下。私のわがままをお聞き下さいまして有難うございます。お
言葉に甘えて来てしまいましたわ」
 コロコロと鈴の音を転がすような、快い女性の声で返答が返って来ると、周りに居並ぶ
臣下の者達も、興味津々と言った視線を投げ掛けます。
「わがままなんてとんでもありません。さあもうどうぞ、お顔を上げて下さい」
 そう陛下が促すと、イルゼ様は優雅にその形良い頭を上げて陛下を見ます。
 そして、陛下に目線が合うと、ぱっと花が開いたように微笑むのでした。
 再び居並ぶ者達の視線が姫に集中します。
 正に今、謁見の間の主人公はイルゼ様と言って良いでしょう。

(むむむむ…)
 それを陛下の横で見ているエルヴィーラ様は、顔には極上のつつましい笑みを浮かべて
いましたが、内面から、黒いオーラが滲み出て行くような気がしました。
 というのもこのイルゼ様、外見は華奢で小さく、いかにも世の男性が好ましく思う体型
をしているのです。
 そんな事はないと打ち消しても、ここに居並ぶ臣下の反応が一般男性の正直な気持ちだ
と思うと、隣の夫の心中を疑ってしまうものなのです。
 何故なら、『美』には絶対の自信があるエルヴィーラ様でしたが、イルゼ様に比べ、全
てがダイナミック仕様の彼女は、陛下が成長される最近まで、お世辞にも並んだ時の収ま
りが良いと言えない事実があったからです。
 だからもし四年前であったならば、陛下の横にいて相応しいのはと考えると、嫌でも彼
女に票を入れねばなりません。
 そういった事を誤魔化す事が出来ないのがエルヴィーラ様の彼女らしい部分なので、そ
う考え出してしまえば、対イルゼ様仕様の猫被りですら、嫉妬心を抑えるのが難しい状況
な訳です。

「ささやかではありますが、姫のために宴を設けさせて頂きました。この国の料理、舞踏、
音楽を堪能して頂き、また、フリードリッヒのお話をお聞かせ頂ければと思います」
「有難うございます、ソウ陛下。喜んでそうさせて頂きますわ」
 エルヴィーラ様の心中に関係なく進んで行くやり取りを見ながら、彼女は既に体調が悪
くなって来ているのを感じました。
 ですが、こんな序盤で根を上げては、陛下に接待役を買って出ると豪語した面目が立ち
ません。
 ですからエルヴィーラ様はそれを表面には出さないよう、必死に気を張る事にしました。

 宴は大舞踏の間へと場所を移し、滞りなく盛況さを増して行きます。
 謁見の間にはいらっしゃってなかった、先代陛下のパス様と妃のルア様も列席なさって
いたので、まずイルゼ様はお二人にご挨拶をされました。
 それが済むと、ついに彼女がエルヴィーラ様の所へとやって来たのです。
 エルヴィーラ様はいよいよばかりに、被る猫に気合を入れました。
「お久し振りです、エルヴィーラ様。ご結婚の儀以来ですわ。お加減が悪くていらっしゃ
るとお聞きしております。このような時に参ってしまい、本当に申し訳ございません」
「いいえ、とんでもございませんわ、イルゼ様。滞在中、何かございましたら、何なりと
お申し付け下さいませね。存分にジャーデの国を堪能して行っていただければと思います
わ」
 そうエルヴィーラ様が極上の微笑で答えると、イルゼ様も先ほど見せた、花がほころぶ
ような笑顔になります。

「勿体ないお言葉、有難うございます」
 小さな顔にこぼれそうに大きなオレンジの瞳が輝き、栗色の豊かな髪が揺れます。
 それはエルヴィーラ様ですら、見惚れるほどの可憐さを持っていたため、彼女も毒気を
抜かれ、つられて微笑みを返したほどなのです。

 しかしイルゼ様は、彼女の微笑みからすぐに視線を逸らし、少女のように両手を胸の前
で合わせると、陛下を振り返って言うのです。
「本当にお優しい王妃様ですね、ソウ陛下! 陛下はお幸せですわ! そうそう私、是非
お二人の馴れ初めをお聞きしたいと思っていたんですのよ」
「…え、いや、それは…」
 そういう事が苦手な陛下は、すぐに頬に朱が入ります。
 そんな様子を見て、年下のイルゼ様は、首をかしげて楽しそうに微笑みます。

「あら、照れていらっしゃるの? 私がお聞きした所によると、エルヴィーラ様をジャー
デに招いたのは陛下だってお聞きしましてよ。ねえ、エルヴィーラ様?」
「え、ええ」
 急に振られたエルヴィーラ様も、何とか返事を返しますが、返事は特にいらなかったよ
うで、被せるように彼女は言葉を続けます。
「私、それをお聞きした時、さぞかしエルヴィーラ様はお美しい方なんだろうと思いまし
たの。だから初めてエルヴィーラ様を拝見した時、とても納得が行ったんですのよ」
 その物言いに、エルヴィーラ様の片眉がピクリと反応しました。

 それを知ってか知らずか、陛下は口ごもりながらも、イルゼ様の言葉を否定しようとな
されました。
「いえ、私は…」
 ですが、イルゼ様の無邪気な声音に陛下の言葉は遮られます。
「その後知ったのですけれど、エルヴィーラ様は成人前から、求婚が後を絶たない方だっ
たのですってね。でも、決して首を縦に振ることはなかったというのも聞いておりますわ。
それなのにソウ陛下の申し出はお受けになった。それはどうしてですの?」

 そうやって、くるくると表情を変えながら離し掛ける姫は、誰が見ても愛らしい方にし
か見えないでしょう。
 しかし、彼女には『陛下があなたを選んだのは美貌で、そして、あまたの求婚者を蹴散
らし、あなたが陛下を選んだのは、ジャーデが富国だから』と言っているようにしか聞こ
えないのです。

 それは単に、彼女がイルゼ様を、端からライバル視しているためなのは分かっています。

 その証拠に、
「やっぱり、『運命』をお感じになられたのかしら? そうだとしたら本当に素敵です
わ」
などと、イルゼ様は甘い少女の夢物語を語るように瞳を潤ませるのです。

 これはただの疑心暗鬼、エルヴィーラ様は必死で自分に言い聞かせます。
 自分のこんな醜い気持ちを、陛下に悟られたくない彼女は、再び気を張って答えます。
「…いやだわ、イルゼ様ったら、からかわないで下さいな。そんな大それたものではござ
いませんのよ。ジャーデに招かれて、陛下の人となりを十分理解する時間を与えていただ
けたものですから、それでお受けする事にしたんです」
 王妃として当たり障りのない妥当な返答を返しながら、彼女の心は四年の前に思いを馳
せていました。

 ジャーデへやって来たのは、求婚者を断り続けているうちに、婚期をだいぶ逃してしま
い、母親のジラルディーノ王妃に脅されるようにして半ば無理やりだった事――
 しかも、最初はハンサムなローランを王子だと思い込んで狂喜するも、本当の結婚相手
はおかしな仮面を被った年下の生意気王子で、その鼻をあかす事に躍起になっていた事―
―
 その彼の不可解な行動と、秘密を知る事で、どんどんソウ王子に惹かれていった事――
 そして一旦は、婚約解消を宣言されたものの、彼女の逆プロポーズで結婚を誓った事―
―

 あの時エルヴィーラ様は、イルゼ様が言ったのとは少し異なりますが、やはり夢物語の
ような未来を考えていました。

 結婚して、すぐに世継ぎを産んで、そしてまた次の世代に繋げて行く――

 実際、自分が仲を取り持ったローランやマリルの二人には、その幸せがすぐにやって来
ていました。
 二人の幸せは心から我が事のように嬉しかったエルヴィーラ様ですが、その後、自分の
元にそれはなかなかやって来てはくれません。
 こんな風に、今となってはただの過去の事実である妃候補に対抗してしまうのも、きっ
とそれが大きな原因――

「エルヴィーラ」
 陛下の声で、彼女ははっと我に返りました。
 うっすらとぼやける視界と頬を温かなものが流れているのが分かり、彼女は自分が泣い
ているのが分かりました。
 陛下が心配そうにそれを拭って、目線を後ろに控えるローランへと移します。
 それが自分への退席の合図でもあると分かったエルヴィーラ様でしたが、いつもの彼女
であるならば、頑として抵抗しこの場に残る事を主張するこの場面、今は疲労が克ちすぎ
て、夫の采配に黙って身を委ねるしかありません。

 ローランに手を引かれ、場を後にしながら振り返れば、夫がイルゼ様に何かを話してい
るのが目に入ります。

 きっと自分の事で彼女に詫びているのだと思いながらも、彼女はそれを直視する事が出
来ません。
 再び視界がゆらゆらとするのを感じながら、子供のようにローランに手を預け、彼女は
しゃくり上げているのでした。
「エルヴィーラ様…」
 それに気付いたローランは、少しの間考えるように彼女を眺めます。
 ですが彼は、再び彼女を誘い、ゆっくりと廊下へ向かって歩き出すのでした。

 続く