◆◇ 毒 ◇◆

「…どうしてこんな事になってるんですの?」

 声の響きからして、ここはどこか閉鎖された空間なのがぼんやりと分かります。
 周りは薄暗く、また物音も聞こえないため、一体自分がどこにいるのかが皆目分かりま
せん。
 そして淀んだ空気のせいか、鼻腔を刺激するようなおかしな香りが漂っていて、彼女が
目覚めたのもその不快な香りのせいでした。
「まあ、言っとくけど、百バーあんたのせいね」
 その声は、以前聞いた時よりも、幾分枯れているように思えたのは気のせいでしょうか。
「…それはどういう事でしょう?」
 そう言いながら、うまく回らぬ頭を振ってみると、わずかにフラフラとするのが分かり
ました。
 それに体の自由も効かない…というか、手足に何かで縛られている感覚があります。
 そう気が付くと、イルゼ様はやにわに恐怖感のようなものが沸き起こり、声のトーンが
上がってしまうのが分かりました。
「おとぼけになってないで答えて下さいまし! エルヴィーラ様!」
 同じく自分の横にいる、ジャーデ国王王妃も手足を縛られていて身動きが取れないよう
で、憤懣やる方ないといった表情でこちらを見ました。
「…よく思い出してみなさいよ。あんたは一体何をしようとしてたのか――」
 そう言われイルゼ様は、途切れた記憶を思い出してみる事にしました。

 確か自分は明日このジャーデを出立する事になり、陛下が催してくれると言う、宴に向
かう支度をしている時だったと思います。
 その会場へも、陛下と約束したあの日以来、自分の警護を任されたローランと共に向か
う予定になっていたのですが、その直前に陛下から急な伝言が入ったという事で、彼が戻
るまで自室で待機しているように言われ、それを待っていたのです。
 するとすぐにやって来たのは、帰国するイルゼ様からフリードリッヒ国王に渡して欲し
いという、王家の印の入った書状を持った遣いでした。
 ローランの部下達も、その印が入った書状までは検品する事は出来ず、その書状は遣い
の差し出したトレイから直々にイルゼが手に取る事になったのです。
 書状の受け渡しが終ると、部下と遣いの者は退出して行きました。
 イルゼ様は、受け取ったその書状の差出人がだれだろうと裏返して見る事にしました。
 するとそこには、今正にイルゼ様が、疑念を抱いている者の名前が記されていたのです。
「…そうだわ! 外交官のレアオの名があって…」
 長年フリードリッヒと輸出入の橋渡しをして来た彼でしたが、今回この国に彼女がやっ
て来るきっかけを作ったのは、彼がフリードリッヒ王に語ったジャーデの現状が発端にな
っていたのです。

 初めは、嫁いでから四年の歳月の過ぎた現在、未だ跡継ぎをもうけられないソウ陛下と
エルヴィーラ王妃の事でした。
 それというのもレアオは過去に、イルゼ様と陛下の婚姻話が持ち上がった事を知ってい
たため、その話が進んでいれば今のような事にならなかったと嘆きました。
 ですが子宝は天の配剤、しかもまだ四年という短い期間では、何と言う事も出来ないと
フリードリッヒ王がレアオを諌めると、彼は自分が申し上げたいのは、ただ単に跡継ぎだ
けの問題ではないと言うのです。
 そして、神妙な面持ちで彼は、自分のような臣下がこのような事を考えるのは不遜極ま
りないことではあるものの、これも長年ジャーデ王宮に仕え、そして王家の行く末を思っ
ての事と前置きし、彼は自分が耳に入れた事を、ジャーデ前国王パス様のご友人でもある
フリードリッヒ王に聞いてもらい、出来れば打開に協力して欲しいと言ったのです。
 話が大きな事になり、少々胡散臭い気はしたものの、今までフリードリッヒ王が接して
来たレアオは、非常に実直な男で、ついぞこのような事を言った事もありません。
 そしてやはり十数年の長きに渡り、フリードリッヒとジャーデの仲を保って来た者の発
言というのが決め手となり、話に耳を貸す気になったのです。

 話は陛下の婚姻話が持ち上がった頃に遡りました。
 そもそも、エルヴィーラ様をジャーデに迎える事になったいきさつは、ソウ陛下の一存
で、パス様も臣下の者も、その時点まではイルゼ様を王妃に推していたと言うのです。
 以前ジラルディーノに赴いた陛下は、美しいエルヴィーラ様を見初め、ずっと彼女を思
い続けていたようで、既に婚期を幾分も過ぎた彼女が未だ嫁いでいない事を知ると、陛下
はどうしても彼女を妃に迎えたいと言いました。
 それはいつもの陛下に似合わぬほどに強い意思表示で、それならばと言う事で、一同は
一旦納得をしたのです。
 と言うのも、まだ成人前の陛下…いえ、その時は王子のソウ様の婚姻話という事もあっ
て、まずはその姫をジャーデに迎え、二人の期が熟すれば、という期間が設けられていた
からだったと言います。
 当時、ジラルディーノのエルヴィーラ姫と言えば、近隣諸国でも知らぬものはないとい
うほどの見目麗しい姫君で、成人されてからは求婚者が後を絶たないと評判の方でした。
 臣下が問題視したもの、そのような姫君が何故未だ婚姻をされていないのかという事で
したが、それも接する機会があれば露見する事ですし、それ以前に、どのような富国から
の求婚者でも首を縦に振らなかったエルヴィーラ姫が、そもそもジャーデに来る事を承諾
しないのではないかという期待もあったと言うのです。
 そして初めの誤算は、実際ジラルディーノに使者を送った所、彼女があっさりとそれを
承諾し、すぐにジャーデにやって来る事だったと言います。
 そして彼女がやって来てすぐ、王弟殿下の失脚騒ぎが起こり、確かに高齢ではあったも
のの、突然のパス様の隠居表明、さらに成人にも満たないソウ陛下の擁立。
 あまりにも物事が急転し過ぎる事に疑問を抱いたレアオは、おこがましいとは思ったも
のの、彼の培って来た人脈を使い、内情を調べてみたと言います。
 すると、それら一連の出来事には全てエルヴィーラ様とローランが関わっているという
事が分かったのです。
 エルヴィーラ様は確かに美貌の姫ではありますが、彼女は正真正銘の王女で、まだ十代
の彼女だけではそんな謀略が立てられるはずがありません。
 では現在、陛下の信頼を一心に受ける、警備隊長のローランはどうでしょう?
 彼の素性といえば、王宮内の一部の人間しか知られていない事実ですが、一度はソウ様
の暗殺を企て、獄中に繋がれた身で、年齢こそ若いものの、その出生は暗殺を生業にした
集団に育てられた、謀略にかけてはエキスパートと言える人物だったのです。
 つまり彼は、本来なら王宮に出入りする事もはばかられるような、下賎な罪人だと言う
事になります。
 皆外見の優美さと、明晰な頭脳に騙されているため、彼の綻びは露見していませんが、
それを知ってから、レアオはローランを注意深く観察するようになりました。
 そうして見て、初めて分かった事があったと言うのです。
 それは、エルヴィーラ様とローランが密かに通じていると言う事です。
 その機会はエルヴィーラ様がジャーデにいらっしゃった頃から幾度もあり、陛下はご自
身が多忙であるとすぐ、信頼を置いている彼を側に遣わしたと言います。
 二人が並んだ姿は、まるで絵物語を見るほどにお似合いで、陛下とという夫がありなが
ら、うっとりと添うエルヴィーラ様の姿は、二人が真の夫婦のようだと言うのです。

「…最近では、エルヴィーラ様は体調が悪いと言う事を理由に、陛下との夫婦の営みも放
棄なさっておられるとか、それもきっとローランに操を立てているからに違いありません。
そうして考えてみると、年齢からして、陛下とエルヴィーラ様は五歳という歳の差があり、
青年期に差し掛かった今ですらどこか不釣合いな印象は拭えないというのに、何故四年前、
それまであまたの求婚者を反故にして来た彼女があっさり王妃を承諾したのでしょう? 
しかも王弟殿下の失脚騒ぎの後、一旦陛下は、エルヴィーラ様をジラルディーノに戻す決
心をしていらしたらしいというのに、それはローランの尽力により留められ、エルヴィー
ラ様は陛下の妃になる決心をしたと言います。彼はどうしてそこまでエルヴィーラ様を妃
に推したのでしょう? その後彼も妻帯しますが、その妻も、エルヴィーラ様がご自身の
国から連れて来た侍女の中から娶ったと言うのです」
 そう言ってレアオは一気に話を収束させたのでした。
「…ここまでエルヴィーラ様とローランの結束が固いのを知ると、逆に関係がないと考え
る方が不思議になって来ます。とにかくローランがエルヴィーラ様を篭絡し、彼女に執心
な陛下の心を操っているのは間違いないのです! その理由は、ローランの思い上がった
野望か、もしくは再び誰かに依頼を受けて陛下を失脚させようという事なのか、未だ定か
ではありませんが、ジャーデは現在非常に危うい状態で、このままではどうなるやも分か
りません! フリードリッヒ王にお出でいただくのが一番かもしれませんが、そんな大事
にすればローランとて怪しむに違いありません。ですから――」
 こうして彼の勧めにより、元妃候補であったイルゼ姫がフリードリッヒ王に代わり、ジ
ャーデにやって来る事になったのです。
 レアオは、ソウ陛下の婚姻に未だ煩悶している姫の心情を良く理解していたのかもしれ
ません。
 何故ならジャーデに向かうまでの間、イルゼ姫に向かい、『ソウ陛下には、あなたのよ
うに一途で慎ましい妃がお似合いなのではと、私はずっと考えていたのです』と、何度も
囁いたのですから。

 そしてすっかりその言葉の呪縛に落ちたイルゼ姫は、ジャーデにやって来ると、陛下と
エルヴィーラ様、そしてローランと接触します。
 彼女は与えられた疑心暗鬼を、素直に皆に振りまいて行く事になりました。
 それが何を意味するのか、ぼんやりと分かる事になったのは、エルヴィーラ様との直接
対決をした時です。

 怖い者知らずだったイルゼ様は、自分が毒を運んでいた事も知らず、エルヴィーラ様に
こう言い放ったのです。
「お見舞いと言うのは口実に過ぎません。わたくしは、エルヴィーラ様の本心をお聞きし
たくここにやって来たのです」
 目の前の美貌の王妃の顔は、見る間に顔色が変わりました。
 それを見ても、彼女はまだ自分の危機に気付いていなっかったので、その鼻息も荒く言
葉を続けます。
「あなたは本当に、ソウ陛下を愛してらっしゃるのですか?」
 それはイルゼ様が絶対に口にしてはいけない事だったため、今までエルヴィーラ様を弱
らせていた毒の効果が現れるどころか、却って毒で毒を制す効果を現してしまったのです。
「…言いたい事はそれだけ?」
 ただでさえ怒りを抑えて対応していたエルヴィーラ様は、全てを爆発させ、イルゼ様を
完膚なきまでに叩きのめしました。
 そして、この国に彼女がやって来る事になったいきさつも全て話させたのです。

続く