◆◇ 再会 ◇◆

 奇妙な声を上げながら、男達はエルヴィーラ様の側に追い付きました。
「ははははぁ――のぉ、んなんでぇっ、逃げてるつもり――」
 そして再び彼女に手を掛けようとしたその瞬間、突如後方の男から叫び声が上がったの
です。
「っなっ、んだ! てっぎゃああああああああああ――っ!」
 その声に驚き、エルヴィーラ様も無意識に顔をそちらに向けると、今正に自分に手を掛
けようとしていた男が、何者かに襲われる瞬間が目に飛び込んで来たのです。
「うわあっ! な、誰――」
 言葉を最後まで言う事も出来ず、男は頭部を殴打され、さらによろける腹部に一撃を加
えられると、断末魔のような声を上げて昏倒するのでした。
 それを確認したエルヴィーラ様はようやく足を止めましたが、その襲来者がすぐに自分
に向かって来るのが分かっても、彼女は逃げる事をしませんでした。
 何故ならこんな暗くても、彼女にはその人物が誰なのかが分かっていたからです。
 ですから、先に声を掛けたのはエルヴィーラ様の方でした。
「…ソウ!」

 名前を呼ばれて一瞬躊躇した雰囲気を見せたものの、彼女の正面に立った人物は、紛れ
もなく夫のソウ陛下でした。
 彼は立ち尽くす妻の安否を気遣うように、頭から爪先までを確認した後、安堵の表情を
浮かべましたが、すぐに何かを堪えるような表情に変化しました。
 それに気付いたエルヴィーラ様が声を掛けようとすると、その口から震えるような声が
漏れるのです。
「この…」
 そう言ううちに、彼の表情はみるみる険しくなって行き、今まで見た事もないような怒
りの表情を露わにして叫ぶのでした。

「このバカ――っ!」

 辺りに轟くような大声、そしてこのように怒った陛下を見た事がなかったエルヴィーラ
様は、驚き、その場に固まって動く事が出来なくなってしまいました。
 陛下の体は小刻みに震え、表情が怒りから痛みに変わって行くのが分かります。
 固まったままの妻に手を伸ばすと、その体を強く強く抱きしめ、そして再び口を開きま
す。
「何でこんな…、こんな事するんだよ…! おとりなんて! 君に、君に何か――、何か
あったら、僕は…、僕はどうすればいいんだ――」
 搾り出すようなその声は、本当に彼女の身を案じていた事を表していました。
 エルヴィーラ様が思っていたように、彼もまた、あのまま二度と会えなくなるというよ
うな不安に苛まれていたに違いありません。
 エルヴィーラ様は嬉しくて、そして今頃になって自分の無謀が恐ろしく、体が震え出し、
瞳からは涙が溢れて来ました。
「…ソウ、ソウ、ゴメンね――、ごめん、本当にごめんね――」
 そう言ってまたエルヴィーラ様も、彼の体を抱きしめます。
「…僕、僕もごめん。…ごめん、エルヴィーラ」
 二人で抱擁し合い、お互いの唇に喜びを注ぎ込むように、長い長い口付けを交わすと、
ようやく落ち着くのが分かりました。
 そうして照れるように見詰め合うと、再び強くお互いの体を抱きしめ、そこに確かに存
在するのを確かめます。

「良かった…。本当に…、君が無事で良かった…」
 そう囁かれ、エルヴィーラ様は体の力がどんどん抜けて行くのを感じました。
「うん…、心配掛けて…、ごめんね――」
 そう言葉を返すと、陛下はエルヴィーラ様の顔を覗き込み、真っ直ぐに目を見て言うの
です。
「エルヴィーラ、僕は君がいれば子供なんかいらない!」
 急に何を言い出すかと、驚きエルヴィーラ様が陛下の顔を見詰めれば、その表情はいつ
もと違い、何故かとても子供っぽく見えるのです。
「ソウ?」
「エルヴィーラ、君は僕の素性を分かっているじゃないか! …僕は、父上や母上の本当
の子供じゃない。王族とは縁もゆかりもない人間だよ。…でも、僕は両親を本当の父と母
以上に思ってる。…父が一所懸命守って来たこの国や民もとても大切だと思ってる!」
 夫が何を言いたいのかが分からず、困惑する妻を無視すると、彼は構わず言い募ります。
「でもそれは、両親がそう僕を育ててくれたからで…、だからもし、ここにいるのが僕で
なくともそれは変わらない…と思う…」
「! …それは!」
 もちろんひいき目もありますが、そうでなくとも夫を良い国王だと考えている彼女は、
それに異を唱えない訳には行きません。
 ですが、それを遮って彼は言い切るのでした。
「聞いて! だから、もしこれからずっと僕達二人の間に子供が出来なかったら――、僕
のように身寄りのない子供を引き取れば良い! 僕はその子をきっと両親のように育て
る! 僕が受けた愛情をその子に注いで育てるから! だからその事でそんなに悩まない
で良いんだ…! 僕にとって…君に替えられるものなんか、何にもないんだから――」
 そう言った夫の体は、まだ少し震えているのが分かります。
 四年の歳月で彼は大きく成長し、既に妻の体をすっぽり収めるようになったというのに、
その上先ほどは圧倒的な強さで悪漢を打ち倒した事実があってもなお、彼は自分の弱さを
良く分かっているのです。
「…だから…、もうこんな危ない事しないでよ…」
 そんな夫の懇願を聞いては、折れない妻はいないでしょう。
「…わかった…。も、しない…。もう、しんぱい…かけな…い…」
 自分の張っていた意地や、軽率な行動で夫がどんなに苦しんでいたかを理解すると、エ
ルヴィーラ様の瞳は次から次へと涙が溢れ出します。
 そんな妻を見ると、彼は愛おしそうにその頬に口付け、伝う涙を優しく受け止めるので
した。


 こうして、二人の間にはもう時間の流れはなく、いつまでもこの幸せに浸っていたいよ
うな気持ちでうっとりと寄り添っていました。
 ところがいきなり背後に凄まじい殺気を感じた陛下は、新手の無頼が現れたと反応し、
即座に後ろを振り向きました。
 ところがそこに立っていたのは、あの鉄面皮を顔に貼り付けたままのローランだったの
です。

 先ほどイルゼ様に、すぐにローランが来ると言ったのは自分なのですが、それをすっか
り忘れていた陛下は、エルヴィーラ様とのこんな状態という事も手伝って、目に見えるほ
どに狼狽します。
「ロッ、ローラン!」
 そしてよく見てみれば、自分が倒した男達は、既にローランの部下数人で体を拘束し、
後方に控える馬を連れた者達の元に連れて行こうとしているのでした。

 彼らが目に入った瞬間、陛下はローランの部下からイルゼ様とエルヴィーラ様、二方の
行方不明の報告を受けた時の事が蘇るのを感じました。
 ローランは既に捜索に当たっていたらしく、部下がそれを知らせに来たため、彼には捜
索開始からかなりの時間が経過した後だと思われました。
 部下が伝える、『陛下はくれぐれもご自身の安全を第一に考え、待機して下さるように
と――』という言葉の最中に、周りの制止を振り切って、二人を捜しに飛び出て来てしま
ったのです。
 普段のローランならば、このような事を許すはずがありません。
 ですが、彼の目の前にいるのは、未だ臣下然とした態度を崩さないローランで、陛下は
妻との再会で満たされた心が、再び苦しくなるような気持ちになるのです。
 ところがそんな陛下の動揺を見て取ったのか、平静を保っていたローランの表情が、あ
っという間に変化して行ったと思うと、無造作に陛下の頭を思いきり叩き、先ほどの陛下
に負けないような大声で叫んだのでした。

「ローランじゃねーっ! このバカヤロ――!」

 遠巻きに見ていた部下達の動きが固まります。
 いくら近しい間柄とは言え、国の最高権力者の頭を一介の警備隊長が殴ったのですから。
 普通に考えれば、彼の処遇は風前のともし火のよりも危ういものですが、その当の本人
は、今だ怒りが収まらないと言ったように、更に言葉を浴びせ掛けるのです。
「この国の王である、お前が先頭に立って、敵と相対してどうなるってんだ! このバカ
ヤロー! 何のために俺達がいると思ってる! お前の命を守るためだろーが! お前は
そんなに俺を…俺達を信用出来ないのかよっ!」
 頭ごなしに臣下に怒鳴られている陛下は、初めこそ驚きでポカンとした表情でしたが、
彼の怒りが激しいのが分かると、何故かその顔に照れたような嬉しそうな表情を浮かべ、
そしてこう言うのです。
「…してる。してるけど、ごめん。どうしてもエルヴィーラは僕が助けたかったんだ…」
 そう言うと彼は心から嬉しそうに微笑んだのでした。
「ごめん、でも、ありがとう。ローラン」
 そんな屈託ない顔で微笑まれては、さすがのローランも勝ち目はないと思ったのか、怒
鳴るのを止め、ふて腐れたようにこう言うのが精一杯のようです。
「…悪いと思ってんなら、二度ねーぞ! バカ!」
「…うん」

 二人の間に全く不穏な空気が流れないのを不思議に思う部下達が、遠巻きに何かを囁き
合っているのが分かります。
 陛下とローランはここで目を交わし、普段の二人に戻る事にしました。
 今の事は聞かれた時に何とか誤魔化せば良いと、暗黙の了解が出来上がっているのです。
「では陛下、あちらに馬を連れて来ておりますので、それで城へお戻り下さい」
「分かった。じゃあ、エルヴィー…」
 そうしてようやく陛下は、自分に体を預け、ぐったりと意識を失っているエルヴィーラ
様に気が付きました。
 その息は荒く、額には汗が浮かび体は火の様に熱いのです。
「エルヴィーラ、エルヴィーラ!」
 そう呼びかける陛下の声にも、反応を返す事はありません。
 陛下は自分がおかしくなるような感覚に囚われそうになり、彼女共々その場に崩れ落ち
そうになりました。
 すんでの所でローランが、強く彼の肩を掴むのが分かり、陛下は何とか意識を保つ事が
出来ました。
 未だ肩を支える彼に目をやると、部下に指示を出している最中でした。
 速やかに警備隊は連携を取り、王妃を搬送出来る用意を始めました。
 ですが陛下は、自分の手に妻を大事そうに抱えると、そのまま馬に乗せるよう指示した
のです。
 それに対し、ローランは何も言う事はありませんでした。

 馬はゆっくりと帰途を辿ります。
 城に着くしばらくの間、彼は腕に抱える妻を眺める事しか出来ません。
 衣服は汚れ、手にも顔にも土が付き、指にはいくつもの傷跡が痛々しく残ります。

 それでも彼は、彼女がとても美しく、そして何よりも愛しく感じるのでした。

続く