◆◇ 一人と二人 ◇◆

 既に深夜に達している時刻、ようやく夫婦の自室に戻ったエルヴィーラ様は、寝室のベ
ッドで、夫ではなくお抱えの医師に見守られていました。

 その間、陛下は隣の居間で、ローラン、そしてその妻のマリルと一緒に、じっと医師の
声が掛かるのを待っていました。
「そんな顔すんなよ」
 陛下の憔悴した顔を見ると、たまらずローランはそう声を掛けました。
「…うん。でもさ…、彼女今日はすごい無理したみたいだし…、ただでさえずっと体調悪
かったのを考えちゃうと…」
「まーな。でも、お前と離れてる時もそんなに具合悪い感じじゃなかったんだぜ」
 ローランの言葉を聞き、離れている間、少なからず妻の体を心配していた陛下は驚いて
声を上げます。
「ええ? そうなの? でも、具合悪いからって、イルゼ姫の面会も断ってたじゃない?
 …て、それ以前に、僕の所から出てった時だって、それを理由に戻って来なかったし
…」
「ああ、あれはなー」
 そう言ってローランは自分の妻に目をやります。
 すると何故かマリルは居心地悪そうに、もじもじと身を捩りました。
 それが合図だったかのように、ローランはあっさりと言うのでした。
「お前の所からエルヴィーラ様がうちにやって来て、泣くわわめくわってのは言ったな。
それでマリルに抱きついたって。あれは『やけ酒を煽って』ってのを抜かして言ってんだ
よ。あんまり落ち着かないから、マリルが少し飲ましちゃったんだ。そうしたら、止まら
なくなって、マリルにまで飲ませてさー。もう俺はどうすりゃ良いって感じだよ。子供達
も泣き出すしさー」
「えーーーーっ?」
 エルヴィーラ様を気遣って、今まで声のトーンを落としていたというのに、初めて聞く
事実に、陛下は驚き、大声を上げてしまいました。
 すると、マリルは顔を真っ赤にして謝ります。
「す、すみません陛下。私、そうした方が良いって教えてもらった事があったもので! 
結局飲み過ぎたのか、二人とも次の日、二日酔いで動けなくなってしまったんです」
 既に二児の母でありながら、天然ドジっ子属性は健在な所を遺憾なく発揮する妻を、楽
しそうに見ながらローランが不穏な事を口走ります。
「んで、エルヴィーラ様は気まずいし、戻り辛くなったって言うし、ならいっそ別居して
くれれば、俺も色々助かるかなーって」
「何それ? それはどーゆー事なの? じゃあ僕との別居を勧めたのって、ローランな
の?」
 いくら信頼する彼の企てでも、そこにエルヴィーラ様が絡めば、陛下は俄然反抗的にな
るのですが、そんな事は気にも留めず、しゃあしゃあとローランは恐ろしい事を言って退
けるのです。
「だーって、イルゼ様がエルヴィーラ様を攻撃してんのは確かだしー、お前にも粉掛けて
るみたいだしー。じゃあ目的は何だって事になるじゃん? だから彼女がアタックしやす
いようにお前をフリーにしてやったんだよ」
「なっ…! 言ってよ! そーゆー事は! ちゃんと話してくれれば僕だって――!」
 さすがにあの頃、色々と思い悩んでいた陛下は、その行動を非難せずにはおられません。
 ところがローランは――
「ですから私がそれを申し上げようとしましたらー、陛下が分をわきまえろって仰ったん
でございますよーだ!」
 そう言ってそっぽを向いて脹れるのでした。
「うっ! そっ、それはっ…! だって――」
「だってもさってもありませんよーだ!」
 まるで子供のような拗ね方で応戦するローランに、自分が悪いのが分かっている陛下は
言葉に詰まってしまいます。
「だから、ゴメンって言ってるのに――」
 あまりにやられっ放しの陛下を気の毒に思ったか、マリルが助け舟を出して言います。
「あなた! いい加減になさい! すみません、陛下。ローランは陛下にああ言われたの
が、本当に悲しかったみたいで、それでずっとこんな風に拗ねてるんです。さっきのヤケ
酒だって、陛下の部屋から戻ってからは、ローランが一番飲んでたんです! なのにあた
し達二人だけが酔っ払ったみたいに言って――!」
「うっ! マリル! お前余計な事――」
 マリルの援護射撃で弱体化したローランを見ながら、陛下は何かが心に引っかかってい
るのを感じました。
 それは父が言った言葉で、やはり彼も『ローランは拗ねているだけだ』と言った事でし
た。
 でもやはりその間でも彼は自分のために動いてくれていたのです。
 あんな事を言った自分に対して、ただ『拗ねる』だけで、見限りもせず、無償の行為を
続けていた事を知り、陛下は目じりが熱くなるのを感じました。
 そんな様子を感じ取って、ローランはその話を切り上げようと口を開きます。
「あー、もうそれは良いって! で、イルゼ様の面会を断ってたのはな、あの後、まだエ
ルヴィーラ様はちょっとヒステリックではあったんだよな。で、何か物食うと落ち着くら
しくって、もうすんごい食ってたんだよ!」
「はぁ〜?」
 熱くなった目頭も、あっという間に冷却されるような事実に、陛下は呆れて声が出てし
まいました。
「酒は懲りたんだろうな。だから食いもんにしたのかもしんないんだけど、でも吐くまで
食うのはどうかと思うぜ? で、いくらあの美貌のエルヴィーラ様も、そんな事したらど
うなるよ?」
「ええ? まさかそれが面会を断った理由?」
「いや、俺としては非常にエルヴィーラ様らしいと思うけど。ライバルにそんな姿見せら
んないだろう?」
「ライバルじゃないよ! 僕とイルゼ姫は何にもないんだから!」
「いやいや、あのお姫様も割とお前に気があったみたいだし! じゃなくても、エルヴ
ィーラ様にとって、お前に群がるヤツはみんなライバルだし。って言うか、俺もなんかラ
イバル視されてんですけどね、毎回…。俺にヤキモチ焼かれても、困るんだけどなー」
「あ、ああ。ローランは何か僕もよくそんな風に言われるー…」
 そうして二人は顔を見合わせて大きくため息を吐きました。
「でも、頑張って元に戻ってただろ?」
「うん、でもまあ太っても僕は別に――」
 そんな風にすっかり神妙さからかけ離れた話をしていると、今日あった出来事も忘れて
しまうような気がして来ます。
 ですが、ローランは思い付いたようにマリルに声を掛けるのです。

「マリル、お前はもう遅いから部屋に戻れよ。坊主達が目ぇ覚めて、俺達二人がいなかっ
たらやっぱり可哀想だ」
「…え? でも…」
 ここに来る前に、彼ら二人の子供達は、寝かし付けられ、ドアの外を守る部下に頼んで
来ているのでした。
 それでもローランがそう言うという事は、自分に聞かせたくない話をするのだと気付い
たようで、マリルは『エルヴィーラ様が目を覚ましたら教えて』とだけ言うと、自分の部
屋へと下がるのでした。

「…亭主関白?」
「それは男のロマンだな」
 そう言って笑い合うと、すぐに気を引き締めて、二人は話を始めます。
「…主犯は王弟殿下の第一王子、チグレだというのが有力だけど、兄弟姉妹全てが加担し
てると思って間違いないだろうな。国外に追放された事は彼らにとって屈辱で、何として
も王族に復帰、そして王位継承権を奪還したいって訳だ」
「…まあ、そうだろうね。でも正直、彼らのやり方で、この国を率いて行かれたらたまら
ない。どうせやるなら、自分の行動で民衆を味方につけてクーデターでも起こしてくれた
方がまだマシだよ!」
「付けるかもよ? 金をばら撒いてな」
「その出資者は頭が悪いよ」
「ソウにしては辛辣だな」
「当たり前だよ! 今回僕がどのくらい怒ってるか、もしエルヴィーラとイルゼ姫に何が
起こってたら、誰が止めても僕は何をしてたか分かんないよ!」
「だからそれはすんなって! 約束だろ?」
「う…、でも、何かしら制裁はする! もう二度とこんな事を考えられないように! …
じゃないと、僕は良いけど…」
「…結局エルヴィーラ様だけ大事なんじゃねーか」
「みんなだよ! とりわけエルヴィーラなだけで! ローランだって、マリルやセウとか
エルダに何かあったら――」
 そう言うと、今までのほほんとしていた彼の目に、黒い炎のような殺気が宿りました。
「…俺は容赦しねーよ! 地の果てまで追って行って、ぜってー息の根を止める!」
「…ず、ずるい! 自分ばっか!」
「俺は一般人だからなー、一応。陛下様じゃねーし。だからお前が誰かを消したくなった
ら、俺がやってやるって言ってんの」
 そう冗談のように恐ろしい事を言いますが、彼には過去の経歴があるため、言葉以上に
本気なのかもしれません。
 ではそう言ってくれる彼を立て、陛下はひとまず話を元に戻す事にしたようです。
「じゃあそれで…良いや。…レアオは?」
「良いのかよ…? 本当に怒ってんな。…まあ、あいつは元々王弟殿下と繋がってたらし
い。実直そうに見えて、なかなかコスイおっさんらしいな。長年フリードリッヒの輸出入
はあいつが管理してるから、こっちに来てる書類と金額も本当にあってるのか疑わしいと
こだな」
「レオアの部下とかはどうなんだろう? 輸出入を担当してる面子が全部、叔父上に繋が
ってるとしたら、そこを切るのは厄介だ」
「問題があるのはレオアとか役職の奴らだけらしいぞ。もう少し調べを進めてみないと断
定は出来ないけど、下で働いてる奴らは信用されてないのか、帳簿なんかも触らせてもら
えないらしいから、白っぽい」
「…なら良いや。役職は人数が少ないし、その人数分の配給が下の者に行くなら、皆も少
しは頑張ってくれるかも知れないし。まあ人員は育てて行くしかないね」
「簡単に言うなよ。大変なんだぜ、人を育てるって!」
「ハイハイ、パパは言う事が違うなあ〜」
「…お前、図太くなって来たなあ…。にーちゃんはちょっと悲しいよ。昔はあんなに純で
可愛かったのに…」
「やめて。そういう事言うと、エルヴィーラが喜ぶから。ホントやめて」
「じゃあ言う。それはそれとして、イルゼ様は都合良く使われちゃったって事だな。女泣
かせだな、このヤロー! お前のせいで命まで狙われて、どう責任取るんだよ、ええ? 
陛下!」
「そ、そりゃ、申し訳ないとは思うよ。うちのゴタゴタのせいで巻き込んで危ない目に…。
って、あ! イルゼ姫は大丈夫なの?」
「今まで忘れてたな、しょうがねえけど。まあ、擦り傷とかはあるらしいけど、命には別
状はないってさ。疲れて寝込んだみたいだから、滞在期間は延ばした方が良いな」
「そっか、フリードリッヒ王に書状を書いて送るよ。…で、僕は、イルゼ姫の事…、な、
泣かせてない…と、思う…よ」
 歯切れの悪い物言いで、イルゼ様との間に何かがあると踏んだローランが、感心したよ
うに声を上げます。
「うっわ、マジ? お前勇気あるな〜! そんなのエルヴィーラ様に知られたら命ない
よ? どっちも」
 あながち嘘じゃないので、陛下は本気で震えて否定します。
「ち、違うって! 本当に違う! イルゼ様は、ホラ、恋に恋する少女みたいなもので、
婚約者になるかもって思った僕に、理想過多だったって言うか、とにかく僕はエルヴィー
ラ一筋なんだから! 変な事で僕達の間を壊さないでよ!」
「え〜〜〜? そんなので壊れるのか〜?」

 二人で話していると、暗い話題があっという間に明るい話題に変わるのが分かります。
 それは彼らが逃げている訳でなく、闇に絡め取られてしまわないように、いつでも前を
向いて歩くため、お互いの頭を上げる手伝いをしようという事なのかもしれません。
 二人は今までこうやって支え合って来たのです。
 そしてようやくまた元に戻れたのでした。

「陛下」
 二人の話が一段落するのを待っていたのか、医師が声を掛けました。
 その声に、陛下は喜びと不安の混じった表情になってしまいます。
 彼は無意識に横に座るローランに目をやりましたが、そのローランは、先の時とは異な
って、陛下の肩を景気を付けるように叩くと、部屋を出て行ってしまいました。
 それはきっとマリルを呼んで来るという事なのでしょうが、それと同時にエルヴィーラ
様と二人きりにさせてくれるという事なのが分かりました。
 陛下は何故か妙に緊張し、寝室に足を踏み入れるのでした。

続く