◆◇ 異国からの訪問者 ◇◆

 寝室では、すっかりと体を清められ、表情も穏やかになったエルヴィーラ様が出迎えて
くれました。
 あんな事があった後だというのに、彼女ははにかんだような笑顔を夫に投げ掛けるので
す。
 陛下はそれだけで胸が熱くなり、すぐに彼女の側に行き、その手を強く握り締め言いま
す。
「…か、体、大丈夫? エルヴィーラ」
「…心配掛けてごめんね。…本当に…、でもね…」
 そう言うと、彼女は何故か泣き出してしまうのでした。
 そんな妻に、陛下は何と言って良いのか分かりません。
 陛下は医師に目をやり、妻の容態の深刻さを問おうとしました。
 ですが、医師は非常に厳しい表情を陛下に向けると、目を伏せ部屋を出て行ってしまう
のです。
 その事実に、彼は目の前が真っ暗になるのを感じました。

 握っていた妻の手がすり抜け、彼の顔を包むように抱きしめても、彼はまだ妻に掛ける
言葉を捜していました。
 そしてようやく、妻の手に自分の手を重ね、全てを受け止める覚悟を決めて言うのです。
「大丈夫、エルヴィーラ。何があっても、僕はずっと君と二人ならそれで幸せだし、乗り
越えて行くように、頑張るから。聞かせ――」
 最後まで言い終わるのを待たず、唇に温かい妻の唇が重なって来ました。
 ゆっくりと顔を離すと、嬉しそうに微笑みながらも、妻はその頬に一筋の涙を流します。
 それがなんとも愛しくて、彼は妻に見とれ、自分の瞳が潤むのが分かりました。
 そんな表情を隠すため顔を伏せようとすると、彼女はそれを許さず口を開け、声を出さ
ずに言葉を形作るのです。

 何度か繰り返してもらうのでしたが、単語で区切っているせいか、すぐに妻の言葉は理
解出来ません。
 それでなくともショックを受けて、自分の頭の回転が鈍くなっている気がする陛下は、
音のない声を確認するように、反すうして呟きます。

「あ、か、ち、ゃ、ん」

 はて?
 これは何かの謎掛けでしょうか?
 そんな病名があったかと一瞬考えましたが、いくら鈍い陛下でも、ようやくその言葉の
意味を掴む事に成功したのです。

「赤ちゃん?」

 目の前の妻は、少し照れたように、頬を染めて微笑みます。
 その顔をよく見ると、確かにローランが言っていたように、頬がふっくらしているよう
に見えて来ました。

 具合がずっと悪かったのも、情緒不安も、そしてヤケ食いも、もしや全て妊娠の兆候だ
ったのかもしれません。
 ところが医師に見てもらうのを避けたエルヴィーラ様は、その診断を聞く機会を逃して
しまっていたのです。

「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」

 陛下の大きな声が響く隣の部屋では、エルヴィーラ様の演出に一役買わされた医師が、
一人頬を緩め微笑むのでした。
「…陛下を騙すような事をするなど、全く畏れ多い事を王妃は仰る」




「もう大分目立って来たようじゃのう?」
「左様ですね。ですが、うちのマリルの時は、あの月数であんなに大きくはありませんで
したが…」
「ふむ」
 そう言いながら、パス様とローランは、バルコニーでお茶と称した日向ぼっこに勤しむ、
ルア様、エルヴィーラ様、そしてマリルとその子供達を眺めていました。
 ルア様の膝にはエルダが抱かれ、気持ち良さそうに昼寝を決め込んでいるのです。

「す、すみません。娘がルア様にとんだご無礼を…。それに妻までもお邪魔していまいま
して…」
 そう畏まってローランが言うと、パス様は全く気にしないように仰るのです。
「まあ、ルアも良い思いをさせてもらっておるんじゃから、こちらが礼をいう所じゃな」
「そんな! とんでもありません!」
 どうやら既に長年の付き合いではあるものの、やはりローランは過去に陛下の命を狙っ
た事で、パス様に申し訳なく思っているせいか、中々砕ける事は出来ないようです。
 そんなローランを面白そうに見やると、不意にパス様はこんな事を仰いました。
「ほれ、エルヴィーラは以前、お前と競うて双子を産むとか言っておったそうじゃろ? 
だから本当に双子を産んでしまうかも知れんな。あの義娘ならやるかもしれん! そうし
たら、名前はパスとルアじゃから、こりゃあ混乱するじゃろうなあ」
 そう言って心から楽しそうに微笑むパス様を見ると、ようやくローランも笑顔になるの
でした。
「…そうですね」
「しかし、お前は確かにあの時の約束を守ったのう。ソウもエルヴィーラもおまけにイル
ゼ姫も無事じゃったし。お前も健在で、正に大団円じゃな」
「いいえ。あの時私は、全く何も出来ませんでしたから。ソウ…いえ、陛下が全て先走っ
…、いえ、解決なされてしまったんですから」
「はははは! あいつも変わったのう。昔は生きてるか死んでるか分からんくらいに自己
主張がなかったのにのう!」
「本当に…、正直困ってます…」

 その時、妙に良いタイミングで、ベタにくしゃみをしながら現れたのは、誰あろうソウ
陛下でした。
「あ〜〜? 風邪かなぁ…? ダメだ、エルヴィーラにうつさないようにしないと! 
ローランも気をつけないとね! セウとエルダにもだけど、マリルにうつしたらお腹の赤
ちゃんに障るもの!」
 もうすっかりパパの気分満喫で話す陛下に、ローランはとても生恥ずかしさを覚えてし
まうのです。
「お、俺もこんなでしたか? セウが出来た時、こんな?」
 うろたえ、すっかりパス様に砕けて話すと、パス様はそれを受け、『いや、もっと酷か
ったぞ。おぬしは地に足がついとらんかった!』と言い切られてしまうのでした。
 そうして頭を抱えるローランを横目に、陛下は父に愚痴を言うのです。
「でも、そのローランのお陰で大変なんです、父上! エルヴィーラときたら、ようやく
赤ちゃんが出来たって言うのに、またマリルに差がついちゃうって! だからこれから毎
年産むなんて、とんでもない事を言い出すんですよ!」
 大変と良いながら、どこか楽しげな陛下がバルコニーを見て微笑みます。
「ほお! エルヴィーラがそう言うんなら、そのうちこの城は子供で一杯になってしまう
のう。そうしたらローランに増築してもらえば良い」
 同じく視線をバルコニーに移したパス様も、眩しいように目を細めるのでした。
 ジャーデの午後は光に満ちて、本当に眩しいくらいに輝いています。
「そうですねー」
 そんな呑気な親子の話を耳にして、ローランはこの国がどんどん豊かになって行ってい
るのを感じました。
 彼も同じように光のバルコニーを見れば、まだまだ色んな問題は山積みですが、それも
次第に解決の方向に向かう気がしてならないのです。
 それはきっと、彼らの子供達の手に委ねられる頃には――

「あ、そうそう、イルゼ姫から手紙が来たんですよ」
 そう言うと、陛下は持っていた手紙を広げ、二人の前で読み上げました。

「親愛なるソウ陛下。
 あの時は本当にお世話になりました。
 そしてこの度めでたく私もルヴェル王国に嫁ぐ事になりました。
 ブリス王子は私よりも年下ですが、とても素敵でソウ陛下にも負けませんと、エルヴ
ィーラ様にお伝え下さい。
 やはりあの時、ジャーデに行って本当に良かったと思っております。
 それはそれは恐ろしい体験もしましたけど、その事を含め、あの経験がなければ、私は
今もフリードリッヒで思い悩んで過ごしていたかも知れないんですから。
 では、短くて申し訳ございませんけれど、これで筆をおかせていただきます。
 何かありましたら、またご報告させて下さいまし。
 機会がありましたら、夫ともどもまたそちらにお邪魔させていただくかも知れません。
 その日が来る事をとても楽しみにしております。
 それでは失礼いたします。

 皆様のご健康と幸福をお祈りいたしておりますイルゼより

 追伸:エルヴィーラ様、あまりお転婆をなさって、赤ちゃんをびっくりさせないように
しないとダメですわよ!
 でも、あなたと陛下の赤ちゃんなら、そんな事で驚かないかもしれませんね?
 私も負けないように、すぐに赤ちゃんを作って、エルヴィーラ様に自慢しに行きますの
で、楽しみにしてて下さい」

おわり