【マリル】


 翌日の午後、陛下に言われたように、ローランはエルヴィーラ様
の『お茶会』という名目のお見合いの会場に出向きました。

「ようこそ、ローラン。最近は陛下も忙しくて、夜に会うだけでし
ょう? だからローランともなかなか話せないから、こういった場
を作ってみたのよ!」

 開口一番にエルヴィーラ様は、満面の笑みでローランに向かって
言いました。
 もちろんその目に嘘はありません。

 しかし、『だったら他の女性はいなくても良いんじゃ』などと言
う言葉は禁句です。
 ローランは仕込まれた艶やかな笑みを周囲に振りまきながら、
「私もこのような席に呼んでいただけて、本当に嬉しいです。王妃
殿下」と、ソツなく倍返しの笑みを返して見せるのでした。

 実際の所、ローランは異国から嫁がれたこの姫の事は、暴走し過
ぎる部分はさて置き、その男前なさっぱりとした気質が気に入って
おりました。

 その美しさを凌駕するほどの意志の強さは、畏怖に値すると思う
こともあります。
 しかし、やはり少しお節介なのが玉にキズなのです。

「では紹介するわね。ここにいるのは、みんな私の世話をしてくれ
ている侍女達なのだけれど、私とローランだけじゃあ、場が寂しい
でしょう? だから皆でお話したいの、ね!」

 その場にいたのは、姫と会う時に、幾度か会った事もある者達だ
ったのですが、次々に紹介される名前を聞いても、特にローランに
感動を与えはしませんでした。
 何故なら、皆一様に赤くなったまま、言葉を発せられずにもじも
じとしているばかりで、姫の言うように『皆でお話』などは到底無
理に思えたからです。

 それは姫も感じているようで、何とか話題を振って、侍女達に話
させようとするのですが、やはりもじもじもじもじ……。
 強烈な個性を持つ姫の側にいるせいか、その侍女達の個性は吸い
取られてしまっているのでしょうか。

 ローランは段々にその場で愛想を振りまいているのが億劫になっ
て来ました。
 普段如才なく人との付き合いをこなしている様に見える彼でした
が、それはエルヴィーラ様と同じ理由で、場を円滑に進める方便で
あり、いついかなる場合でもそんな事をしたい訳ではないのです。

 ですから、その顔には笑みを湛えつつも、どうにかしてこの場を
抜け出す良い口実を考え始めたその時です。
 ふと、ローランの目の端に映る者がありました。

 皆がこちらを向いていると決め付けていたのですが、その中でた
った一人だけ、自分を全く見ておらず、目の前にある菓子やお茶に
ばかり関心が行っている少女を発見したのです。

 侍女の中でも、その少女は歳が若そうで、まだ女性としてのしつ
けよりも、食欲が勝る、といった次期なのでしょうか?
 見れば、自分の目の前の菓子は既に平らげ、周りの侍女達の手付
かずの菓子にチラチラと目線を向けています。

(あ! 紅茶飲んだ。ありゃ、紅茶も飲み切ったみたいだな)

 するとその少女は、飲み物で心を満たそうと言うのか、『ぽん』
と椅子から立ち上がると、ポットを抱えて自分の席に戻ります。
 一応周りの者達のカップも見てみますが、どうやら飲み食いをし
ているのは自分だけのようで、自分のカップにだけ注ぎ、目の前に
ポットを置きました。
 きっと、これでまた無くなっても、すぐ注げるという安堵のため
か、口元に笑みが浮かんでいます。
 そしてシュガーポットから砂糖を一杯、二杯、…三杯、……四杯、
五杯、六杯!

(い、入れすぎ! 入れすぎだろ!)

 そんなこんなで内心で突っ込みつつも、目はその少女に釘付けに
なってしまっていました。

 少女は小さい喉を鳴らしながらも、見事な飲みっぷりで紅茶を飲
み下しました。
 ところが喉は潤ったものの、やはり口が寂しくなった模様です。
 再び少女は周囲の菓子を眺めだしました。

(そんなに食いたいのかな? まあ、庶民には甘い物ってなかなか
口に入れられないしなあ…)

 元は庶民も庶民の孤児だったローランは、自分の空腹を抱えた幼
少期を思い出し、少女に共感を覚えました。

 とうとう我慢しきれなくなったのか、その少女は隣の侍女に何か
を言っています。
 すると、少女に声を掛けられた年上の侍女は、迷惑そうに自分の
菓子を少女に押し付け、そして何事もなかったかのように、またこ
ちらに目線を戻したのです。

(あー、食べないならちょうだい? とか言った訳か。ははは、食
い意地すげー)

 すると、もらった菓子をキラキラした目で眺めると、さっそく口
一杯に頬張りました。
 その満足そうな顔といったら、見ているこっちが嬉しくなるよう
な顔で、思わずローランは、つられて顔がほころんでしまうのでし
た。

 そんな事を見逃さないのがやり手ババ…、もとい、エルヴィーラ
様でした!
 彼女もその少女とはまた別の、満足げな笑みを浮かべ言ったので
す。

「…そろそろお開きに致しましょうか」

 その突然の言葉で、少女の食べっぷりに感嘆していたローランは、
はっとしました。
 エルヴィーラ様は、そんな彼を見て、黒いオーラを含んだ笑みを
向けています。
 その笑顔にローランは、心の中で危険警報が鳴るのが分かりまし
た。

 ですが、時既に遅し…だったようです。

「ローランもお仕事に戻らなくちゃだものね…。ごめんなさいね、
お引止めして」

 そう言うと、まるでローランに見せるように、先程菓子を全て平
らげた少女の方にゆっくり顔を向けました。

「じゃあ、マリル…。ローランをお見送りして」

 正に的確!
 ローランは、背筋に寒いものを感じました。

 姫の声に反応し、ぴょこんと椅子から立ち上がると、マリルは
ローランの方へと歩いて来ます。
 その背には、他の侍女達の重い視線を浴びているのですが、本人
は全く気が付いていないようです。
 ローランの胸よりも低いその身長で、明るい茶色の髪を揺らしな
がら、ローランを扉まで送り届けると、軽く会釈して送り出してく
れようとしました。

 ローランに対して、多少は頬を赤くしてはいるものの、明らかに
他の侍女とは違い、ただ単に人に応対するのに慣れていないという
照れであるのが分かります。
 彼はつい、先程の延長で、その顔をまじまじと観察してしまいま
した。
 さすがに間近で見られると、その視線に気付いたようで、少女は
いぶかしみ、はっとして口の周りを押さえました。

 そこで初めて少女らしく、頬を赤らめる様を見たローランは、吹
き出しそうになってしまいました。

「大丈夫、何もついてないよ。マリル」

 そう言うローランの顔には、作られた美しい笑みでは無く、自然
な優しい微笑が浮かんでいるのでした。

続く