【いいなずけ】


 店を出ると、すっかり満腹になったマリルはローランにお礼を言
いました。
 実際、自分一人の時には平らげた事の無い量を消化したので、値
段も相当でしたが、普段手当てを使う事の無いローランにとって、
痛くも痒くもない出費でした。


 時刻はというと、随分ゆっくりと食事をした割に、夕刻まではま
だかなりの時間があったので、ローランはマリルにこれ以降の用事
が無い事を聞いた後、再び城に戻りがてら、辺りを案内する事にし
ました。
 何故なら、彼女はまだ城から外に出た事がほとんど無いというの
を聞いたからです。
 それも仕方がない事で、宮仕えをしている者は大抵が休日を交代
で取る事になるので、彼女達の様に外の国からやって来た者達――
特に少女では――一人で慣れない町を散策など出来ないのが普通で
す。

 こうして、いつもより日差しの緩やかな午後、二人は露天の店が
並ぶ大通りや、見晴らしの良い史跡などを巡りました。
 この国には珍しい髪の色を持つ美丈夫のローランと、外国から来
たマリルの取り合わせは、傍から見ると非常に目立つ存在で、行き
かう人たちの注目は免れないのですが、その本人達はと言うと、既
に慣れっこになっている者と人の目を全く気にしない少女という、
最強の組み合わせのせいか、特に支障は無いようです。

 そこここを物珍しそうに眺めながら、マリルはローランに話し掛
けます。

「私の家って、兄弟が九人いるんですよー。兄が三人、姉が二人、
弟二人に妹が一人。だから、ご飯の時って戦争みたいで、あんまり
食べれなかったんですよねー。きっとそれで身長伸びなかったんで
すよ…」

 そんな事を言いながら、自分の頭を手で撫で、そして今度はロー
ランの長身を見上げてため息を吐きます。
 どうやら身長の低さで、歳相応に見えないと思い込んでいるらし
く、本人はそんな事を一生懸命に説明して来るのです。

「そっか、マリルの家は兄弟多いんだね」

 何の気なしにそう相槌を打ってしまった後、ローランは次に来る
であろう言葉を予想し、自分が言葉の選択を間違えてしまった事に
気付きました。
 そして、邪気の無いマリルは、果たして想像通りの返答を返して
来たのです。

「ローランさんは?」

 その時には自分への敬称が、『様』から『さん』に変化している
のが分かりました。
 それを面映く感じながら、自分の失態に、一気に気持ちが重くな
るのを感じたのです。

 何故なら、その重さがどこから来るものなのか、彼は即座に思い
出してしまったからでした。
 そして、今まで育って来ていた、『彼女に対する親近感』という
ものが、隠蔽したものの上に成り立っている事も、はっきりと分か
ってしまったのです。

 一瞬の躊躇――、そして…

「…俺は…、いないんだ…。兄弟」

 それだけを言い、あとは口を塞ぐしかありませんでした。

「そうかー、ローランさんは一人っ子なんですかー。いいなあー」

 マリルは一人納得し、羨ましそうな目をローランに向けます。
 しかし、彼はその視線から逃げるように顔を逸らし、話を自分の
事から彼女の家族に移す事にしました。

「あー、えっと、兄弟って言えば、エルヴィーラ様の侍女だったん
だから、結婚のために国に帰ったお姉さんも、他のみんなと変わら
ない年齢なんだよね? 良く分からないんだけど、パッと見は、二
十代の娘はいないみたいに見えるけど…、お姉さんだってまだ十代
なんじゃないのかな? それで結婚って早くないの?」
「ええ、お姉ちゃんは私と年子なんで、今年十七です。貴族の方や
姫様でなくとも、もっと早くに嫁ぐ女の子も沢山いますから、ちょ
っと遅いくらいなんですよ。でも、お姉ちゃんは姫様にご奉公して
いた事もあって、すごく良縁に恵まれたんです! だから本当に良
かったなって思ってます」

 果たしてローランの目論見は当たり、難なく話は外れて行きまし
た。
 ほっと胸を撫で下ろし、目線をマリルの方に向ける事が出来る様
になったローランは、その流れが途切れ無いよう、言葉を続けて行
きます。

「…そっか、じゃあ侍女として働くって、花嫁修業にもなるんだね。
それは知らなかったな…」

 そうローランが言うと、マリルは『花嫁』という言葉に反応し、
頬を赤らめるのでした。
 この年齢の少女であれば、確かにその言葉には、『憧れ』という
甘い響きを含んで聞こえるのかもしれません。

「……え、えっと…、でも、ローランさんだって、そろそろそうい
うお話が出てるんじゃないんですか? だって…、この間のお茶会
って、そういう事なんでしょう?」

 恥らいつつも、そう言って来るマリルを見て、ローランは少々驚
きました。
 そして、その時の彼女を思い出し、口に笑みが戻って来るのでし
た。

「ふ! 何だ、マリルもあの会の意図は分かってたんだ。さっきも
言ったけど、あんまりにも俺に関心がないんで、お菓子に釣られて
来ただけなんだと思ってた」

 そう笑いながらローランが言うと、、赤くなった頬を更に赤くし
て、マリルは抗議をして来るのでした。

「なっ! し、失礼な! ちゃ、ちゃんと分かってますよ! でも、
でもでも…! お菓子は…、あんまり食べられないから…、つい夢
中に…って、だからローランさんは私を子供扱いし過ぎです! だ
って、私みんなみたいにローランさんの事良く知らなかったし…」

 そんな彼女の、しどろもどろの物言いを見ていると、先程沈みそ
うになった心が晴れて行く気がして来るのです。
 すると、更に口元が緩んで来てしまいます。

「…いや、ごめん。そんなつもりはないんだけど…。そうだよな、
言葉を交わしたのはあの時が初めてだもんね…」

 そうして柔らかく笑うローランの顔を見たマリルは、それも年齢
不相応な扱いと見なしたらしく、口を尖らせて言うのでした。

「…そ、それに私は人数合わせなんですもん! 姫様が『とにかく
みんな出席よーー』って仰るから…。だって…私…」

 そこで一旦言いよどんだマリルでしたが、更に顔を真っ赤にしな
がら言うのでした。

「…い、いいなずけがいるんですから…!」

 それを聞いたローランは、
「…いいなずけ? いいなずけって……、いいなずけ?」
 と、同じ言葉を三度繰り返し、聞き返したのでありました。






「――って、言っちゃったの? いいなずけ? いいなずけって…
…、いいなずけーーーーー! 聞ーてないわよーーー! マリ
ルーーーー!」

 ローランと同じように、同じ言葉を三度繰り返し、エルヴィーラ
様は自室で大いに吼えるのでした。

「い、言いました! あの時あの時ちゃんと言ったんです! でも、
姫様は『良いから、良いから』って、仰ったんですようー!」


 それは既に辺りが暗くなった頃の事でした。
 城に戻ったマリルを、エルヴィーラ様はさっそく呼びつけ、あま
り期待もせず、本日あった事を聞き出しました。

 すると、他の侍女達のGJ(グッドジョブ)のお陰で、ローラン
と出掛けていたというではありませんか!

 してやったりと、その内容を根掘り葉掘り聞き出したまでは良か
ったのですが、マリルの『いいなずけ』発言の所に来て、先程の咆
哮をあげる事になったのでした。

「…ウソーー! ああーーー、どうしよう! サイアクよーーー!
 何で『いいなずけ』なんかいるのよー! バカバカ、マリルのバ
カー!」


 余りと言えば、余りな言い分ですが、自分の主人にこう言われて
は、マリルは謝るしか出来ません。

「…す、すみません。私が子供の頃に、親同士が決めた相手なんで
す。だから実は会った事も無いんですけど…」
「だったら、ローランの方が良いじゃない! 顔良し、性格良し、
剣の腕も立つのよ! ソウの次にカッコいいんだから!」

 そうまくし立てるエルヴィーラ様に気圧されながら、マリルは喘
ぐ様に言いました。

「お、お待ちください! あの、姫様は何故、ローランさんと私の
『いいなずけ』をお比べになるんでしょう?」

 エルヴィーラ様の思惑に全く気が付か無い、鈍なマリルを見て、
彼女はソウ陛下との約束もすっかり忘れ、お節介な言の葉を、思い
っきり浴びせてしまうのでした。

「そんなのローランがあんたの事を好きになってるからに決まって
るでしょーーー! バカーー! 鈍感マリルー!」

 それを聞き、一瞬固まった後、頭が沸騰したのかと思う程赤さを
持った顔のマリルは、
「えええええええええええーーーーーーーーー!」
 と、エルヴィーラ様に負けない奇声を発したのでありました。

続く