【両親】


 夜の帳が訪れ、やや時刻が経った頃、ベッドに横になっている
ローランの耳に、自室のドアが叩かれる音が届きました。
 今日は訪問客の多い日だと感じながら、ローランはベッドから起
き上がり、ドアを開けます。

 そこにいた人物を見て彼は、昼とはまた違った驚きを受けました。

「…これは…、何かありましたか? お呼び下されば、私の方から
出向きましたのに…」

 そう言うと、部屋へと招き入れるのでした。
 するとその人物は、ドアが閉まると同時に、着席もせずにローラ
ンに頭を下げました。

「…ごめんなさい! ローラン! 本当に今回はあたしの失態! 
でも、でもね! 本当にあたしは…」

 一国の王妃ともなられたお方が、臣下の者にこのように気安く頭
を下げるなんて、と、ローランは面食らってしまうのですが、そう
いった事を気にしない所がこの方の魅力だったと思い直し、口元に
微笑を浮かべます。

「エルヴィーラ様、ともかくお座りください。そして頭をお上げ下
さい。これではお顔も見れません。せっかく部屋にお越し頂いたの
ですから、お顔を見ながら話させて下さい」

 ローランがそう言うと、普段は勇ましいエルヴィーラ様が、何と
も情けない表情で顔を上げます。

「…怒ってない?」
「怒るだなんて、とんでもありません! もったいないお心使いを
頂いたと思っておりますから。…本当ですよ」

 それは本心でした。
 ソウ陛下の前で『お見合い』の事を聞いた時は、はっきり言って
迷惑だと感じたのですが、自分に対してこんなお節介を焼いてくれ
る人間は、この世で思い付く限り四人だけだったからです。
 先代の国王陛下のパス様、そのお妃のルア様、そして現陛下のソ
ウ様、そして最後はこのエルヴィーラ様と、前三者がそういった事
に気を使う方なればこそ、こういった気安いお世話は最後の彼女に
しか出来ないのです。
 天涯孤独のローランにとって、それは本当に有難い事だと、今で
はきちんと分かっているのです。

 ローランの表情を見て、偽りが無い事を悟ったのでしょう。
 少し余裕を取り戻したエルヴィーラ様は、彼の言葉使いが気にな
りました。

「…ちょっと、ローラン。あなたソウと二人きりの時は、もっと砕
けて話してるんでしょ! ここには今あたしたち二人だけよ。あた
しにも普通に話してよ! あたしだけこんなんじゃ、気詰まりじゃ
ない!」

「…え、いや、ですが…、それはさすがに恐れ多いです。…陛下と
は、お付き合いも長いですから、望まれれば、無礼を承知でそうさ
せて頂く事もありますけど…」

 この言葉を聞いたエルヴィーラ様は、先程まで見せていた、情け
ない表情を掻き消し、普段通り意志の強い、若年王妃の威厳のある
表情…というよりも、恐ろしい凄みのある顔で言うのです。

「何? あたしは仲間はずれなの? あたしには友人として接して
くれないの? これは命令よ! 良いから、ソウに喋るように普通
に喋りなさい!」

 こう言い切られては仕方がありません。
 ローランは小さく息を吐くと、『…では失礼します』と言って、
話し始めました。

「…えーと…、俺は、エルヴィーラ様が俺の事を思ってやってくれ
たの、本当に分かってますよ。…マリルの事、確かにちょっと気に
なったし…」

 言葉使いには満足したようで、再びエルヴィーラ様の態度は謝罪
モードになりました。

「…ううう、それなのに…。ゴメン! 本当にゴメンね! でもま
さか、ローランがあの娘を気に入るなんて想像もつかなかったの
よ! だってマリルって、あたしの侍女の中でも、一番小さいし
…」



 どうやら彼女も、ローラン同様にマリルの年齢を外見だけで判断
しているようなのが分かりました。

「エルヴィーラ様、マリルの歳知らないでしょう? 小さくないん
ですよ、彼女。あなたと二つしか違わないって、本人が言ってまし
た。俺も全然そんな風には見えなかったんですけどね」
「ウ、ウソーーー! 重ね重ねゴメンなさい! あんまりにも無責
任だったわ! もっときちんとリサーチしとくんだったーー! で
もでも、ソウが色々うるさいもんだから、早くしないと気が変わっ
ちゃうと思ってーーー! あーー、もう本当にゴメン!」

 そう言いながら、エルヴィーラ様はくるくると表情を変えて嘆き
ます。
 それを見るローランは、『ソウもこの人が可愛くて仕方が無いん
だろうなあ』などと思うのでした。

 ソウ陛下と出会ってから、そろそろ十年近くになるのですが、今
の彼は、以前とは違い、精神的な不安定さがほとんど無くなって来
ているように感じていました。
 それは、自分が愛する人――つまりエルヴィーラ様に――自分の
素性を全て話し、そして受け入れられたお陰なんだと思うのです。

 ソウ陛下とローランは、『その素性を公に言えない』という点で
非常に良く似ていました。
 そんな心の痛みを持つ者同士だからこそ、二人はお互いを慕い合
っていたのです。
 ですが、ローランの存在だけでは、ソウ陛下の心の空虚さを埋め
る事は出来ませんでした。
 同じ境遇を分かり合える人間だけでは、本当に足りない部分は補
えないからです。
 それは、逆にローランにも言える事でした。

 ローランがエルヴィーラ様のお節介に興味を示し出したのも、そ
んな陛下の変化を見ていたからかもしれません。
 ローランは少し考え、思い切ってエルヴィーラ様に相談してみる
事にしました。


「…そんなに謝らないで下さい。じゃあ、謝罪の代わりに、ちょっ
と俺の質問に答えてくれますか?」

 その提案に、エルヴィーラ様は目を輝かせて飛びつきました。

「もっちろんよ! 何でも聞いてちょうだい!」

 そう言うエルヴィーラ様に、ローランは優しい笑顔を見せました。
 でもその笑顔を見たエルヴィーラ様は、何故か胸が痛くなるので
す。
 何故なら、そんな儚げな笑顔を見たのは、これが初めてでは無か
ったからです。

「エルヴィーラ様、俺がソウを殺そうとした事があるって聞いた時、
どう思いましたか?」
「…!」

 予期しなかった質問に、彼女は言葉を発する事が出来ませんでし
た。
 『質問』という事と、話の流れから、『恋愛相談』だとばかり思
い込んでいたからです。
 ですが、質問を投げ掛けたローランは、先程まであった口元の笑
みも何処かへ消え失せ、その瞳には恐れのようなものが浮かんでい
るのでした。

 こんな表情をされては、真剣に答えない訳には行きません。
 エルヴィーラ様は、今一度その時の記憶を手繰り寄せ、神妙に答
えます。

「…信じられないって思ったわ。あたしがその時まで見てきたロー
ランは、ソウの事を本当に大切に思ってるとしか思えなかったも
の」

 その言葉に、ローランは更に続けて言います。

「…じゃあ、ソウが本当は王子じゃないって知った時は?」
「……」

 ローランは一体何を知りたいのでしょう。
 今対峙しているのはローランでありながら、以前自分に過去を明
かすのを逡巡していたソウ陛下そのものでした。
 でも、本当にその通りならば、あの時の答えを示せば、きっと安
心する――

(――やっぱり二人って似ているんだ)
 そう考えると、エルヴィーラ様は表情を引き締め、はっきりと答
えるのでした。

「…その時は、もうあたし、ソウの事が好きだったもの。そんなの
どうでも良かった。ソウかソウであれば、王子だろうがなんだろう
が構わない」

 ローランは目を閉じて、大きく息を吐き出しました。

「…ありがとうございます。変な事聞いちゃってすみません」

 そう言ったローランの瞳には、哀しい色が抜けて来ているように
見えました。
 ですが、まだ不安が完全に払拭出来た訳では無いようなのを見て
取ると、エルヴィーラ様は聞かずにはいられません。

「…そういうのが、やっぱり気に掛かるの?」

 彼女の問い掛けに、ローランは素直に返事を返しました。

「…掛かりますね。知らないからこそ、俺の事を信用してくれてる
人も多いですから。…俺みたいに何も無かった人間にとって、居場
所を無くすのってのは、恐怖に近いんです。たぶん、それはソウに
も言えた事なんだと思いますよ」
「…うん、そう…。…そうよね、きっと…」

 過去の記憶が鮮やかに蘇ります。
 そしてそれが、やはりローランに重なって行くのです。
 二人はきっと、ずっと、同じ思いを共有する相手だったに違いあ
りません。

「…だから、本当にソウが羨ましいですよ。エルヴィーラ様のよう
に、そのままの自分を受け入れてくれる人と出会えているんですか
ら。…でもね、あいつが頑張ったのも俺は知ってるから…、そんな
事を言えないのも分かってるんですけど…」

 自嘲気味に言うローランを見て、エルヴィーラ様は率直に感じた
事を聞いてみる事にしました。

「…あの…、ローランは…、マリルの事…どう思ってるの?」

 すると、彼は少し目線を上に向け、思い出すように言うのです。

「…マリルの事は…、…まだ良く分からないっていうのが本当です
ね。…気にはなるけど、エルヴィーラ様が考えるような好きとか嫌
いっていうものか…、良く分からないんです。…確かに一緒に食事
とかしたら楽しいし、話してても気安すかった…。…でも、気安い
のは、彼女が俺の事を、恋愛感情無しで見ている安心感からってい
うのが大きい気がします」
「…そっか…」

 『好きか嫌いか分からない』、その言葉を聞いてしまうと、エル
ヴィーラ様はマリルに早まった事を言った気がしました。
 やはり、他人の口から『好きか嫌いか』などは言うものではあり
ません。
 ですから、併せて二人には申し訳ない事をしてしまったと思うの
す。

 ――でも?

 改めて考えてみると、きっかけは確かにエルヴィーラ様が作った
かもしれませんが、それ以降の事は自分が強要した事では無いはず
です。
 今日の食事や、その後二人で過ごす事を選択したのが彼自身であ
るならば、本人が気付いていないだけで、ローランの性格を考える
と、ものすごい事ではないでしょうか。
 こんな鬱屈した感情を、抱えている事すら忘れさせる力が、陛下
でも自分でもなく、マリルにはあるという事なのですから。

 エルヴィーラ様は、湧き上がる確信を、押さえ切れず、ローラン
に言いました。

「…大丈夫。大丈夫よ、ローラン。あなたはまだ分からないかもし
れないけど、もし、本当にあなたを心から思っていれば、その人に
どんな過去があっても、そんな事は関係ないんだから。ただその人
がそこにいてくれる事が嬉しいって、その内きっと分かる」

 名を呼ばれた彼は、瞳に強い光を宿す、目の前の少女を食い入る
ように見つめました。
 歳は自分よりも若いのに、その湧きあがる気持ちは、何と言って
いいか…。
 いえ、それはたぶん…。

「…なんか母親みたいですね」

 口から出てしまってから、ローランははっとしました。
 普通に考えれば、恐れ多い上に、無礼極まりない言葉だったから
です。
 ですが、それを言われた当人は、何だか納得した表情を返して来
るのです。

「ああ! うまい事言うわね、ローラン!」
「あっ、っっす、すみません! 変な事――」
「ううん、変じゃないわよ。そうそう、正にそれよ! あたし、前
から思ってたんだもの。ソウとあなたの関係って、歳は逆なんだけ
ど、父と子って感じなのよね! まあ、あの子は年齢のくせに、妙
に達観して爺臭い所があるからね。で、あたしはソウのお妃様です
もの! そりゃ母親に違いないわ!」

 そう言い、一国の王妃という肩書きと、その美しい容貌に似合わ
ず、豪快に笑うエルヴィーラ様を見ると、ローランも気持ちがほど
けて来るのが分かりました。
 思えば、本当の身寄りがない陛下ではありますが、彼の後ろには、
実子以上に愛しているご両親がいます。
 そのお二人もローランに対しては、陛下と兄弟同然に扱ってくれ
ますが、それも陛下の存在が無ければ、始まらない事を、彼自身が
一番良く分かっていたのです。

「…ソウが、俺の父親ですか?」


 そう思うと、何故か心が温かくなります。
 そして目の前の少女は、自分が母親だと言ってくれるのです。

「ちょっと育ち過ぎな子供だけど、こんな美形の息子なら文句無い
わ。だから、あたしの言う事を良く覚えておいてちょうだい。あ!
 それと! 素性がどうこういう相手なんて、自分から振ってやる
位で丁度良いって思いなさいよ! 分かった?」

 これは何ともモーレツな母親です。
 王族のエルヴィーラ様が、どうしてこんな、肝っ玉母さんなのか
は分からないのですが、既にローランの口元には、くすぐったいよ
うな笑みがこぼれているのでした。

「…ふふ、分かりました。ありがとうございます、エルヴィーラ
様」

 その微笑みを見ると、満足気に頷いたエルヴィーラ母さんであり
ましたが、『そうそう』と言いつつ、少々バツが悪そうにこんな事
を付け足して来たのでした。

「…あのね、ソウに変な手出しはしちゃダメって言われてたんだけ
どね…。ちょっと口が滑っちゃって…。あたしマリルに、『ローラ
ンはマリルの事が好きになってる』って言っちゃった! ゴメン
ね! てへ☆」

 その告白を聞き、ローランは世の息子諸君の母親に対する、憤懣
やるかた無い気持ちを共感するのでありました。

(てへって! ――そりゃないよ、母さん!)

続く