【恋愛戦線】


 エルヴィーラ様とローランが母子親睦を深めている頃、マリルは
自分の部屋で、押し寄せた侍女たちに囲まれていました。

 彼女達は、ローランが自分の手紙を受け取った時の反応を知るた
め、示し合わせた訳でも無いのに、皆マリルの部屋へと仕詰め掛け
て来たのです。
 普通に考えれば、渡したその場でローランが皆の手紙を読める訳
が無いのですが、『もしかしたら、自分の手紙だけは読んでくれた
かも…』と考えてしまうのがファンの悲しい所でしょう。

 ともかく、マリルにあてがわれた狭い居住スペースは、すぐに人
口密度の限界を超えてしまいました。
 そして我先に情報を引き出そうと、マリルに問い掛けます。

「ちょっと、マリル、もっと詳しく話しなさいよ!」
「そーよぅ! 本当にちゃんと渡したの? あたしのだけ渡しそび
れたんじゃないでしょうね!」
「返事はくれるって言ってた? 手紙もらって、嬉しそうだっ
た?」
「宛名を見て、あたしの事を聞いて来たとかって無いの? それと
も、誰か特定な人の事を聞いたとか!」

 普段イベントがあまり無い侍女たちにとって、先日のお茶会は一
大イベントにも匹敵する出来事でありました。
 そしてそれが美貌の親衛隊長のお相手探しとあっては、皆がヒー
トアップしてしまうのも仕方の無い事かもしれません。

 しかし、普段慣れない会であるからこそ、その結果は惨憺たるも
ので、その結果を誰もが納得してはいませんでした。
 実際片言でも声を交せたのは、そういった思惑を持たずに参加し
たマリルだけだったのですから、こんな結果にリベンジしたいと思
うのは当然の事でしょう。
 そしてそこへ、渡りに船とばかりに、マリルの休暇がローランと
重なったのです。

 こんな絶好の機会が二度と無いと考えた侍女達は、前回の参加者
も、そして参加出来なかった者も、敗者復活を込めた熱い思いを手
紙にしたため、半ば強制的にマリルに持って行かせたのでした。

 実際の所、皆がどの程度ローランに本気なのかは、本人達にもよ
くは分かっていないのが本音なのですが、恋人として横にいるロー
ランを想像すれば、鼻が高いのは確かです。

 ああ、何て打算的!

 そして打算は闘争心に結び付き、だからこそこの熱気が発生して
いるのです。

 手紙を託された時、小動物的勘で恐怖を感じたマリルは、『係っ
たらなんか危ない!』とだけ分かったので、とにかく彼を避けたい
と思っていました。
 だから手紙を渡して、ダッシュで逃げる、といった算段だったの
ですが、その点は彼女の食い意地を見抜いたローランが優れていた
としか言えません。

 そんなこんなで、仲間の異常な熱気で酸素が削られる中、マリル
は回らぬ頭で、再びその点を踏まえて対応しないとならない事を肝
に命じました。
 ですが、本当に頭が回らない原因は、先程エルヴィーラ様から告
げられたご神託が頭を飽和状態にしているからなのです。
 本当ならその信憑性を、一人速やかに検討したい気持ちで一杯な
のですが、とりあえずはその考えを脇にやって、この場を凌がなく
てはならないでしょう。

 しかし、こういう事は才能がものをいうのか、頑張っているつも
りではありますが、全く上手く出来ていない所が、彼女らしいと言
えるでしょう。
 皆の質問にも、『…え、えーと』や、『あ、う、うん』などと、
いう頼りない返事が出るばかり。
 そんな心ここにあらずな彼女の態度を察知した、侍女長とも言え
る、最年長のアンナが突っ込みを入れて来ました。

「…ちょっと、マリル…。あんたローラン様と何かあったんじゃな
いでしょうね?」

 その言葉に、侍女たちの瞳が一斉にマリルを捕えました。
 仲間達の眼には、得体の知れない何かが宿っていましたが、そん
な事を悟る余裕は今のマリルにはありません。
 アンナの口から出た、『ローラン』という単語に反応し、エルヴ
ィーラ様の言葉が頭の中を延々とリピートし出します。
 そして同時に、脳裏には今日のローランの姿が映し出され、彼女
の顔は、比喩では無しに真っ赤に染まってしまうのでした。

 こんな分かり易い反応はありません。
 それを全員が確認し、お互い頷き合うと、マイナス四十度の笑顔
を張りつかせました。
 遅まきながら、仲間達の氷のオーラに気が付き、マリルははっと
顔を上げましたが、皆の表情を見ると、体の温度が瞬時に奪い去ら
れて行きます。
 ですから、頭まで凍結する前に、その冷気でガチガチと口を振る
わせながらも、必死の弁明を試みたのです。

「…え、あ、その…。み、みんなのね、て、ててて、手紙を渡した
じゃない? そしたらそのそのその…、お礼をって言われて…。こ、
ここ断ったのよ! さ、さい、最初はちゃんと断ったんだから! 
ホントよ! すぐその場を離れようとしたの! でも、ローランさ
んが呼び止めて…」

 何とかそこまで言いましたが、しかし、既にマリルは失態をしで
かしてしまっていました。
 そこを逃さず、先ほど鋭い突っ込みを放ったアンナが、ザラザラ
と棘のある猫なで声で聞き返します。

「…最初は断ったって言うことは、結局…マリルちゃんはローラン
様と何をしたのかしらぁ?」

 『しまった』と思った時は後の祭りな事が多いものです。
 弁明どころか、わざわざ身の危険を招くようなマネをしてしまっ
た事を悟ったマリルは、これ以上の言い逃れはより命に係わると判
断しました。

「…お…、お昼ごはんを…、一緒に…食べマシタ…」

 予想した通り、皆の顔が一斉に凶悪なものに変わりました。
 水を打ったような静寂の後、やがて、重く低い言葉がそこここか
ら聞こえて来たのです。

「ちょっと…、それって抜けがけって言わない?」
「今までローラン様を慕ってるとも言わなかったくせに、何その手
の速さはぁ…? 信じられないんだけど…」
「ずうずうしい…。一体どんな強引に持ってけばそうなるのよ…」

 ざわざわ。ざわざわ。
 耳に届かないほどの小さな声も併せると、仲間の声は、押し寄せ
る暗いさざ波のようでした。
 マリルは部屋の中で皆に囲まれているのに、たった一人で夜の海
に立たされているような感覚に陥りました。

 新参者のマリルは、まだ皆に溶け込む程ではなかったものの、こ
の国にやって来てから、決して皆から冷たくされた事はありません
でした。
 どちらかといえば要領の悪い自分を、異国からやって来た者同士
の結束なのか、仲間達は面倒見良くフォローしてくれていたのです。

 それなのに…。

 ですが、そんな状況にありながらも、どうやら自分もその恋愛問
題に参加する女性の一人になったようで、仲間達の態度から、今ま
で彼女達がローランに誘われたりという事は無かったという分析結
果が得られました。
 そう言えば、あの店員さんも『女性連れは珍しい』と言っていた
ではありませんか。
 『珍しい』というのは個人判断なので、曖昧この上無いと思うの
ですが、今のマリルはそれを、『自分は特別』という言葉に変換し
たのです。
 これは驚くべき変化でした。

 実を言うとマリルは、今までローランの事を、あの外見と、侍女
達の騒ぎっぷりから判断し、相当な女たらしで軽薄な人なのだろう
と勝手に思い込んでいました。
 それが見当違いかもしれないとは、今日話してみて思ったものの、
自分に経験が無いため、本当の手練手管が見抜けないだけなのかも
しれないという警戒心は払拭し切れていませんでした。
 だからローランが男性である事は理解していても、恋愛対象に思
うという事は、つい先程まで全く頭に浮かばない事だったのです。

 おせっかいなエルヴィーラ様の言葉は、朴念仁のマリルをいっぱ
しの少女に導く効果があったようです。
 こうなると、逆に免疫の無い少女ほどその感情に流されるようで、
マリルの胸はほわほわと温かくなって来るのでした。
 マリルは本来正直すぎる性格なので、やはり正直に『嬉しい』と
いう気持ちで心を一杯にしました。


(ローランさんが…、ローランさん…。嬉しい――)


 そうして顔にまで笑顔がこぼれそうになりましたが、今はそんな
感情を大っぴらに外に出せない状況だという事に、すんでの所で気
付きました。
 態度を硬化させてしまっている仲間達に、取りあえずでも今は申
し開きをしければ、これからのここでの生活の基盤が怪しくなって
来てしまうでしょう。

「あ、あたしから言ったんじゃないわ! 抜けがけとかじゃなくっ
て………だ、だってだって、すごーくおいしいお店を知ってるって
言われたんだもん! お、お腹すいてたし! おごってくれるって
言ったから、つい、フラフラ〜ってなっただけなのよ!」

 実際はその言葉の後に、『その時は』という言葉が続くのですが、
それは頭の中だけに留めました。
 そしてその言葉を聞いた侍女達は、今までの彼女の行いと照らし
合わせたらしく、『確かにこの食い意地の張った娘ならそうかもし
れない』という納得を得たようです。
 そうなると、今までの態度は一変し、皆口元に『やれやれ』とい
った笑みを浮かべます。

「…ま、あんたの事だから、そんなだと思ってたわよ」
「そうよね、ホント、色気より食い気のあんたで良かったわ…」
「ローラン様も、女性として扱わなくって良いから気安かったに違
いないわよねぇ」
「…でも、何てもったいない! あたしだったら…」

 皆その『あたしだったら…』という思いは依然とあるようでした
が、先程の険悪な雰囲気は瞬く間に氷解しました。

 何とか危機的状況を脱したマリルは、結構な言われ方をしていま
したが、先程までの孤独感に比べれば、この状況に、ほっと胸を撫
で下ろすのでした。

 ですが改めて、仲間達の客観的意見を聞いてみて、『やはりエル
ヴィーラ様が言った事は見当違いのでは?』と思う気持ちが湧いて
来ました。

 さっき宿った『嬉しい』が急速にしぼんで行く感覚。
 嬉しいという感情の反動は、等価以上の迷いを呼びます。

 そんな考えに囚われたマリルを尻目に、仲間達は納得したのか、
さっさと部屋を出て行こうとしていました。
 マリルとローランがどんな時間を過ごしたかを突っ込むと、腹が
立つと思ったのか、それ以上の質問も無く引き上げて行きます。

 そんな仲間達をぼんやりと見送りながら、呆然と自分に埋没して
いるマリルに、アンナが振り返って釘を刺しました。

「…そうそう、あんた婚約者がいる身分なんだから、そういった行
動は慎んだ方が良いわよ」

 それを聞き、マリルは驚きます。
 その表情で分かったのか、『ああ』と言いながら、彼女は答えて
来ました。

「こないだのお茶会のお誘いを受けた時に、あんたが姫様に言って
たのを聞いたのよ」

 それだけを言うと、ついに彼女も部屋を出て行き、部屋にはマリ
ル一人きりになりました。
 そしてマリルは思い出していたのです。


 自分の口から、ローランにその事を言ったのを――


続く