【お礼と自嘲】


 ローランと話したその夜、エルヴィーラ様は事の次第をソウ陛下
に話す事から始めなければいけませんでした。
 自分の失態を含む内容を陛下に話すのは、とても億劫な事ではあ
りましたが、黙っている事も出来ない自分の性格を理解している彼
女は、どんなお小言を言われるかと、ビクビクしながら話してみる
のでした。

 すると、確かに陛下は『やれやれ』と言った表情をしましたが、
それ以上に厳しくお叱りになる事はありませんでした。

「ど、どうしたの、ソウ? 何であんまり怒んないの?」

 そう質問を投げ掛けられると、『うーん』と少し考えながら、こ
う言ったのでした。

「…まあ、こうなるのはまだ想定内って範囲だったから…。じゃな
ければ、初めに許可しないもの。それよりも、ちょっとローランと
も話してみて、嫌がっていない感じだったからね…。まあ『父親』
としてはねえ、そういうのは温かく見守った方が良いのかなあって
…」

 そう言って、うんうんと頷く陛下ですが、彼もまた自分がローラ
ンの『父親』役である事を、結構喜んでいる風でなのでした。
 ですが、他の事に気を取られて今気が付いたのか、『あ!』と言
うと、鋭く突っ込んで来たのです。

「でももちろんエルヴィーラはやり過ぎだから!」

 陛下はビシッとエルヴィーラ様の目と目の間、つまり可愛らしい
鼻の辺りに人差し指を突きつけます。
 それはやはり、マリルに言った、ローランが彼女に好意を持って
いる事を教えてしまった事を指しているのです。

「は、反省しています…」

 エルヴィーラ様はしおらしくそう言うと、陛下は再び満足気に頷
き、それからまた考え込むように、目線を落としました。

「ん?」

 その格好のまま、固まったままの陛下を見たエルヴィーラ様は、
彼が易々と自分の考えの中に埋没してしまったようです。
 エルヴィーラ様はそれに気が付くと、『チャン〜ス!』と心で呟
き、いそいそと陛下の鑑賞モードに突入するのでした。
 これは彼女の最近のお気に入りの一つになった時間で、自分をほ
っぽり出している苛立たしさなどは、みじんも気にならないのです
から、気位の高いエルヴィーラ様にとっては、大層不思議な事と言
えるでしょう。
 それどころか、夫婦になって以来、二人だけの時間で頻繁にこう
いった事が繰り返されるようになると、気を許されている嬉しさが
日毎に倍増してくるのだからたまりません。
 ですから今日もその幸せを噛みしめつつ、陛下のまつ毛の落とす
影や、その大人びた横顔を、うっとりと堪能するのでした。

 しかし、そんな至福の時間は長くは続きません。

 何故ならそんな表情を眺めるだけでは我慢がきかなくなったエル
ヴィーラ様が、陛下につい手を出してしまうからなのでした。

「ソウ!」
「ふぐ!」

 しがみつくような熱い抱擁で、やっと陛下は我に返ります。
 ですがその頃には、がっちりと頭をホールドされ、猫の子を可愛
がるように、頬擦りされたまま、倒れ込んでしまうのでした。
 こうなると、陛下も愛しい細君に応えない訳には行きません。
 二人はしばし、傍目から見ていればやっていられないような、仲
睦まじい時間に突入して行くのでした。



 そんな事が一段楽した後、陛下は吹っ切れたような顔で、エルヴ
ィーラ様に言いました。

「ねえ、エルヴィーラ。ちょっとお願いがあるんだけどさ…」
「…なぁに?」

 濃密な時間に満足したのか、エルヴィーラ様が甘えたように微笑
んで答えます。
 そんな表情の奥方を見た陛下は、先程考えていた時の大人びた表
情とは程遠い、子供そのものの照れた笑みを浮かべて言うのです。

「あー…、えーと、あのね…、『自分だって!』って言わないで聞
いてね?」
「?」

 そして陛下はエルヴィーラ様の耳にそっと口を近付けるのでした。






 あれから数日。
 忙しい毎日に忙殺され、あっという間に日が経ちました。
 あの日ローランは、エルヴィーラ様に釘を刺し、すぐに彼女がマ
リルに言った事を取り消してもらっていましたが、その後、マリル
本人に会う事もないままだったので、今になり、少々気掛かりにな
って来ておりました。

 そんなある日、仕事の合い間に自室に戻ったローランは、遠目か
ら見た扉のノブに、何かがぶら下がっているのを発見しました。

(何だ?)

 それは粗い布地のやや大振りな袋で、ノブに掛かっている布の垂
れ具合から見て、重さは結構あるようです。
 届け物に心当たりのない彼は、持ち前の用心深さが顔を出し、不
審な物を見極めるため、その瞳にスッと力を込めました。

 辺りにその袋に繋がる仕掛けなどが無い事を見て取ると、ようや
く扉へと歩を進めます。
 袋まであと数歩という所に来た時、そこから鼻を刺激する、おい
しそうな匂いが漂って来ているのに気が付きました。

「…?」

 その中身に少々虚をつかれたものの、例えただの食べ物であって
も、今のローランの権力位置を狙う者の差し金ではないとは言い切
れません。
 そんなお国の情勢のため、彼はまだ完全には警戒を解く事が出来
ず、懐に忍ばせている短剣を取り出すと、ノブから袋を引き抜き、
足元に下ろすと、その鞘で袋の中を探ってみました。
 すると、中から一枚の紙が顔を覗かせたのです。

――この間はごちそう様でした。実家から送って来た野菜で作った
ものです。お口に合ったら食べて下さい。マリル――

 少女らしい、丸みを帯びた文字。
 そしてお礼が食べ物――?

(これって…、あんまりにも――そのものすぎなんじゃないか?)

 先程までの警戒心がどこかに消え去り、ローランの口元には笑み
が浮かんでいました。

 すぐに両手で抱え上げ、今度は素手で中の包装を開いてみると、
そこには男の料理のように大胆で質量勝負な、気取りの無い家庭料
理が湯気を立てて現れました。
 少女の贈り物の定番からは大きく外れるその豪快さに、贈り主が
マリル本人に間違いないと確信を持つと、更にローランの顔がほこ
ろんで行きます。

 ですが、その表情はすぐに曇ってしまいました。

 何故なら、ローランはあの日、エルヴィーラ様が言ってくれた言
葉を思い出していたからです。

 あの言葉は、今後ローランが生きて行く上で、大きな指針になり
うる言葉でした。
 今まで過去に囚われていた陛下が、それを克服出来る鍵になった
人物が言った言葉なのですから、実践性、信憑性においては、疑い
ようもありません。

 しかし彼は、『それでも』と考えてしまうのです。

 陛下はただ単に両親の子供ではなかっただけで、それに何の罪も
無く、またそれは誰の命を脅かすものでもありませんでした。
 もちろん、前国王陛下の弟殿下のような愚行に走れば、その代償
は払わなければならないでしょう。
 ですが、自分のように、生きるために人の命を奪う事を生業とし
て来た者と陛下では、その根本が違うのです。


 それでも本当に、そんな事を考えてくれる人間が現れるのか――


 そうやって考えてしまうと、急速にローランの心は冷え冷えとし
て来ました。
 もうエルヴィーラ様の言ってくれた言葉が酷く遠くに感じられ、
手の中の暖かな料理さえも、厭わしい物に思えて来るのです。

 それを追い払うかのように、大きく息を吐くと、ローランは料理
をテーブルに置き、この部屋に来た本来の目的を果たす行動を取り
ました。
 そしてそれが済んでしまうと、その温もりを断ち切るよう、振り
返りもせずに部屋を出て行きます。

 次に戻って来た時、それが冷え切っている事を半ば願っている自
分を感じ、口は自嘲に歪みます。
 ですが、彼にとって、今はそれが最も自分らしく思えるのでした。

続く