【長い夜 その3】


「…それも、さっき言いました」

 マリルはローランの真剣な顔を正視出来ませんでした。

「…自分のだって?」
「…そうです」
「自分で食べる分?」
「そうです」


 自分は取調べを受けているのでしょうか。
 確かにここは陛下の寝室に繋がる廊下の途中で、そこをこんな時
間に歩いていたのは不審に違いありません。

「…じゃあ、それは誰が作ったもの?」
「そんなの…! もちろん…」

『自分だ』と言おうとしたマリルは口をつぐみました。
 それはどう考えてもおかしい話だからです。
 ですが、それはローランが待っていた言葉だったようでした。

「自分が作ったものを自分で持ち歩いてた。そして、それは自分の
食べる分だって言う。それは一体どこで?」
「…ローランさんは…、私が陛下とエルヴィーラ様に危害を加えよ
うとしてるって考えてるんですか? この料理で?」

 彼は親衛隊長なのだから、そういう考え方をされても仕方がない
のかもしれません。
 ですが、頭では分かっていても、それは彼女には辛い事でした。
 マリルは、さっき止まったはずの涙が、また滲んで来るような気
がしました。

「…そうじゃなくて」
「…?」

 ローランは何かを躊躇っているようです。
 でも、何故尋問をしている彼が戸惑う事があるのでしょうか?

「…だから、あれは…」


 そう口ごもる、彼の真意を知りたくなって、マリルは顔を盗み見
ます。
 すると、彼の頬は段々と赤くなって来ているのです。
 マリルはますます訳が分からなくなって来るのでした。

 そんな事が顔に出ていたのか、ローランは彼女が自分を見ている
のに気が付くと、更に顔を赤くして、そして思い切ったように言っ
たのです。

「…ああ! もお! だからあれは俺に持って来た料理だっていい
加減認めろよな!」

 そう言って、テーブルの上を指差します。

(――キ、キレられた――!)

 マリルは驚きました。
 確かに自分は彼に見え見えの嘘を吐いていました。
 でもそれは、ローランのため…、確かにちょっとは自分の自尊心
のためもありましたが、十割中七割は、彼の負担を減らそうと思っ
て言った事だったのです。

 それなのに――!
 マリルは段々と腹が立って来てしまいました。
 自分がずっと悩んでいて、どんな思いでこの料理を作ったか、ま
してや急に婚姻が決まってからの自分の心情、その何を知ってこん
な事を言うのでしょう。

 そう考えると、まだ目覚めたばかりで、十分に理性が働かないせ
いなのか、普段の彼女には似合わず、ストレートに感情を言葉にし
てしまいました。

「…それが何なんですか! そんな事がローランさんにとって、そ
んなに重要なんですか?」

 そんな強い言葉の返答に、今度驚いたのは彼の方でした。
 その証拠に、しばしあっけに取られ、言葉が出てこないようです。
 そんな様子が分かったマリルは更に言葉を続けます。

「そうです! 確かにあれは私がローランさんに作って来た物で
す! 迷惑だって分かっていたら、しませんでした! …でも、迷
惑だって、…今は分かったから、もうしません!」

 出来るだけ毅然と言い放つつもりでしたが、言葉の最後は声が震
え、悲鳴のようになってしまいました。
 そんな自分が情けなく、こんな事を言ってしまう自分が嫌で、マ
リルはベッドから抜け出しました。
 そしてテーブルの上に並べてある、今日と先日持って来た、自分
の持ち物を両手に抱えるとドアに向かいます。

 しかしその行く手は、またしても彼に遮られてしまいました。
 マリルは涙目でローランを睨んで言いました。

「…これで良いでしょう? もう嘘は言ってません。だから私を部
屋に戻してください!」

 ところが彼は、いつもの涼しい顔からは想像出来ない、子供のよ
うな困った顔でマリルを見るのです。

「…ダメだ!」

 その物言いも、まるで駄々っ子の我侭のようで、彼女は弟と話し
ているような感覚に囚われます。

「…ダメって…、私、もう話す事ありませんから!」
「…それは…、俺にはあるんだよ!」
「――」

 ドアの前に立ちはだかる背の高い青年は、マリルよりも年齢も力
も上なはずなのに、何故こんなに必死に自分をこの部屋に留め置こ
うとするのでしょう。
 彼がその気になれば、力ずくで従わせられる事も出来るはずです。
 本当に自分を不審者として疑っているのならば、外の警備の部下
を呼んで来ると言う手もあります。

 ですが、彼はそんな事も考え付かないように、一生懸命にドアの
前を守るのです。
 ローランの圧倒的優位なこの状況で、マリルは自分が彼をいじめ
ているような気分になって来ました。

 そんな事は理不尽この上ないのですが、そう思ってしまえば好意
を持っている自分の負けでした。
 彼女はローランに背を向け、この部屋に入った時に示された椅子
に向かいます。
 先程手に抱えた荷物をテーブルに置くと、椅子を引いて座り、
ローランがこちらに来るのを待つように彼を見上げます。

 そこまでしてやっと安心したのか、彼はドアからの呪縛が解け、
テーブルに向かう気になったようです。

 間もなく目の前に彼が腰掛けましたが、二人の間にはしばらく沈
黙が続きました。
 話があると言ったのはローランの方なので、マリルは黙ってそれ
を待つつもりでした。
 ですが、数分が経過しても彼の口からは何も言葉が出て来ません。

 仕方なくマリルから口を開こうとした時でした。

「…おいしかったよ」

 それがやっと、ローランの口から出た言葉でした。

続く