【長い夜 その8】


 俺はとある貴族の子息として王宮に上がる事になった。

 この仕事の大元の依頼主は、ソウの父である陛下の異母弟殿下で、
事を速やかに進められるよう、懇意の貴族の中でも取り分け由緒正
しい貴族を吟味してくれたらしい。
 そして、実際に王宮に上がるまでの数ヶ月、その貴族の屋敷に住
み、最終的な作法などを教えてもらった。

 ただ、それでも王宮と言えば、究極とも言える血統の者が集う場
所だ。
 俺のような偽者が入ったら、たちまちばれるんじゃないかという
不安はあった。
 でも、それは取り越し苦労だったようで、俺の立ち振る舞いに疑
問を抱く人間はいなかった。

 王宮に入ってすぐ、俺はまず国王陛下と王妃に謁見し、それから
王子が住んでいる御所に連れて行かれた。

 今と違ってソウは、この王宮じゃない極秘の場所で、厳重な警護
の元に暮らしていた。
 それは陛下が考案した事で、やっと授かった王子を敵の手から守
るため、その場所はほんの一握りの人間しか知らされていなかった
らしい。
 その徹底振りは、俺を搬送する際にも目張りをした馬車に押し込
み、目隠しをされて連れて行かれた事からも窺えた。

 こんな風に大切に扱われているという事は、王子はさぞかし我侭
放題で育っていると予想され、俺は会う前から気分が悪くなって来
た。
 俺は唯でさえそんな生活を追われた人間で、その上今まで接して
来たのは、いくら子供よりも質が悪いとは言え大人ばかり。
 このまま単身乗り込んで、暗殺者だと気取られれば、命の保証は
無いに等しいんじゃないだろうか。

 ところがこの懸念も取り越し苦労に終ってしまった。

「…はじめまして。ぼくの名まえはソウといいます」

 顔の周りに花が飛び散っているような、屈託の無い笑みを満面に
浮かべながら、俺の胸辺りの身長の少年が名乗って来る。
 これがこの豊かなジャーデ王国の第一王子かと、少々拍子抜けし
ながらも、俺が礼を取って片膝を折り、名前を告げると、彼は警戒
もなく俺に近付いた。

「ローラン…。かわった名まえですね…。ぼく、今まで聞いたこと
ありません」

 俺の名前はヴィーボが勝手に付けた外国人名で、俺の出生とは全
く関係が無い。
 ただ、この国の者ではない血が入っているのは確かで、名前同様
に、珍しい外見が興味をそそったのかもしれない。
 また、ソウは五歳、俺は十二歳という年齢差があっても、これで
も周りの人間からすれば、一番歳近い者同士で、外見が子供然とし
ている者に対する親近感が湧いたというのもあるだろう。

 相手がこんなに聞き分けの良いご子息様なら、俺の仕事は容易い
ものだと安心し、緊張が一気に解けて行くのが分かった。
 リスクは承知の上と理解しているはずだったのに、内心相当怯え
ていたようだ。
 当たり前だ、俺は自分が死ぬより恐ろしい事は無いのだから。

 俺が死んでも誰も悲しまない。
 だから俺は死にたくない。
 自分は人を殺して来て、何て虫の良い話だと思うが、そんな価値
の無い死は御免だ。

 死と言えば、俺は『暗殺』目的で王宮へ送り込まれたが、それを
遂行するかしないかは、この時点ではまだ決めていなかった。

 それは単に、暗殺の告発で俺の枷が外れるなら、そうしても良い
かもしれないという考えも捨て切れなかったからだ。
 ただ、それには俺の安全が保障されていないと意味が無い。
 口を割った俺だけが許されるなんて、年齢だけで訴えても虫の良
い話に違い無い。

 しかも、俺には余罪が多すぎる。

 確かに好んで自分から手を染めて来た訳では無いが、それでも事
実は事実だ。
 それを奴らに吐かれれば、いくら歳若くても、罪に問われる事は
免れ無いだろう。
 それにヴィーボは、俺が手ずから息を止めてやらなくては。

 つまりは全てが俺の都合だ。
 ここで時間が稼げそうなら、ソウの命も永らえるが、それがうま
く行かない時は、『仕事』として割り切らせてもらうつもりだった。
 俺はそんな考えに吐き気がした。
 ヴィーボの事を憎悪しながら、やっている事はヤツと同じだった
からだ。

 取り合えず、暗殺の事は棚上げし、俺はここでの信頼を勝ち取る
事に専念した。

 俺は今まで通り、周囲の人間に気に入られるように、心を砕いて
付き合った。
 その間に、俺より以前に入り込んでいる、王弟殿下の手下との接
触もあって、そいつらは俺の監視兼、指令を伝える役目を果たすと
言って来た。
 指示に関して言えば、暗号文のような手紙でやり取りをするとヴ
ィーボから聞いていたのに、どうやら依頼主はそこまでヤツを信用
していないらしい。
 当たり前と言っては当たり前だ。
 せいぜいお互いを疑心暗鬼し合ってくれてれば、俺が有利に動け
ると言うものだ。

 もちろんソウには万一の保険として、他の人間以上に気に入られ
るよう振舞うのは怠り無い。
 その甲斐あってか、実際ソウは、俺の事を気にしてくれている様
子で、暇があると俺に会いにやって来た。

 しかしその暇も一日数十分程度。
『話し相手』と言う肩書きの割に、あまりにも一緒にいる時間が少
な過ぎて、これじゃあ親密度は頭打ちだ。
 埒が明かないと考えた俺は、ソウの面倒一切を見ている侍従長に、
もっとお互いを知る機会を設けたいと頼み込み、就寝以外の行動を
一緒にしてもらう事にした。

 これは今でも、続いている事だけど、既にその時から、あいつに
は朝から晩まで、恐ろしい程のスケジュールが詰め込まれていた。

 まだたった五歳――俺が同じ歳の時には、この半分だって何もし
ていなかった――だというのに、一国の王子がこなさなければなら
ない事は、こんなに大変なのかと驚いた。
 朝早くから毎日兵士に混じっての鍛錬から始まり、耳から覚えさ
せると言う事で、この国の歴史や政治、経済、そして他国の情報、
その他あらゆる事の聴講。
 今まで俺に会いに来ていたのは、この合い間だったのかと思うと、
そんな時間くらい休んでいた方が良いんじゃないかと思った位だ。

 今思えば、あいつは俺にも気を使って、無理をして時間を作って
来ていたんだと思う。
 そんな事にも気が付かず、俺は勝手に好かれていると思っていた。
 いや、好かれていると思いたかったのかもしれない。
 俺もソウと一緒の時間は素直に楽しいと感じるようになっていた。

 それはあいつが、王子という特権階級のくせに、全く偉ぶった所
が無く、我侭の一つも言わない、馬鹿みたいに殊勝なガキだったか
らだ。

 ある朝訓練場に行くと、いつものようにソウが先に用意をしてい
た。
 ところが普段と様子が違うので、俺は不審に思って訪ねたが、あ
いつは上気させた頬を隠すように、『ちょっと眠い』とだけ答えた。
 周りにお付きの者が何人もいて、まさか体調不良でも無いと、そ
の時はそれで済ませたが、その考えは少し甘かった。

 ソウはその頃、第一王子の責務に対し、強迫観念を持つガキだっ
たから、体調が悪いなんてのは構わない。
 熱があっても、槍が降っても、あいつは公務を優先する奴だ。
 これは困った事に今もあまり変わりが無い。

 そして臣下は主の言う事が最優先。
 あいつが『平気』だと言えば、臣下なら黙ってそれに従わなけれ
ばならない。
 もしそれに反抗し、押し留めてベッドに縛り付けられる事が出来
るとすれば、それはもう臣下じゃない。

 その後すぐに、ソウは兵士の一人との訓練中、相手の剣を避け切
れず、肩に怪我を負ってしまった。

 剣は練習用、体にも防具を付けての訓練で、傷を負っても大丈夫
なのは理解していたはずだった。
 なのにその瞬間、俺は気付くと、既にソウの体を抱き起こしてい
る自分に気が付いた。

 ソウはぐったりとしていたが、それは決して怪我のせいじゃない。
 呼吸が荒く、顔に張り付く前髪と、びっしょりとかいた汗を見れ
ば、誰だって高熱があるのが分かるだろう。
 なのにこのバカは、皆に心配を掛けたと言って詫びようとするん
だ。
 俺は何だか無性に腹が立って、初めてあいつに向かって怒鳴っち
まった。

「バカ! 具合が悪いなら何で言わない!」

 俺が敬語抜きで罵倒したんで、初めソウはきょとんとした顔をし
ていたが、俺の顔をじっと見て、何故か嬉しそうに目を細めた。
 それを見た俺は、自分が何であんな事を言ったのか、そして、あ
いつが何でそんな表情をしたのか分がからなかった。

 でも、今なら分かる。

 俺は、あの場所で押し込められてるソウが、自分と重なった。
 あいつも俺と同じように、それに反発する事が出来なくて、怖く
てびくびくと人の顔を窺って暮らしてる。
 俺はそれを感じて腹が立った。

 ソウは、…きっと俺があいつを本気で心配して――、今までの表
面だけの愛想じゃなく、ソウを思って怒ったのが分かっちまったん
だろう。
 あいつは本当に鋭すぎる馬鹿だから――。

 それから一年近く、俺はあいつとの生活がどんどん楽しくなって
来ていた。
 確かに歳は七つも違っていたけれど、お互いに友と言えるような
人間を与えられて来なかった俺達は、自然に深い情で結ばれてしま
った。
 侍従長の目を盗んでは、お互いの部屋に忍び込んで、俺が教えた
ゲームをして夜を明かしたり、王子と臣下という事も無視し、名を
呼び捨てにし合い、兄弟のようにじゃれあって過ごす毎日。
 そして、俺がすっかり自分を貴族の御曹司だと勘違いし始めた頃、
ついにそれはやって来た。

 そう、本来の目的――、王子の暗殺の命令だ。

 俺は心が凍っていくような感覚に襲われながら、王弟殿下の指示
を聞く。
 確かに今の俺なら、ソウの油断を買えるかもしれない。
 あいつは齢五歳ではあったけど、訓練を受けているだけあって、
俊敏さは普通の大人顔負けだ。
 でも俺も、ソウと一緒に訓練に出ていたお陰で、腕は全く鈍って
ない。

 やろうと思えばやれた。

 でも、まだ俺は何にもしてない。
 ここに来て、練るはずだった計画は、すっかりソウとの毎日で忘
れていた。
 まだ早い。
 俺にはまだ時間が必要だった。

 計画は現場の俺が練って実行するのだから、それを阻止するのも
容易だった。
 俺はいつもの遊びの延長を装い、ソウを武具庫に誘い出し、皆に
内緒で剣や槍など見て回る振りをして、倒れるように細工をしてお
いた棚へと誘い出だした。
 その上で、お付きの者達に知らせるようなドジを踏んでおく。
 そしてそいつらがやって来た時に、細工を作動させ、折り重なっ
て倒れ込む武器からソウを守ってやる。

 計画の失敗を聞きつけ、殿下の手下が問い詰めて来たが、邪魔が
入りそうになったので、それなら逆に、信用を得た方が得策だと思
ったと誤魔化した。
 どうせ奴らが直接乗り込んで来る事は無いので、処罰の心配が無
いのが有難い。
 そして一度の失敗は、警備が厳重になる事もあって、次の指令ま
でに時間が空く。

 俺はそれからも、心を隠してソウと過ごした。
 一緒にいる時間が長い程、あいつの抱えている悩みも知る事にな
った。
 それを解決してやる事は出来ないけれど、他の人間には言えない
事も、俺に話すだけで心が軽くなると言う。

 それが俺には辛くなる。

 ソウが俺を信頼するのは、偽者の俺の肩書きのせいだ。
 本当の俺の顔を知れば、俺に笑い掛ける事も、気を許す事も無く
なるだろう。
 分かっているのに、期待する。

 俺は必死に考えた。
 生き抜くための方法だ。
 でもそれは、どんどん違う方向へと向かって行く。
 ヴィーボへの憎しみも、彼女に誓った思いすら、全て忘れていな
いのに。

 次の命令はその半年後、その次はそれから三ヶ月。
 俺はその場を何とか凌ぐ。
 だが間隔が短くなっているという事は、殿下が相当焦れてる証に
違いない。
 そろそろ決断を下さなければ、俺を呼び戻す算段に進むだろう。

 果たしてそれは正しい読みのようで、四度目の指令はすぐに来た。
 俺の行動が不審を買ってか、俺単独の行動は止め、奴の手下も参
加させ、絶対の布陣で事を行うと言って来た。
 そしてその出来如何はもう問わず、俺の役目は終了する。

 でも、既に俺の心は決まっていた。
 自分の命とソウの命、それを天秤に掛けてみれば、どちらが重い
のかは決まっている。

 もうソウにも会う事は無い。

 自分で決めたはずなのに、あの時と同じように胸が詰まった。
 押さえても押さえても涙が後から溢れ出す。
 だから俺は泣きながら、全てを終らせるためにその場所へ向かっ
た。

続く