【長い夜 その9】


「…それから、俺はソウの部屋に向かった。

 俺は…、あいつを連れて侍従長の部屋に行って、…あいつの首に
剣を突きつけながら言った…。
 俺は王弟殿下に頼まれて、ソウを暗殺するためにここに送り込ま
れた人間だって…。

 あいつを連れて行ったのは、一人で告発した所で、俺の言葉を信
じてもらえる自信が無かったからだ。
 子供の悪戯だと思われ、それが漏れれば俺だけ始末されて、奴ら
は姿を隠すだろう。
 でもいつか再び、きっとソウの暗殺は行われる。
 それだけはどうしても避けなきゃならないと思ったんだ…。

 何故ならあいつは、俺に『信頼』なんてものを与えちまったから
…。
 俺が騙していたとは言え、自分を殺しに来た人間にそんなものを
与えるなんて…、本当にバカで…、救いようの無い話だけど、俺に
はそれを笑えない。
 だって、俺も、人からそれを受け取るのなんて初めてで…、それ
がまた嬉しかったから――。

 だから俺は、殺されたあの可哀想な人の仇を討つ事も止め、ヴ
ィーボを憎む事さえ忘れた。
 そして今まであんなに嫌だった自分の死すら、どうでも良くなっ
ていた。
 そんな事でソウが助かるなら、俺は何でも捨てられた。

 俺はその場で捕らえられ、すぐに牢に繋がれた。
 そのままもう二度とソウには会えないと思ってたよ。
 王子暗殺と言う、重罪人という事で、即処刑も決定したって教え
られたし。

 俺の側に死が確実に近付いているのが分かると、その怖さよりも、
あいつが俺に心を許した事を悔やんでないか、それだけがすごく気
になった。
 俺は…、裏切ってた後ろめたさで、最後までソウに何も言えなか
ったから。
 生き続けるあいつから、『信頼』というものを奪ってしまったと
したら、それは悔やんでも悔やみきれない事に違い無い。
 でも、もう遅い、俺はいつも間に合わない。

 そう思っていたのに――、嘘みたいな話で、ソウが俺の牢にやっ
て来たんだ。
 俺の素性も教えられた上で、俺自身が明かした暗殺者だって事も
分かってて、あいつはもう一度俺の心を探ろうとやって来た。

 やって…、来てくれたんだ…。

 あいつは俺に…、泣きながら、言った。
『本当に僕を殺そうと思ったの?』って…。

 俺は…、送り込まれた時、ソウの命なんて何とも思っていなかっ
た。
 だから後で出来なかった事は関係無い。
 俺はソウを殺そうとした。
 それは、本当の事だから、俺は頷くしか出来なかった。
 それなのに――

 ソウはその後…、俺を助けるように陛下や皆を説得してくれた。
 王弟殿下をはじめ、この暗殺計画に係わった他の人間達は、こと
ごとく捕らえられて、皆処刑された事からしても、俺の処分は例外
中の例外だったと思う。
 あの皆に気を使いまくっていたソウが…、きっと、…初めての我
侭だったんじゃないかって思う…。

 俺はそれからずっとソウと一緒だ。
 それは俺が受けた恩を返したいって言うのよりも、俺があいつと
いる事を望んでいるからだ。
 俺は…、あいつといるためなら、何でも犠牲に出来ると思ってた。
 あいつを守るためなら、俺はきっとまた躊躇い無く人も殺せる。

 俺は今まで、部下にも、周囲の人間にも、俺の過去は隠して来た。
 それは、そんな人間がソウの側にいると分かって、あいつが不評
を買うのは困るし、俺がサポート出来ない位置に回されるのも困る
から。

 それと…、他の人間に話して、やっぱり俺の過去をとやかく言わ
れるのが嫌なのもある。
 俺のやって来た事は、他の人間からすれば、極悪非道な事だと思
うし、それを非難するのは仕方無い事なのかもしれない。
 でもそれは他の人間が、与えられた今の場所を持っているからだ。

 だったら、俺と同じ条件に放り込まれても同じ事を言えるのか、
そんな問答に意味は無いのが分かっても、そう言われたら、きっと
俺はそう言ってしまうだろう。
 だから言わない。
 だから係わらない。

 俺の過去をエルヴィーラ様にも話した事があったけど、あれは本
当に稀な事で、その時は、俺が嫌われても、ソウとエルヴィーラ様
の仲がうまく行くならって思ったからだ。

 そうやって来たし、これからもそうやって行くつもり…」

 不意にそこで言葉が途切れ、ローランは大きく息を吐き出しまし
た。

 あれからどの位の時間が経ったでしょう。
 マリルがこの部屋にやって来てからすると、数時間の時が流れ、
そろそろ日付も変わる時刻に近いのではないでしょうか。

 ですが二人の間には、ローランが語る過去の時間が流れ込み、数
時間どころか、数十年が流れ去っていたのです。
 話し始めの頃には、笑顔だったローランの顔も、やはり昔の痛み
や苦しみを思い出す度に、沈痛な表情を隠す事が出来ないようでし
た。

 そして、一気に語って来た過去が終わりを告げ、次の言葉で今の
時間が流れ出したのです。

「…だったんだけどな…」

 そこでまた一拍置くと、前後の話をまとめるようにローランは言
います。

「後は、この話の前に話した通りだよ。俺は…、ソウに頼まれて、
エルヴィーラ様のお茶会に参加して、そこで何の因果か、俺よりお
菓子にばっかりに目が行ってる君に会った。俺が人に興味持つなん
て、そんなにある事じゃないのをエルヴィーラ様が敏感に悟って、
今に至るって訳」

 そして、今度は小さく溜息を吐きながらローランは言いました。

「だからもうそろそろ顔を上げてくれないかな? マリル」

 そう呼び掛けられ、マリルの肩が『びくん』と動きました。
 でも、依然としてマリルの顔は上がりません。

 ローランが話し始めてから暫くして、彼が幼少に受けた暴力の事
に及ぶと、彼女は顔を真っ青にして手を宛がいました。
 そしてついに彼が自分の手で人の命を殺めた告白に至ると、やは
りショックは隠せなかったようで、胸に手を当て、俯いてしまった
のです。
 それからローランが話し終わるまでの間、マリルは再び顔を上げ
る事がありませんでした。

 ですが、こうやってローランに促されても、マリルは顔を上げよ
うとしません。
 覚悟していた事とは言え、それを見たローランは、重い物を飲み
込んだように胸が痛く、そして苦しくなりました。

「…ごめんなさい」

 マリルから小さな声が返って来ました。
 その一語一語が、彼の胸には針のように突き刺さります。
 そんな痛みを気取られまいと、ローランは深く息を吸って答えま
す。
 それは、彼女が受け入れてくれなくても、聞いてくれた事に対す
る、あらかじめ考えておいた感謝の言葉でした。

「…ううん、良いんだ。俺の方こそ――」

 ところが、その言葉に何かを悟ったのか、すぐ様マリルは、ロー
ランの言葉を遮るように声を上げます。

「ち、違うんです! ごめんなさいって言ったのは…、そうじゃな
くて…」

 ですが、まだその顔は両手で覆われていて、ローランからは、見
えないようにガードしているのです。

「わ、私…、表情でローランさんが気持ちを読み取られるの…、や
っぱり怖くって、顔上げていられなかったから…。だから、それを
…謝りたくって…」
「…マリル…」

 そしてマリルは、やっと顔から手を外しました。
 やはりそう言われても、ローランは反射的に彼女の表情を読んで
しまいます。
 瞳は赤く充血し、困ったように頬を染めて見上げるマリルの顔に、
嫌悪の表情が浮かんで無い事に、彼はひとまず安心しました。

「…ごめん。でも、もっと激しく拒絶とかされると思ってたから、
ほっとしたよ…」

 ローランが安堵しているのが分かったのでしょう。
 マリルもようやくローランを真っ直ぐ見て、きっぱりとこう言う
のです。

「…しません! 拒絶なんて! だって、私、まだローランさんと
お話した事もそんなに無いですけど、でも、お話を聞く前も、聞い
た後だって、ローランさんはローランさんなのは、分かってまし
た!」
「……!」
「…私難しい事は分かりませんし、ローランさんや陛下のように、
人の心を読むなんて事は出来ません。…でも、ローランさんが本当
に心の冷たい人だったり、人を欺いて平気でいられるような人なら、
きっと…好きになんか…、なれません! それは…、直感で絶対に
分かりますから!」

 マリルは初めてローランに『好き』という言葉を言った事で、や
っと言えたという高揚感と、恥ずかしさが一気に押し寄せ、目の前
が眩みそうになるのが分かりました。
 そんな軽い酩酊状態になったマリルは、脳内ストッパーが解放さ
れてしまったのか、頭に浮かぶ事を端から喋り出してしうのです。

「…私、私…、確かにびっくりしてますけど、ちょっと怖いなって
思ったりもしましたけど…、あ、でも、本当にちょっとですから!
 そう、私、顔に出やすいし、でも、でもですよ、心の中が全部顔
に出るなんてありえませんよ! 心ってもっと色々深いですから!
 確かに私だと八割は出てしまっているかも…しれないですけど、
でも、それだけで、ローランさんに私の気持ち全部とか、判断して
欲しくなかったんです! …だって、だって…、ローランさんが言
ってた通り、私は私の生活して来た所しか知らなくて、それはロー
ランさんも私がどんな風に育ってきたのかが分からないのと同じだ
し! という事は、私も…、ローランさんだったら、同じようにし
ていたかもしれないですから…! だったらやっぱり善悪なんて、
そんなの決め付けられないです! それは、亡くなった方は本当に
可哀想なのかもしれません…、でも、申し訳ないけど、私はローラ
ンさんが頑張って生きて来てくれた事が嬉しくなっちゃうんです。
それって酷い事かもしれないですけど、それが私の本心で…、じゃ
なかったら、会えてませんでした! だから、会えて嬉しいし、―
―っていうか、ちびっ子ローランさんが悪いなんて、そんな事言う
人いたら、私が許さないです! ああ、もちろん陛下をいぢめる人
も成敗です! だからだからローランさんは悪くないですっ!」

 最後の声は、多分壁を通って、廊下へ届いていたようなトーンで
したが、ローランはあっけに取られ、マリルを止める事も忘れてい
ました。
 当のマリルは、言いきり荒い息を整えている状態で、やっと酩酊
状態が抜け、はっと気付いたように彼の顔を見ました。
 そしてしばしの沈黙――

「――――っ!」

 目の前でローランが、口に手を当て、声を殺して笑うのを見て、
マリルは再び自分の顔を両手で被ってしまいました。
 自分が言った事で間違った箇所は無いと思うのですが、言わなく
て良い事まで言ってはいた気がします。
 マリルは恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、ローランが落ち着
くのを待つしかありませんでした。

「…ありがとう」

 暫く肩を上下していたローランから、小さな声が聞こえました。
 マリルは恥ずかしさで俯いていた顔を上げて、彼の方を見ました
が、ローランの顔はまだ自分の手で隠れたままで、その表情が分か
りません。

「…ローランさん?」

 そう問い掛けると、ようやく彼の手は顔から離れ、彼もまたマリ
ルを見ました。
 その瞳には、まだ綺麗な涙が残り、今にも零れ落ちそうになって
いるのです。

「…なんか、すげー嬉しい」

 そう言って、彼がまばたきをすると、それは頬を伝い、美しい筋
を作ってテーブルに落ちます。
 それを見たマリルの瞳にも、見る見る涙が溢れてきました。

「…あ、マリル、ちょっと、ストップ!」
「う、えう、ほんな、…んなの…、ムリれ…」

 ローランは少し考えると、体を乗り出して、マリルの手を握りま
した。
 すると、途端に驚きの方が勝り、彼女の涙は引っ込みます。

「――っ!!」
「あ、やっぱり止まった」

 そうして手を握られた状態で頭を沸騰させるマリルに、ローラン
は本当に嬉しそうに笑うと、もう一度ゆっくりと繰り返します。

「…ありがとう。…あと、やっぱり、マリルはすごいよ」

 その言葉にマリルは、賞賛以外の含みも感じられましたが、自分
の好きな人の最高の笑顔を見せられては、降参しない人間はいない
でしょう。
 つられてもしかたの無い事と諦めて、マリルも笑顔になってこう
つぶやくのでした。

「…ローランさんは、…ちょっとずるいです」

続く