【夜の終わり】


 ローランとマリルは、彼女の宿舎に向かう廊下を歩いていました。

 既に城の者達は寝静まっている時間なため、配置されている警備
の者以外、廊下に人影はありません。
 ですが、その警備を担っているのはローランの部下なので、その
付近を通りかかる都度、一様にその者達が驚いた視線を二人に向け
るのです。

 それは仕方の無い事かもしれません。
 部下達にしてみれば、その容姿から、思いを寄せる者は後を絶た
ないローランでしたが、浮いた話は終ぞ無く、このような深夜に女
性同伴で出歩く事など、到底考えられ無い事だったからです。
 そんな部下の視線を受けながら、ローラン自身は毅然と歩いてい
ましたが、居たたまれないマリルが、彼より先に根を上げてしまい
ました。

「だから一人で大丈夫だって言ったのに…」

 過去の話を聞き終わると、マリルはそろそろ部屋に戻ると切り出
しました。
 その言葉で、話すのに夢中で時を忘れていたローランは、時刻が
既に次の日になっているのが分かりました。
 彼女は様々な事を考えて、一人で戻ると主張したのですが、それ
を聞くローランではありません。

「こんな夜更けに女の子一人で帰せる訳無いだろ? 何だよ、俺に
送ってもらうのって、そんなに迷惑?」
「ち、違いますよ! そりゃあ、そんなの…、う、嬉しいに決まっ
てるじゃないですか…! でも、私とローランさんがこんな時間に
一緒なのが分かると…、大変な事になるんですよ! 侍女達の間
で!」

 宿舎に着く前に、ローランの部下から視線攻撃を受ける事は想定
外でしたが、彼女にはそれよりも恐ろしい事が予想出来ていたので
す。

「…侍女達の間で? …どうして?」

 本気で心当たりの無い表情を浮かべる彼に、マリルは涙目になり
ながら訴えます。

「だって私! お昼を一緒に食べただけで、侍女仲間全員に吊るし
上げ食らったんですよ! ももももし、こんな夜中までローランさ
んの部屋で一緒にいたなんて知られたら…、今度こそイノチのキケ
ンなんですよ! 怖いんですよ! ローランさん、ぜんっぜん分か
ってないでしょう!」

 そう言って、本当に恐ろしいのか、マリルは身を竦めて震えるの
でした。

「オーバーだな…」

 自分の人気と、女同士の暗黙の鉄則を分かっていないローランは、
眼を細めながら、その震えが気温変化のせいと見て、自分の上着を
マリルの背に掛けました。

「え…? あ! あ、ありがとうございます」
「いえいえ、どう致しまして」

 普段から女性として扱われ慣れていないマリルは、ローランの心
配りに心臓が飛び出しそうになってしまいます。
 その逆に、そつのない紳士然とした彼の態度は本当に見事で、マ
リルは先程まで聞いていたローランの過去が、自分の夢か何かと思
いそうになりました。

 夢――、それは本当に今の状況にぴったりの言葉だとマリルは思
います。
 ジラルディーノの片田舎しか知らずに育った自分が、こんな異国
にやって来て、横を歩く美しい男性と恋に落ちる。
 自分が幼い頃、姉達から聞いたおとぎ話の主人公は、確かにそん
な人生を歩んでいたと記憶しています。
 でもそれは、自分の主人であるエルヴィーラ様のような方にしか
与えられないものだったはずなのです。

 もちろんその相手は王子様でしたが、ローランは王子だと紹介さ
れれば、誰もが納得するような、気品と美貌を持っています。
 この彼が、あの時何度と無く自分を好きだと言ったなんて、恋心
が生み出した妄想といった方が、納得が行くのではないでしょうか。

 上着に残る彼の香りに包まれながら、煮えた頭でそんな事を考え
ていると、ローランが彼女に向かっておずおずと問い掛けました。

「…あのさ…、例のいいなずけの事は…、どうするつもりなの?」

 そう言われ、マリルがローランの顔を見上げると、彼の瞳が心配
そうに自分を見ているのが分かりました。
 どうやら先程までの事は夢でも何でも無いようです。
 それでようやくマリルは安心し、大きく息を吐きながら自分の気
持ちを伝えました。

「あの…、朝一番にでも、お断りしますって、姫様に言いに行こう
かと思ってるんです」
「あ、…うん。そっか…」

 安心したように弾んでいる彼の声を聞き、マリルも胸がほわほわ
と熱くなりました。
 ですがすぐ後に、ローランは真面目な顔で聞き返します。

「でも…、本当に…、マリルはそれで良いの? だって、俺のせい
で…断るんだよな…」
「…え? い、いえ! それは…、ローランさんのせいじゃないで
す。だって、私、本心は帰りたくなかったですから! そりゃ、ジ
ラルディーノは生まれ育った国だし、肉親がたくさんいますけど
…」
「……」

『肉親』という言葉を聞いた時、ローランの瞳に悲しい影がさすの
が分かりました。
 それが肉親を知らない自分の負い目からなのか、あるいはマリル
を肉親から引き離す罪の意識からなのかは、彼女には判別が付きま
せん。

 ですが、その悲しい色を見て、マリルはどうしても彼に伝えなけ
ればならない言葉が思い浮かびました。
 言いたい言葉が面映ゆく、マリルは顔を真っ赤に染め、それでも
真っ直ぐローランを見て言いました。

「だって…、…ローランさんが、陛下のそばにずっといたいと思う
ように…、私も…、ローランさんのそばにずっといたいんです
…!」

 言い切ったマリルは、心臓が大きな音を立て追って来るのが分か
りました。
 そして聞いたローランも、同じように顔を紅潮させて、やり場の
無い照れ臭さと戦っているようでした。

「…そ、そう。あ、え、俺…、俺も…。…そ、そっか…、良かった
…」

 それだけを言うのが精一杯の彼を見ると、その人が先程までの完
璧な紳士だったとは信じられない位です
 その様子を見たマリルは、そんな可愛らしい彼を、少し困らせた
くもなってしまいました。

「…ええ。…でも、ローランさんに迷惑がられてるって思った時は、
一瞬帰っちゃおうかと思ったんですけど…」

 すると、何て反応の良い事でしょう。
 即座にローランの顔が情けなくなるではありませんか。

「…お、俺、嬉しかったって言ったのに…」

 そんな風に拗ねた口調はまるで少年のようで、普段とのギャップ
があり過ぎて、マリルは頭に血が上るような感覚に陥りました。
 自分で仕掛けた罠に、自分ではまっていれば世話がありません。

(こ、こういうのって、自分では分かってるのかしら? だからず
るいって言ってるのに――)

 彼女は更に頭から盛大な湯気を放出しつつ、自分の頬をぴしゃぴ
しゃと叩いて気を静めようと試みます。
 そんなマリルの不思議な行動を横目に、ローランはふと、思い出
したようにマリルに尋ねました。

「あれ? …そう言えば、何でエルヴィーラ様に? 実家に手紙と
かを書くんじゃないの? って、ああ、エルヴィーラ様にも話した
からか…」

 話が変わった事で、冷静になったローランの変わり身に、彼女も
少々頭が冷えたようで、
「あ、いえ、それが――、今回の私の結婚話は、実家から姫様にお
話が来たらしくって、私が直接受け取った手紙とかは無いんです」
 と答えました。
 するとその返答に疑問が湧いたのか、ローランは重ねて尋ねます。

「え? でも最初、エルヴィーラ様はマリルが婚約してるのも知ら
なかったんだよね? マリルの実家とエルヴィーラ様がそんなに懇
意にも思えなかったんだけど…、やっぱりお仕えしている姫様に言
わないとっていう事なのかな…」

 そう言われると、マリルにも腑に落ちない事柄があったのを思い
出しました。

「…それが、私もちょっと不思議だったんです。まず、そのお話を
お聞きする少し前に、実家から色々送られてきた中に手紙も入って
いたんですが、そんな話は全然書いていなかったんですよね…」
「…そうなの?」
「はい。でもその時は、そんな事もあるのかなあって…。でも、言
われてみれば、確かに両親が直接姫様に手紙を書くなんて、恐れ多
くて出来ない気がします…。なら、たぶん誰かを通して言って来た
のかもしれませんが、そうしたら私にも後から手紙をくれるような
気はするんですが…、今だに何も無いのは変ですね…」

 話を聞く内に、ローランはある符合に気が付きました。

 それは、自分にマリルの婚姻が早まった事を伝えて来たのもエル
ヴィーラ様で、その発端の話を彼女に伝えたのも、またエルヴィー
ラ様であるという事です。
 そもそも、一番最初に自分とマリルがまだ意識し合ったかも分か
らない時、見抜いていたのも彼女だったのでは――?


 そうまるで、彼女の手の中で全てが行われていたような――


 ですがそこまで考えて、ローランはそれを否定しました。

 何故なら、エルヴィーラ様が仕組んだ事であれば、きっと自分は
それを見抜けるはずだと思ったからです。
 彼女の行動は、男らしいまでに一直線なため、隠し通す事なんか
――

「…あ!」

 いきなり発せられた大きな声に、マリルは驚いてローランを見上
げました。
 すると、彼の顔は見る間に赤くなり、眉根を上げて怒り出したの
です。

「ローランさん? ど、どうしたんですか?」

 マリルがそう言うと、彼女の存在が冷却効果になったのか、すぐ
に表情が元の優しい彼に戻ります。
 ですがそれを通り越し、今度は情けない表情になると、彼女に向
かって、頭を抱えながら言うのです。

「…あー、見えた…」
「え?」
「…いや、もう、何て言っていいのか…」

 ローランの意味不明の呟きに、マリルは困惑の表情を浮かべます。
 そんな彼女の肩に両手を置くと、ローランはゆっくりと息を吐い
て言うのです。

「…エルヴィーラ様の所には、俺と一緒に行こう」
「え? でも…」
「良いから、一緒に行こう! それで万事解決だ!」
「か…、かいけつ?」

 うんうんと頷くローランに、何故か諦めを感じたマリルは、彼女
もローランに合わせて同じように頷き、明日の約束を取り交わすの
でありました。

続く