◆◇ はじまりはじまり ◇◆

むかしむかし。とはいっても、皆さんにはなじみのない時代と国のお話です。

あるところにジラルディーノという王国がありました。その国は、あまたある国の中で、
国土の広さや、国家の富裕度などを比べると、まさに全てがそこそこという、中流を絵に
描いたような王国でしたが、少し変わった特徴は、民に愛される優しい陛下と、美しくて
賢くて、ですがお怒りになられると誰よりも恐ろしい、国の頭脳と評判のお妃様がいる事
でした。
そして更にもう一つ付け加えるならば、とても美しい…、だけではない姫君がいらっし
ゃる事でしょうか…。
その姫君の名前はエルヴィーラ。
王妃以上と称される美貌の彼女は、幼い頃から近隣の王侯貴族を魅了し、求婚する者が後
を立ちませんでした。その中にはジラルディーノの何十倍もの国土を持つ大国の陛下もい
らしたので、これを聞いた臣下や民は、彼女のお輿入れの安泰、ひいては国の繁栄を確信
して疑う事はなかったのです。
ところが、実際に彼女が婚姻にふさわしい年齢を迎えた頃、事態は一変してしまったの
です。何故なら彼女は、求婚を申し込んだ者の身分の貴貧など関係なく、片っ端から断り
倒したからなのです。
何故そのような事をいたかと言えば、求婚者達のある一点が、彼女にとって非常に不満
だったからでした。
そのある一点とは…、それは求婚者の『容貌』でした。

…つまりエルヴィーラ様は、恐ろしいほどの『ド面食い』だったのです!

まだまだ若い彼女には、ガッツと根性が有り余りすぎていたようで、自分の高い理想を
決して曲げる事なく、バッサバッサと求婚者を切り倒して行きました。さながら森の木を
なぎ倒すかの勢いだったため、御歳十七になるまでには、育ちの良い樹木(求婚者)はほ
ぼなくなってしまったほどです。
そしてその頃には、怒らせると恐ろしい王妃様の堪忍袋も、パンパンに膨れ上がってし
まっていたのでした…。

そうそう、この国には姫だけでなく、跡継ぎの王子様もいらっしゃいました。
王子様の名はエリク。物静かな若き次期陛下は、ご両親の良い所取りと評判の王子では
ありますが、少々パンチが効き過ぎている姉姫様と比べると、話題性が乏しく忘れられが
ちなのが玉にキズです。
勉学にもご熱心で、お優しい性格は臣下からも大変慕われているのですが、長年の刷り
込みのせいか、いつも姉姫にはやられ放題だったりする訳です。
そう、こんなふうに――

「イヤといったらイヤ! あたしは素敵でカッコ良くて、何よりハンサムじゃないと結婚
なんてしないんだって言ってるでしょ! そんなに結婚させたければ、エリクを嫁がせれ
ばいいじゃないのっ!」
「ひ、ひどいや! 姉さま! ボ、ボ、僕は、この国のーー!」
「いい加減にしなさい、エルヴィーラ! エリクは私の後を継いで次期国王になる身! 
そんな事が出来るわけないだろう!」
「いーじゃないの! あたしが残って素晴らしい男性を婿に取ってあげるわよ! だから
あんたは頑張って玉の輿姫を探しなさい!」
「ばかもん! それは跡取りのない国だけだ! どこに、王子がいながら国を継がせない
道理があるものか!」
「前例なんかなくたって、要はエリクがダメ王子だからって事にしちゃえば良いじゃな
い!」
そう言い、ビシッと指を王子に突き付ければ、幼少からの条件反射で、文句を言う事も
出来なくなってしまうエリク様です。
「う、うううー!」
その様子を満足気に眺めながら、更に意気込んで陛下へと言い募ります。
「なんであたしが行った事もない国に行かなきゃなんないのよ! しかも相手がどんな人
物かも内緒だなんて! 他の姫ならいざ知らず、あたしがそんな頭ごなしの政略結婚を飲
むと思ったら、オオマチガイー…」
ですが、そうやって気持ち良く吼えている所へ、まさかの天敵が現れてしまったのです。
「冗談なんかであるものですか!」
「っ! そ、その声…っ!」
いくら恐れを知らないエルヴィーラ様であろうとも、逆らう事が出来ない唯一の人物。
王妃殿下の登場に、彼女は言葉を詰まらせます。
「お、お母様?」
同時に陛下とエリク様の両人に、安堵の色が浮かびます。これはまさに形勢逆転。自分
の分が良いようにと、わざわざ父と弟の二人でいる時間に割り込んで、婚姻話の文句を言
いに来ていたというのに!
「…全く、陛下も陛下です。自分の娘の勢いに圧されてどうするのです! 良いですか、
エルヴィーラ」
一喝され、見るからに恐縮しまくる父親の姿を目の当たりにし、エルヴィーラ様も思わ
ず萎縮しそうになりましたが、ここで負けてはいられません。
「な、なによ、あああ、あたしはトーゼンの権利を主張してるのよ! だ、だから、お母
様の言う事だって、あた、あたし絶っ対に…!」
強がりを言いながらも内心の動揺は隠せず、声が震えるエルヴィーラ様でしたが、王妃
はそんな娘に容赦なく冷たい氷の一言を放ちます。
「…エルヴィーラ、あなたは今年で幾つになりますか?」
「ぐっっ!」
思わず言葉をなくす彼女を見て、『おお! 詰まった!』などと、すっかり傍観の体の
陛下と王子が呟くのが聞こえます。彼女はその呟きを耳にし、三倍返しにしたい衝動に駆
られながらも、目の前の敵と相対するので精一杯でした。
その人物が一番触れられたくない言葉で的確に傷口をえぐり、戦意を喪失させる。我が
母親ながら天晴れな攻撃に、何かを言い返そうとするも、口がパクパクと動くばかり。
そんな既に雌雄は決したこの戦いに、王妃は決して手を緩めません。
「あなたは今年で十八歳。いいですか、じ・ゅ・う・は・ち・です!」
人形のように整った美しい顔から、一言一言念を押すように放たれる辛らつな事実!
ただでさえ気にしている事であれば、そのダメージは計り知れません。しかし、それで
終わりではないのです。
「…世間ではそれを何と言うか知っていますか?」
「ぐぐっっ!」
そこでわざわざ一息置くのは、もっとも効果的な間を取り、次の言葉に決定的な破壊力
を与えるためですが、例えそうだと分かっていても、もう抗う術はありません。
「知らないなら教えてあげます。…世間でそれを、『行き遅れ』と言うのですよ!」
「ぐぐぐーーーーっっ!」
十三で成人と見なされ、婚姻を結べるようになる女子は、十五を過ぎれば立派な行き遅
れ。世間一般でそう言われる事くらい、その年齢を過ぎた彼女自身が一番良く知っている
事です。
それでなくとも、自分の美貌には恐ろしいほどの自信を持つ彼女が、それを屈辱と感じ
ているのは、この母だってもちろん知っているはずです。そして知っている故に、わざわ
ざこのように自分を追い詰めている。それが分かりすぎて、悔しさで目の前がにじみそう
になりました。
しかし、そんな事で完全に屈服させられてなるものかと、彼女の負けん気が一計を案じ
ます。この母に通用するかは、正直不安な所ですが、とにかくこの場を逃げ切るために、
彼女は出た涙も有効に使い、しおらしい演技をする事にしてみました。
「ひ、酷いわ…お母様。娘に向かって…」
そう言い、よよと崩れるその姿は、さすがに近隣諸国を惑わす美貌の姫君の名にさわし
く、同性であれ、憐憫を誘うものでした。ですが――
「行き遅れを行き遅れと言って何が酷いと言うのです」
その返答はまるで散弾のように、苦肉の演技に襲いかかります。しかも言葉の温度は絶
対零度。打ち抜かれたエルヴィーラ様は、まるで装備を全て破壊された兵士のごとく、す
でに残りのライフポイントは点滅している状態です。
助っ人登場と傍観していた陛下とマリク様のお二人ですら、この光景を目の当たりにす
ると、彼女に同情を禁じ得ない心持ちになるほどなのです。
しかしこうなれば、後は王妃の独壇場。これ以上苦痛が長引かないよう、祈るのみしか
出来ません。
「私が陛下に嫁いだのは十四です。あなたの歳には、既にエリクを生んでいましたよ!」
「――ぅっっ!」
「良いですか、エルヴィーラ! 王女といえど王の臣下! 国王陛下の命令は常に是! 
もしどうあってもあなたが抵抗する気ならば…」
「っなっ、んなっ!」
「北の塔に一生幽閉します!」
その場の全員の耳に重々しく轟く効果音。
これは王妃の最後通牒。冗談などではない事は、王妃の体を取り巻く壮絶なオーラが物
語っています。
(ええええええーーーーーー!本気ーーー?)
エルヴィーラ様は驚愕しました。今までしていたのは自分の婚姻の話だったはずなのに、
いつの間にか、『生』か『死』かの選択に変貌しているからです。
いくら『行き遅れ』の世間体が悪いからと言って、『幽閉する』などと誰が考えるでし
ょう? しかしこの母が、やると言った事は絶対違えないのは、娘である彼女が一番良く
分かっていたのです。
そうなれば、もう取る道は一つしかありません。うら若き(今はまだ)十七の身で、ハ
ンサムな夫もゲットしないまま、この身を滅ぼすよりは、この婚姻話を承諾し、一旦身の
安全を確保するのが最優先!
「あ〜〜〜〜っ! もう! わかったわよ! 嫁げばいいんでしょ! 行くわよ! 行っ
てやるわよ!」
半ば悲鳴のその言葉を耳にした王妃は、瞬時にいつもの美しい表情に戻り、ぱっと花が
咲いたような笑顔を見せます。
「やっと分かってくれましたか! 私もあなたの幸せを思って、あえてこのような苦言を
呈しているのですよ」
それを見たエルヴィーラ様も、完敗の屈辱を首にも出さず、極上の笑顔で答えてみせる
のです。傍から見れば、何と美しい母娘の光景!
ですが実際の中身はこの通り。
「はい…、良くわかっておりますお母様(どーだか、このやり手ばば…)」
「…北の塔でも良いんですよ…。本当はね…。(ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…)」
「! (眼、眼が笑ってない!)や、やだわぁ、お母様ったら! 私単にマリッジブルー
だったみたい。そうね! 女の幸せは結婚ですもの! きっと幸せになりますわ!」
そして再び、火花を散らしながら微笑み合う二人を見る陛下とエリク様の頭の中で、王
妃の連勝記録だけが加算されて行くのでした。

ついに年貢の納め時。こうしてジラルディーノのエルヴィーラ姫は、とうとう(王妃
の)勅命に従い、とある国へ嫁ぐ事になってしまったのです。

続く