◆◇ 歳の差 ◇◆

…深夜。
エルヴィーラ様は彼女に用意された部屋の、優雅な天蓋つきのベッドの上で、大きなふ
かふかの枕と格闘しておりました。そして口からひっきりなしに出るのは、呪詛のような
独り言。
「ありえない、ありえない、ありえないってゆーーーのよーー!」
そして枕に一発。深夜なので、一応声のトーンは落としていますが、それには鬼気迫る
ものがありました。そして更にもう一発。
「なんでなんでなんでなんでーーー、あんなのがーーー! あーーーーー!」
そう言うと、今度は思い切り枕に突っ伏してしまうのです。攻撃を受けても文句も言わ
ない枕には、良い香りがつけてあるようで、それを鼻に吸い込むと、少しだけ頭が冷えて
来るようです。
そして再び、けれど今度は落ち付いた声で繰り返しました。
「…なんで、あんなのが王子なのよぉ…」
ゆっくりと瞼を閉じると、王子が紹介された場面が蘇ります。


ローランの右手がゆっくりと王子の方を指し示しながら、エルヴィーラ様の方に向かっ
て来ます。それを合図に、侍女達は王子を彼女の側へといざないます。
彼女から数歩離れた所で立ち止まると、侍女達は揃って王子の手を離し、深くお辞儀を
して後ろに下がりました。ローランもそれにならい、王子を前に押し出すよう、後ろへ下
がって礼を取ります。
これが王子との初見なのですから、本来ならば緊張する場面なのかもしれません。しか
し彼女は、既に緊張などはどこへやら。すっかり脱力し切ってしまい、目の前にいる奇妙
な仮面ですらも、だからどうしたな気分になりつつありました。
「…初めまして、エルヴィーラ姫」
そんな彼女の耳に、筒の中から響くような声が聞こえます。
(…ああ、そうか。仮面がしゃべってんのね)
将来の夫となる(かもしれない)人物の第一声を聞いたというのに、彼女は感慨もなく
そんな事を思いました。
それも仕方のない事かもしれません。彼の声は、仮面の内部で反射され、こもっている
ため本来の声を隠しています。顔も見れない、声も分からない。
「…この仮面、驚かれているでしょうね。申し訳ないのですが、これがわが国の婚礼まで
の儀式…つまりしきたりなのです」
その『しきたり』という言葉に、今まで無感動だったエルヴィーラ様が、ようやく反応
を示します。何故ならそれは、彼女の両親や、ジャーデの警護の者達が口にしなかった王
子の情報。それがこの『しきたり』関係していると思っていたからです。
「代々ジャーデ国の第一王子が姫を娶る時には、姫が王子を真に愛するまで、この仮面を
つけていなければならないという決まりがあるのです」
王子の口から出た言葉に、彼女は驚きを隠せません。
(なんですとーーー! 顔も見ないで好きになれとーー!)
これは容貌至上主義の彼女にとって、恐ろしい拷問です。
「また、臣下や他の者から、私の人となりを聞く事も許されてはおりません。あくまでも
婚礼は、二人の意思によらねばならないという決まりなのです。あ、もちろん私にお聞き
いただくのは一向に構いませんので」
思った通り、隠れリサーチが阻止された理由はこのせいだったのです。しかし、その人
物の人柄を、他人から一切聞き出せないというのは、情報収集にとってはかなりのリスク
です。
思わず目の前で話す仮面を睨んでしまうエルヴィーラ様でしたが、それを分かっている
のかいないのか、王子はしれっとこのような事を言うのです。
「姫には大変不自由をおかけしますが、快くご了承いただけて有難く思っております」
「…ご、ご了承ぉ?」
全く与り知らぬ事柄に、驚きのあまり普段の地のままで王子に聞き返してしまうエルヴ
ィーラ様でした。
(ご了承してないよ! 誰がそんな事ご了承するかって…、あ、あああーー! もしやー
ーー!)
「…え…? あの…、姫のご母堂よりそのように伺っているのですが…」
彼女の返答と表情を、不審に思ったソウ王子が、初めて言いよどむのが分かります。そ
うではないかと思いましたが、やはりこれは母が勝手に了解し、自分には伏せておいた事
だったようです。
(あんのぅ…、く、くそババーーーー!)
彼女は怒りで目の裏が熱くなるのを感じました。ですが、そこは彼女も一国の王女。そ
れをぐっと堪え、無理矢理極上の笑顔を作り出しました。
「…い、いえ、確かに了承しております。ええ、しておりますとも! わたくしの方こそ、
ふつつか者でありますが、よろしくお願いいたします!」
まさか、母親に言いくるめられてここまで来たなど、そんな事は言える訳がありません。
自分の恥は国の恥。いくら行動がアレな彼女でも、そういった所はちゃんと踏まえている
のです。そして、それを分かった上で母親が、自分を陥れたという事も、分かりすぎるぐ
らい分かっているのです。
 とにかく彼女は、煮えくり返る腹の内をぐっと堪え、様子を見る事に決めました。決断
は素早く。これも王族には必要な資質です。
「…そうですか。何か行き違いがあったのかと思ったのですが、問題がないようで何より
です。では…」
エルヴィーラ様の返答に安堵した王子は、疲れている彼女を気遣って、早々に部屋へと
案内しようと背を向けました。ですが彼女には、まだ確認しなければならない事があった
のです。
「あ、あの、ソウ…王子!」
「はい、何でしょう?」
「一つだけ、今お聞かせいただきたい事があるのですが!」
「なんなりと」
「王子はおいくつでしょうか?」
「…ああ、私は今年十三になります」


「しかも五つも年下ってどーういう事よーーーーっ!」
途端に部屋の扉が激しくノックされます。
「エルヴィーラ様! 何事かございましたか!」
巡回する警護の者から、緊迫した声が掛かります。それにハッとした彼女は、辺りを見
回して気が付きます。そう、ここは自室。もうとっくに自分の部屋で休んでいたのでした
が、王子に年齢を聞いた時を思い起こした途端、その時言えなかった言葉が、つい口をつ
いて出てしまっていたのです。
(しまった! 大声出しちゃったーー!)
彼女は取り繕うように大きく咳払いをし、扉に向かって言い放ちます。
「な、何でもありません。む、虫。虫が出たものだから、驚いてしまって! もう大丈夫
です!」
するとそれを聞いた警護の者も、安堵の声音で返答して来ました。
「そうですか。私どもは、いつでも姫様をお守りしておりますから、何かございましたら
なんなりとおっしゃって下さい」
「…わ、わかりました。ありがとう…」

再び静まり返る室内。エルヴィーラ様はゆっくりと首を巡らせて室内を眺めました。
何と広くて豪奢な室内なのでしょう。調度品にしても、一つ一つが繊細かつ、上品で、
彼女が自国で使っていた物とは、比べ物にならないほどに贅を尽くした品ばかりです。そ
の上それら全てが、慣れないジャーデに来た事を忘れさせる配慮なのか、エルヴィーラ様
の国で作られた物で統一してあるのです。
確かに婚姻の相手国としては、願ってもない好条件なのかもしれません。生まれながら
に姫として育てられて来た、王族としての眼で見ればまさにその通り。
ですが彼女はまだ十七。それよりも少女の自我が多くの感情を支配していました。
(…ともかく、『しきたり』に準じないといけないという事ならば、私が王子を『愛さ
な』ければ婚姻は成立しないのかもしれない。だとするなら、嫌われるといった事をしな
くても良いだけ手間が省けるし、国に返されてしまえば、お母様だって諦めるよりないわ
ね)
ですがそこまで考えて、いやいやをするように首を振ります。
(待って! もしかしたら仮面の下はものすごい美少年かもしれないし! …本当は年下
なんてイヤだけど、あと何年かしたら美青年になるっていう素養があるなら考え直さなく
もないわよね!)
彼女は元来、ポジティブシンキングなため、考えているうちにやっぱり自分の今日の行
動は正しかったように思えて来ました。早まった行動を取って、せっかくのチャンスを逃
すのは、エルヴィーラ様とて本意ではないのです。
そう結論が出ると、先ほどまで荒れていた気持ちが嘘のように、心地よい疲労感が
彼女の瞼を閉じさせます。ふかふかと柔らかい極上のベッドに身を任せながら、ともかく
彼女は明日に備えて体力を回復させる事にしたようです。
(…あ、…だったら何とかあの仮面を取らせて…、顔を見ないと…。まあ、いいわ…。時
間は…ある…し…)
それだけ思うと、ついに彼女は眠りの底に落ちるのが分かりました。ですが、底に到達
する直前に、今日会ったローランの美しい顔を思い出す事は忘れません。
(ローラン…が、王子だっ…たら、問題なかっ…たのに…)

続く