◆◇ 姫のお披露目 ◇◆

彼女は力強く手を握る、その美しい青年にうっとりと見惚れていました。形の良い唇が、
自分に向かって囁きます。
『…姫、実は今まで黙っておりましたが、私が本当の王子なのです』
それは彼女が願った通りの言葉で、その驚きと嬉しさに感動し、涙がにじみそうになり
ました。
『…やっぱり! おお、ローラン! だったら、どうして今まで隠していたのですか?』
彼女が当然の問いを投げ掛けると、彼の表情がせつなそうに曇りました。
『…申し訳ありません、姫。それこそが本当の、この国の婚礼のしきたりだったのです。
身分を隠して姫の人となりをずっと拝見させていただいておりましたが、やはりあなたは
私が思った通りの素晴らしい方でした!』
何て思った通りの事を言ってくれるのかと嬉しくなり、彼女はローランの胸へと体を預
けます。予想に反し、彼の体はふわふわと非常に柔らかでしたが、彼女を暖かく包み込む
のでした。
『…姫…!』
『ローラン…、王子…さま…』
二人の顔はいつしか近付き、そして――


「…エルヴィーラ様!」
「ローラ…、おうーん…」
「エルヴィーラ様っ!」
「うーん…(もうローランったら、声が大きい…!)」
「エーールーーヴィーーーーラーーさーーーまーーー!(怒)」
「もーーー! うるさーーーーいっ!(怒)」
あまりのわずらわしさに罵倒してしまった彼女は、はっとしてローランの表情を確かめ
ようと目を開けました。
ところが目の前にいたのは、彼女がジラルディーノから連れて来た侍女の一人。そして、
額に血管を浮かび上がらせながら、自分の主人を容赦なく怒鳴りつけるのです。
「エルヴィーラ様! 早くお起きいただけないと、お時間に間に合いません! 一体何度
お呼びしたと思っているんですか!」

…このように、彼女のジャーデ国での二日目は、侍女の怒声でが始まったのでした…。


(…だって、ジラルでは今はまだ夜中だし!)
エルヴィーラ様は王宮のバルコニーから、眼下に集まるジャーデ国の民を前に、心の中
で毒付きながらも、顔には満面の笑みを湛えました。
ジラルディーノにいる時、お日様が頭の上を過ぎてから起きるのが常だった彼女にとっ
て、昼にはまだ早い今は夢の時刻。実際、いい夢の最中で起こされた彼女なので、立腹も
無理はないかもしれませんが、それだけで不機嫌な訳ではありません。何故なら、彼女を
国の民へお披露目する事は、昨日王子を紹介された席で言われていたので、この時間に起
きなくてはならないのは承諾していたからです。
では何がそんなに不満かと言えば、陛下と王妃の姿もあるのに、肝心要の自分のパート
ナー、王子の姿がない事です。
(なんで王子が来ないのよーー! あんたの婚姻相手のお披露目でしょーーーー!)
確かにあの仮面の王子と並んでここに立つ事を考えると、冗談ではないと思うものの、
そこはとりあえず棚上げで、彼女にとってはただ責務を全うしない、王子の事が許せない
のです。
ですが実は、その理由も昨日、全て王子から説明があったのです。

「実は、この仮面の事は王室の極秘のしきたりなのです。なので、私は民の前に顔を出す
事が出来ません」

(だったらお披露目なんかすんなって事なのよーーーー!)
思い出しながらも、心の中でツッコミを入ずにはおれないエルヴィーラ様でしたが、し
かし敵もさるもの、その点に付いての補足は完璧でした。

「…でも、姫の事はきちんと民に知っておいて欲しいのです。それに、一国の姫が来られ
たのに、国民に知らせないなど、ジラルディーノに対し申し訳が立ちません」

そんな優等生的返答が、ますますもって気に入らない彼女は、相手がいないのを良い事
に、心の中では盛大に文句を言うのでした。
(んな事言っちゃってーーー! きっと自分は寝てるんだわ! 高いびきなんだわ! く
そーー! あのへんてこチビ仮面ーーー!)
国民の割れるような歓声と拍手のさなか、にこやかに手を振る美しい姫君が、まさかそ
んな悪口雑言を心の中で吐いているとは、誰も思いはしないでしょう。全く外面だけは完
璧な姫様です。
そんな事は露も知らない、国王陛下が彼女の隣にそっと寄り添いました。そして、ゆっ
くりと手を取り、民に向かって穏やかに話し出したのです。
「わしはこの姫が、王子と無事に婚姻に進んでくれる事を望んでおる。それはわしらも努
力をしなければいけないが、皆のものの協力も必要であろう。姫がこの国を気に入ってく
れるよう、よろしく頼むぞ」
陛下がそう言うと、民からは再び割れんばかりの歓声が上がります。その民の様子を見、
エルヴィーラ様は自国の父を思い出すのでした。
娘から見れば、ちょっと頼りないジラルディーノ国王陛下も、その親しみやすい人柄は、
多くの民から愛されていると感じていました。ですがジャーデ国王は、それ以上に国民か
ら愛されているように感じるのです。
民に愛される父王が治める国の皇太子。そんな人物を夫に選んでくれるのですから、父
と母は、やはり自分の幸せを考えていてくれているのでしょう。
民の歓声はいつまでも続いていましたが、エルヴィーラ様は陛下に促され、先にバルコ
ニーを後にしました。
皆の熱気に中てられたせいか、あるいは両親の思いを感じたせいか、彼女は少し頭が重
くなるのを感じました。そんな余韻を残しながら、王宮の中に足を踏み入れたその刹那、
彼女の目の前に、ローランが現れたのです。

続く