◆◇ お花の休息所 ◇◆

ローランの顔を見た途端、エルヴィーラ様の頭の中に、夢の光景が鮮明に蘇りました。
自然と顔が赤くなり、動悸が激しくなって来ます。そして、彼が言った言葉を反すうし
ている自分がいたのです。

――実は今まで黙っておりましたが、私が本当の王子なのです――

夢が自分の願望とは限りませんが、あれはまさしく彼女の願望。それが分かっているだ
けに、彼女の動揺は増すばかりです。
(…バ、バカバカ! あれは夢だってば! で、でも絶対ありえない事じゃないのかも? 
ででででも、何でこんな所にいるのかしら? だって、彼は王子の…)
そんな事を頭の中でぐるぐると考えていると、ローランが昨日同様、優雅に一礼して片
ひざを付き、こう言うのです。
「お疲れ様でした、エルヴィーラ様。お披露目が終わりましたらば、王子の元に案内する
ように仰せつかっております」
せっかく夢の続きに酔っていた彼女でしたが、それを聞くと、どっと疲れが出て来るの
を感じました。
(そーよね、そーだわよね…)
彼女は小さくため息をつくと、現実の厳しさにがっかりとしながらも、お披露目に出席
しなかった王子に対しての腹立ちが再燃するのを覚えました。ならば、ここはダメ元で、
ちょっとローランにわがままを言ってみようと考えたのです。きっとさっきのため息も、
この演技の前振りとして有効だと踏むと、彼女は美しい顔に陰りを帯びさせて囁きます。
「…ごめんなさいローラン。わたくし皆の前で緊張してしまったせいか、少し気分がすぐ
れないのです。王子にお会いする前に、少しだけ休ませてはいただけないかしら?」
彼女の演技が効いているのか、ローランは気遣わしげに彼女を見上げます。
「それはいけません! では、すぐに皆に知らせ…」
「いえ、少し休めば大丈夫です。皆に心配をかけたくありません」
そしてここぞとばかりに、ローランにかよわい笑みを投げ掛けます。普通の殿方なら、
これでイチコロな攻撃技です。
「…エルヴィーラ様」
その攻撃が効いているのかいないのか、ローランは心配顔で思案しています。再び夢の
場面が頭に浮かんでしまい、頬が熱くなってしまいそうでしたが、そこは目的達成のため、
ぐっと我慢のしどころです。そして、顔をそっとローランに近づけつつ(攻撃その二)、
辛い表情で囁くのでした。
「…外の風にあたりたいのです。そうすればきっと具合も治るでしょう。…王子の所へ行
く前に、少しだけ時間をいただいて、連れて行っていただけるだけで良いのです」
「…それは…」
ローランは少し困ったような顔をしましたが、後ろに控える彼女の侍女へ向かい、目で
確認を取りました。エルヴィーラ様の侍女たちは、彼女の事をよーく知っている者ばかり。
もちろん反対するはずもありません。
そんな様子に納得したのか、すっと立ち上がると、ローランはエルヴィーラ様の手を取
りました。自分で振っておきながら、ローランの行動に、胸の動悸は激しく反応するので
す。
「…わかりました。では、少々エルヴィーラ様をお預かりいたします」
そう言って、侍女に王子への伝言を託し、バルコニーとは反対側へ、王宮内を進んで行
きます。歩を進めるにつれ、徐々に民衆の歓声が遠くなりました。それを実感すると、彼
女は肩から力が抜けるのを感じるのです。
自覚はそんなにありませんでしたが、やはり自分は本当に疲れていたのかもしれないと
感じざるおえない雰囲気です。
それもそのはずで、慣れない場所、慣れない習慣、そして慣れない人々。国を出てから
というもの、ずっとそんな状況に囲まれていたのです。心細さよりも好奇心が勝っていた
うちは良かったのですが、一旦落ち着いてしまうと、色んな違いを目の当たりにし、次第
に疲れが溜まっていてもおかしくはありません。
王子が同席しないという事に、腹立たしかったのも、未来の夫候補、つまり自分を一番
大切に思わなくてはならないはずのその人が、自分の側にいてくれないという不安がそう
させていたのではないでしょうか。ローランの手の温かさを感じながら、やっぱり王子は
彼のような人が良いと思ってしまう彼女でした。
そんな事を考えていると、急にローランの足が止まります。そこは小さな可愛らしい感
じの休息所の前で、庭園から続く道の周りには、花々がアーチのように咲き乱れていまし
た。
この国に近づいてからというもの、木々はかろうじて見ましたが、花を見たのは初めて
です。それがこんなに沢山。しかもこの庭園へ続くこの道にだけが、この国には珍しく、
砂ではなく土の地面になっているのです。
「エルヴィーラ様、こちらへ」
花々のアーチの奥には、可愛い日傘を思わせるガゼボが設えてありました。風が花々の
香りを運び、日差しは屋根により緩やかに差し込むようになっています。
ローランは彼女をそっと座らせると、側に寄り添うように立ちました。何て絵になる光
景でしょう。そんな光景にうっとりし、疲れも吹き飛びそうな彼女でしたが、ローランは
気を遣い、優しく話し掛けて来るのです。
「…本当はこちらへも王子がご案内する予定だったのですが、エルヴィーラ様がお疲れと
いう事なので、断りなくお連れさせていただきました。エルヴィーラ様のお国と同じく、
花々のある所の方が、お気が休まると思ったからです」
「…ええ、とても」
抜かりなくそう弱々しい返答を返しながらも、彼女の心中はローランの美しさにうっと
りと浸っていました。そして、この花々に囲まれたシュチュエーション。
「…こういった場所がこの国にもあるのですね。わたくしこの国に来る途中、なかなか花
を見かけなかったので、この国ではあまり育たないものだと思っていたわ」
花に見とれながら、エルヴィーラ様がそう正直な感想を漏らすと、ローランが優しく目
を細めるのが分かりました。
「…お気に召していただけましたか」
どうしても上気してしまう頬を気にしながら、彼女は本気ではにかんで答えました。
「え、ええ…。心が休まるもの」
そう聞くと、ローランはあでやかに微笑みます。もちろん彼女はそれをバッチリと堪能
するのです。
(本当にローランが王子って事はないのかしら? ……って、ないか…)
そんな事を思ったために、また小さなため息が出てしまいました。
「…おそれながら、エルヴィーラ様。何か心配事がおありですか?」
彼女の態度を見て悟ったのか、心配そうにローランが語り掛けて来ました。内心を吐露
する事を、ほんの少し躊躇しましたが、ここは素直にしておけば、ローランとの親密度が
アップすると考えました。エルヴィーラ様は演技モードに切り替えると、やや物憂げに目
を伏せ、ゆっくりと言葉を紡いでいきます。
「…王子様が、ローランのようにお優しい方だと良いと考えていたのです。わたくしは王
子の事をまだ何も知りません。お顔も本当のお声も分からない。お会いしてお話するのも
…、少し…怖いのです」
(よし! 百点!)
自己採点を下した演技に、ローランも感じ入る所があったようで、そっと彼女の手を取
るとこう言うのでした。
「…私の口からは、王子の事は何も言えません。ですが…、私を優しいと思って下さるの
ならば、エルヴィーラ様はきっと王子をお好きになられると思います」
その言葉に、はっとして彼女は顔を上げました。

続く