◆◇ 王子来襲 ◇◆

(それって、それって、それってーーー! あーもう、全然わからなーーい!)
あの後、休息所には王子からのことづてを仰せつかった侍女がやって来ました。そして、
本日はそのまま自室で休まれるのが良いという事を伝えて来たのです。
後で王子直々に彼女の部屋に赴き、ご機嫌を伺いに来ますとの事で、それを聞いたロー
ランは、先ほど言った言葉をすっかり忘れてしまったように、すぐに彼女を自室へ送り届
けてしまいました。なので今彼女は自室で、一応王子を待ちながらも、一人悶々としてし
まっているのでした。
(あたしの夢の通りにローランが王子なんていう、おいしい話じゃないわよねー…)
間もなく部屋の扉がノックされました。
「…姫様、いらっしゃられたようです」
 そう侍女が言う言葉も耳には届かないようで、エルヴィーラ様は未だ自分の世界に没頭
し続けます。

――私を優しいと思ってくださるのならば、エルヴィーラ様はきっと王子をお好きになら
れると――
(…やっぱり、そういう意味のおいしい話…、なのかしら? ローランは私だけにそれを
伝えようとして…?)
扉が開き、そこには仮面の王子と、その手を引くローランの姿が現れました。そのまま
彼女のそばに進んで来ましたが、すっかり王子の来訪も何処かぬけ落ちているエルヴィー
ラ様は、それにも全く気付きません。自分の興味のある事に、集中力がありすぎるのも困
りものです。
ついに王子はエルヴィーラ様の正面にたどり着き、嫌でも仮面を認識してしまう距離に
なったその時です。
「わ!」
彼女にとっては、いきなり現れた仮面に驚き、素の顔で驚いてしまったのでした。せめ
て『キャッ』とか可愛い声で驚けばまだ取り繕いようもあるものを! と自分自身を呪っ
ても後の祭り。
(ヤバヤバヤバーーーーー!)
何とか立て直しを図らなくてはと、取り合えず立ち上がって、王子にぎこちない会釈を
するのが精一杯でした。そこにはいつもの優雅さもなく、ローランも少々驚いているよう
でした。
こんな失態は、なかなかない大猫被りの彼女ゆえ、テンパり方もマックス状態。しかし、
驚かれた当人のソウ王子は、特に気にした風もなく、エルヴィーラ様に普通に話し掛けて
来るのです。
「驚かせてしまいましたね。申し訳ありません。お加減が悪いという事でしたが、大丈夫
でしょうか?」
「え、あ、は、だ、だいじょ…、いえ! 大分落ち着きました!」
今にも手をこめかみに当て、上司に敬礼する部下のごとく、男らしいに返事を返してし
まう彼女にも、全く動ずる様子もなく、彼女の顔色を窺います。
「…そうですか? でもどうぞお掛けになって下さい。まだ顔色がお悪いですから」
焦れば焦るほど上手く振舞えず、イヤーな汗が額に浮かび、確かに具合は良くないよう
に見えそうです。ならばと彼女は、王子に勧められるまま、椅子に腰を下す事にしました。
具合が悪いためと思ってくれるのなら好都合。過ぎた事はすっかり忘れ、王子に応対する
スイッチを入れる事にしたのでした。
「…申し訳ありませんでした。せっかくご招待いただいたのに、王子に来ていただく事に
なってしまって…」
「いいえ、私の配慮が足りませんでした。姫は昨日着かれたばかり。それを考えて、お披
露目も少し先に延期してもらえば良かったのですから」
それはそうかもしれませんが、王子くらいの年齢で、そこまでの心配りを求めるのは酷
というものではないでしょうか。確かに疲れてはいたようですが、初めに『具合が悪い』
と言ったのは口からでまかせ。王子への当てこすりのようなものです。
彼女は、ほんの少しではありますが、その事に罪悪感が出て来ました。
「そんな…、本当に少し休みたかっただけなのです。今は大丈夫ですもの。そんなにお気
を病まれては…」
『自分の方が居心地悪いじゃない』と言う言葉を飲み込んで答えると、仮面をつけて見え
ないはずの、王子が少し笑ったように思えました。
「…姫は相変わらずお優しいですね」
「え…?」
『相変わらず』という言葉に引っかかった彼女は、思わず仮面を凝視してしまいました。
もちろんそうしても、隠れた王子の素顔が見える訳ではありません。
しばらくは王子も言葉を発せず、彼女の顔を眺めていましたが、そういえば昨夜の晩餐
でも、時折彼女の方へ視線を向けていたように感じたのを思い出しました。
視線とは言え、仮面の目の部分にもガラスのようなものが入っていて、王子にはこちら
が見えているのかどうかすら確証はありません。見つめ合っているのも分からない状態と
いうのは、何とも居心地の悪いものです。王子もそれを察したのか、ティーセットを運ぶ
よう侍女に合図を送ります。
「…疲れによく効くお茶を入れて来たのです。お飲みになりませんか?」
「…は、あ、…はい。…ではいただきます」
何となくではありますが、この王子と話していると、彼女は調子が狂う感覚に陥る自分
を自覚しました。大きな原因は仮面なのですが、王子の雰囲気がいやに大人びているせい
もあるようです。
昨日聞いた話では、王子の年齢は今年十三歳になるとの事ですから。弟のエリクよりも
二つ年下にあたります。なのに弟王子と比べると、格段に大人びた振る舞いをするために、
見た目そのままの、背の低い奇妙な仮面を被った少年の行動とは、上手く結び付いてくれ
ないのです。
「…どうぞ」
進められるままに茶を口元に運ぶと、まずは香りが鼻をつきました。それはかなり薬臭
いというか、草っぽい香りというか…。
恐る恐る口に含むと、母国では味わったことのない、何とも形容しがたい味です。
(…う! なにこれ? 変な味! ……これがお茶?)
「お口に合うでしょうか?」
なるべく顔に出さないように気を付けて飲んだはずなのに、王子には彼女の心の動きが
読み取れてしまったようです。
「…え、ええ。不思議な味ですのね」
「私が育てている薬草で作ったお茶なんです。毎朝陛下や王妃にもお飲みいただいている
もので、滋養があるんですよ」
そう言った王子はまた、仮面の下で微笑んでいるように感じました。
(へんなの。顔なんか全然見えないのに)
微妙な声の調子からか、彼女には何となくそう感じるのです。
エルヴィーラ様が飲み終えるのを見届けると、王子は体を気遣い、退出しようと腰を上
げました。
ですがエルヴィーラ様は、それを見、少し思う所がありました。そして…。
「…お待ち下さい、王子。もしお時間がおありなら、わたくしの体はもう大丈夫なので、
お話をさせていただけませんか?」
そう言って、王子を押しとどめました。
王子にはまだ聞いておかなければならない事があるのです。でなければ、また一人にな
った時悶々としなければなりません。元来彼女は、思い悩むなどという事は得意ではない
のです。
(そんなのはまっぴらなんだから!)
それを聞いて、王子は少々逡巡しましたが、ローランを呼び、耳元で何かを囁くのです。
(むむ…?!)
ローラン=王子説を捨て切れていない彼女には、どんな行動でも怪しく映ってしまいま
す。そしてそのローランは、王子の言葉を聞き終えると、二人に礼をし、部屋から退出し
てしまうのでした。それを見届け、王子は彼女と向き合い、再び腰を落としました。
「…分かりました。私も姫と話すのを楽しみにしていたんです」
物怖じしないはっきりとした言葉。今まで男性と言えば、自分の機嫌を伺う態度が常だ
った彼女は、少々闘争本能を刺激される気がしました。
(んまーー! 落ち着き払っちゃってー! なんかムカつく! 年下のくせに、こーんな
美人と応対して、もっと焦れってのよー! 可愛くなーー!)
基本気の強いエルヴィーラ様は、いついかなる時でもイニシアチブを取っていないと不
満なのです。なのでこの状況は好ましくなく、それを打開するための姫様理論では、少し
でも王子から情報(と言う名の弱味)を引き出し、優位に立つのが先決と考えたようです。
(見てなさいよ! あんたのその澄ました仮面を、私にメロメロにさせた上で…、ふふふ
ふふふふふふふふふふふふ…!)
何となく前日寝る前に考えていた事とは違うのですが、そんな昔の事は、既に頭からは
きれいに消え去っているのでありました。そして意気揚々と攻撃を開始するのでした。
「では、わたくしからお聞きしたいと思いますわ!」

続く