◆◇ マイナス七十五点 ◇◆

「何故代々その仮面を付ける事になったか、もっと詳しくお聞きしたいです。わたくしと
しましては、お話しする時お顔も見れないのははっきり言って不満です」
エルヴィーラ様の発した言葉に、周囲の侍女たちが凍りつきました。
いくらはっきり物申す姫と知っている皆ですら、こんなストレートな不満を、一国の、
しかも婚約者の王子に言うような事は、さすがにしないだろうと考えていました。ですが
やはり、姫はその考えの一枚上を行くようで、侍女たちの頭には、くれぐれもエルヴィー
ラ様を暴走させぬようにと、きつーく言い遣った時の、王妃の恐ろしい表情が浮かびます。
もし、この一言で婚約解消ともなれば、侍女たちの処遇も暗闇の中です。
「…………」
王子が彼女の言葉を聞き、しばらく何のリアクションも起こさないため、侍女たちの顔
はますます蒼白になって行きました。非難の目でエルヴィーラ様を睨みますが、彼女の周
りには闘志のオーラが立ち昇り、脆弱な視線では届く事なく叩き落されてしまいます。し
かし、そんな彼女の闘志さえ、瞬く間に無効化してしまう人間がそこにはいたのです。
「…ふ」
「? ふ?」
王子の肩が、微妙に上下しています。怒りのせいでしょうか? いえいえ、そうではあ
りません。何故なら王子は仮面の頭を少し前かがみにさせ、右手で仮面の口を、左手はお
腹を抑えています。これはベタに『笑いを堪えている』ポーズではありませんか!
「お、王子?」
いきなり笑われて、困惑しない人間はいないでしょう。彼女が言った言葉は、笑うよう
な内容ではなかったはずなのですから。
「…あ! …ああ、すみません。なんだかすごく姫らしいと思ったので…」
王子の言葉で、困惑が怒りに変わります。
(らしいって、らしいって何よーーー! こここここのチビ王子、完っ全に舐めてる! 
あたしは不満だって言ってるのに! 笑いやがったーーーー!)
心の中の毒舌を、そのまま吐き出したい衝動を、何とか堪えて聞き返します。
「わ! わたくしの事をどなたからかお聞きになっているのですか?」
(お母様? それとも事前にこの国の密偵がうちの国に来て、あたしの事を調べていたと
か?)
彼女はそんな事を考えながら王子を睨み付けましたが、答えは全く予期せぬものでした。
「いえ、昨日は言いそびれましたが、私と姫は、四年ほど前にお会いした事があるのです
よ」
「え? えええ?」
(ナニィーーーー? 会ってるぅーーーー????)
そんな事は母親からも、誰からも聞いていません。いえ、聞いたとしても、『しきた
り』の威力で黙っていたというのが正解かもしれません。
彼女の困惑を感じ取ったか、更に王子は続けます。
「…あなたは覚えてないかもしれませんね。私は名前を言いそびれましたし」
「(うっ)……」
これは王子のさりげない助け舟だったのでしょう。彼女は本当に全く記憶になかったの
ですから。
(だって四年前って、王子九歳! 無理、そんな歳の男の子なんて、ゼッタイ覚えてられ
るわけない!)
彼女のストライクゾーンは、既にその頃十五歳以上。もしソウ王子と会っていたとして
も、覚えている確立は限りなくゼロに近いのです。
しかたないので、ここは素直に謝って、情報を聞き出す事にしました。
「…ごめんなさい。やっぱり思い出せないみたいです。どこでお会いしたか教えて下さい
ます?」
すると、思ってもいない返答が王子から返って来るではありませんか。
「姫の国でですよ。あなたが十三になられた年、近隣国の者達を呼んで、成人の儀式をさ
れたでしょう。その時一度お会いしたのです」
その国によって多少の年齢は異なるものの、一般的に、男子は十五歳、女子は十三歳に
なると、成人と見なされます。成人を迎えると、晴れて婚姻が許されるようになるため、
王国の子息女は、成人の儀式を執り行い、そこに近隣の要人を呼び、お披露目をして求婚
者を募るのがならわしになっているのです。エルヴィーラ様の国も同様でした。
「…あの時に…」
「はい」
彼女は何とか思い出そうと、必死で頭を回転させました。しかし成人の日にやって来た
のは、本当に膨大な人数で、一人一人を覚えているなんて無理な話です。
確かに九歳前後の男子は少なかったはずですが、はなから範疇外の人物に、エルヴィー
ラ様がきちんと応対しているはずがありません。もちろん彼女の選美眼にかなう少年だっ
たら例外だったはずなので、ここでソウ王子について、情報が一つだけ追加されました。
九歳の時会った彼は、彼女の好む美少年ではないという事です。
まあその後の成長過程で奇跡が起きてれば別ですが、これにより、エルヴィーラ様の中
のソウ王子の評価は、かなり失墜したと言えるでしょう。
彼女の落胆をどう受け取ったか知れませんが、王子はエルヴィーラ様に優しく言いまし
た。
「…話が横道にそれてしまいました。ではこの仮面の事をお話いたしましょう」

続く