◆◇ お話と現実 ◇◆

そう聞かれてエルヴィーラ様は考えました。
自分が王子なら、たぶん話さないだろうと思ったからです。
(その王子の姿を見たら、普通の姫ならきっと国に帰っちゃうもんね)
そしてここにいる王子は、自分が質問したにもかかわらず、エルヴィーラ様が答えるの
を待ちませんでした。
「…王子は自分が半人半獣である事を正直に言いました。そして、姫の前で仮面を取って
見せたのです。自分で決めた事とはいえ、王子は姫の反応が恐ろしくて、顔を上げる事が
出来なかったそうです…」
王子はそこまで言うと、しばらく黙ってしまいました。
エルヴィーラ様には、まるで今話していた王子が、まさに目の前にいるような錯覚に陥
ります。
半人半獣の異形の王子。その姿は王子の咎ではないのに。
先ほどまでは、安易に自分ならと考えていましたが、こうやって感情が移入してしまう
と、違う考えも出て来ます。
(あー、もう、こんなしょんぼり仮面を見ちゃったら、帰るに帰れないじゃない! 大ッ
体姿形でガタガタ悩んでんなって言うのよ! もーーーー!)
エルヴィーラ様は王子の語りにあてられたのか、普段は人一倍容姿を気にする事は棚に
上げ、すっかり話と現実が混同してしまっているのでした。それも仕方がないのかもしれ
ません。話の内容が、自分たちの状況と共通点がある上、王子の語り口に、妙なリアリテ
ィーがあったのです。
しかも今はこの部屋に二人きり。周りの世界と隔絶された空間は、話術の効果を助長す
るにはもってこいです。
彼女はいつもの『猫被り』をすっかり忘れ、王子の仮面を『ガッシ』と掴みました。
「……ひ、ひめ?」
「そんなのあんたのせいじゃないじゃない! あたしはそんな事を隠されてる方がずっと
嫌よ!」
「…!」
エルヴィーラ様の大きな声が部屋に響き渡ります。その直後、部屋の外が何やらうるさ
くなり、その物音で彼女ははっと我に返りました。
(しっしししししまったーーーー! 何やってんのあたしーーーー!)
扉を叩く、侍女の声が聞こえて来ます。エルヴィーラ様の頭は恥ずかしさで真っ白にな
り、仮面から手を離すことも忘れてしまいました。
すると、目の前の仮面から、大きな笑い声が聞こえてきたのです。
「あーっはははははははは、っは…ははははは、はははは! あ、はははは、ダ、ダメ…。
あんまり…笑うと、耳が…」
仮面の中で反響している王子の声がします。耳を押さえようと無意識に動いた王子の手
が、仮面を抑えている彼女の手に触れました。それに驚いて、エルヴィーラ様は手を離そ
うとしましたが、王子はその手を優しく取りました。
手袋に包まれた王子の手から伝わる感触は、彼女の手よりもまだ小さくはありましたが、
しっかりと少年の手をしています。
(なんだ…、やっぱり人間じゃない)
エルヴィーラ様は思わず確かめるように、王子の手を握り返してしまいました。その意
味が分かったのか、王子が口を開きます。
「…今のはお話です。私は人間ですよ」
「…わ、わかってるわよ。そんな事…」
既に体裁を取り繕う事が頭から抜けてしまっている彼女に、王子は優しく付け足しまし
た。
「二人で話す時はそのままのあなたでいて下さい。私…、いえ僕も…、あなたには何も隠
したくありませんから」
「…!」
そう言うと、そっと彼女のそばから離れ、王子は扉に向かいます。扉越しに王子が皆に
何もない事を告げ、再び彼女の元に戻って来ました。
「お話が途中でしたね。ですが、お話の姫も、今エルヴィーラ姫と全く同じようにしたん
ですよ」
「…え?」
「…もっともお話のお姫様は、もっとおしとやかだったみたいですけど」
「なっ…!」
「その後、愛の力で目の前の王子はハンサムな若者に変身し、それで二人はめでたしめで
たし。おまけに不安定な国も安泰になった…というお話です。だからこの仮面を王子の成
人の時に被らせて、そのご利益にあやかろうという訳です。効果のほどはよく分からない
んですけど」
王子はそう言って、両の手を体の横に広げ、肩をすくめました。
そんな話を聞くために、自分の正体を晒してしまったのかと思うと、彼女は頭が痛くな
る思いでした。しかしやってしまった事は後悔しても始まりません。ならば、ここはさっ
さと居直ってしまうのが得策ではないでしょうか。
「…王子、さっき言った事は本当ですか?」
「と、言いますと?」
「…仰った通り、堅苦しい話し方は他の者たちとの円滑な関係のために使っております。
王子が許されるなら、普通に喋らせていただきますけど」
「ええ、もちろん。以前お会いした時は、もっと砕けた話し方でしたから。だから、昨日
お会いした時は、まるで別人かとびっくりしましたもの」
(くそう、こっちが思い出せないのを良い事に、言いたい放題言ってーーー!)
…とは思いましたが、話しやすい方がエルヴィーラ様も余計な気を使わなくて済みます。
「…わかったわ! じゃあ単刀直入に言うけど! 最初に言った通り、あたしは顔の見え
ない人と話すのはイヤだし、もちろんそんな人と結婚なんて真っ平よ!」
「まあそれはそうでしょうね」
うんうんと頷く王子。
その余裕の澄ました態度に、彼女の体内温度が上がります。エルヴィーラ様は幽鬼のよ
うにゆらりと立ち上がると、仮面の目の前に両手を構えました。
「…今はちょうど二人きりじゃない。だから、内緒で仮面を取って見せても誰も分からな
いわよねぇ…」
そう言って、彼女は王子に詰め寄りました。さすがにこれには彼も驚いたようですが、
この若いタヌキは一筋縄では行かないようです。
「…それは…、まあそうなんですけど、…僕は出来る限りしきたりに準じたいと思ってい
るので、もし仮面を取った場合はあなたとの婚約は解消するつもりです。…それでも良い
なら取りますけど…」
(ぐぐっっ!)
王子の言葉でエルヴィーラ様の動きがぴたりと止まりました。今の状況では、婚約破棄
が良策なのかそうでないのか判断が付きません。
だからこそ仮面を取って欲しいのに、これでは本末転倒です。こうなってしまっては、
彼女は駄々をこねるくらいしか方法はありません。
「…き、汚いわよ! そんな条件! あんたあたしと結婚したいんじゃなかったの?」
「もちろんしたいですよ。だからこうしてあなたをこの国に迎えたんじゃないですか。で
も、それとこれとは話が別です。それに結婚が決まれば自動的に仮面は外すんですから、
それで良いじゃないですか」
「良くない! それじゃ遅いの」
「? どうして?」
「そ、それはーーーー!」
面食いだからなどとは言えません。
「…い、いろいろよ! 色々遅いのよ!」
「…それは…、困りましたね」
真剣なのか軽口なのか、分からないあいまいな口調で、王子はまだこちらの反応を窺っ
ているようでもあります。
「〜〜〜〜〜〜〜いいわよ、もう。他の手を考えるから」
 くやしまぎれにそう言うと、
「…そうですか。わかりました。じゃあ僕も楽しみにしてます」
そんな風に返してくる所をみれば、やはり姫の反応を楽しんでいる様子です。
(やっぱりおちょくられてる!)
内容が子供のケンカ程度なので、エルヴィーラ様には、もう何も言い返せなくなりまし
た。彼女は苛立たしく席を立つと、扉の方へ向かいます。
(か、かっわいくないのよ! 年下のくせにーーー!)
そのまま扉を乱暴に開ければ、王子にも彼女が退出を促しているのが分かったようで、
つい先ほどまで自分とじゃれ合っていた振る舞いを忘れたかのように、姿勢を正して歩い
て来ます。外で待機していたローランも、王子の姿を確認すると、彼を出迎えるため、す
ぐに扉のそばへと歩み寄るのが分かります。
ですが今のエルヴィーラ様には、この美丈夫にときめく余裕もなく、王子をさっさと出
て行かせ、新たな作戦を練る事だけが頭を占めていました。ところが王子の小さな背中に、
心の中で舌を出している彼女に、彼は見透かしたように振り返るのです。あまりのタイミ
ングの良さに驚くエルヴィーラ様に向かって、そんな王子は朗らかに言い放ちます。
「またこういった機会を楽しみにしてます。姫」

そうしてさっそうと歩いて行く王子を見詰め、湧き上がってくるのは紛れもない敗北感。
今回はエルヴィーラ様の完敗だったようです。

続く