◆◇ 子供と大人 ◇◆

エルヴィーラ様がジャーデ国に来てから二週間が経ちました。

王子の口から仮面の由来を聞いてからというもの、急いては事を仕損じるという事が身
に染みた彼女は、しばらくは本気で様子を見る事にしてみました。まずはこの国に慣れて
からではないと、王子とも遣り合えない事が分かったからです。
あの日以降、ほぼ毎日、王子との時間が設けられるようになりました。
それは王子がというよりも、ジャーデ国王や王妃の指示による所が大きいようで、お披
露目の席で仰ったように、二人の仲が親密になるようにという配慮からでした。それはそ
れとして、彼女も王子と二人だけの時間は、堅苦しい雰囲気から解放される唯一息抜きの
時間に違いありません。
彼女にとっても有益な事であれば、それに反対する理由はある訳もなく、それに、王子
が来れば必ずローランも付いてくるのです。まさに一石二鳥! ただ少々残念なのは、王
子と話す時にはローランは席を外すという事くらいでしょうか…。
二人きりで話していても、相変わらず王子は食えない人物でしたが、歳に似合わぬ深い
知識を持っているので、彼女を退屈させる事はありませんでした。そう考えると、結婚相
手としては、エルヴィーラ様のハードルはまだまだ上の方にあるのですが、男友達として
なら仲良くやっていけそうに感じ出すから不思議なものです。
それというのも、彼女は元来気位の高いお姫様ですから、気に入らない事があればすぐ
に腹を立ててしまいます。ですが王子はそれを受けても、慌てず騒がず、まるで水のよう
に受け流してしまうのです。
大した数ではないにしろ、今までにも一国の王子や姫と話をした事がありましたが、高
貴な身分の者というものは、たいがい『中身は伴わなくてもお山の大将』な人物ばかりで、
それが彼女を含む、普通の王子や姫の姿なのです。
彼女自身、大きくは自分の出身国であるジラルディーノの事を考えて行動しますが、侍
女たちの迷惑などはこれまで考えた事はありません。なので、侍女たちがエルヴィーラ様
を起こしに来ても、『うるさい』と怒鳴り、いつも熱いお茶が好きだと言っていても、淹
れたお茶が熱すぎれば文句を言うものなのです。
ところが、ソウ王子はローランにも、自分の侍女たちに対しても、そんな素振りがない
のです。
初めは彼女も、自分同様王子も猫を被っているのだろうと思っていましたが、この二週
間、どんなにじっくり観察しても、彼が臣下に対して憤っている所を見る事はなかったの
でした。
(くそ〜〜、このちびっ子人格者め! 忌々しい!)
などと毒づいてはいたものの、この国で一番近しい存在が、偽りでなく心根の優しい者
なのには、正直ほっとしてしまうのです。ですからエルヴィーラ様にとって、この時間は
徐々に心待ちになって来ていたのでした。
そして、この頃になると、既に王子の仮面が気にならなくなっていたのです。
今日も昼食後、あの日ローランに連れてきてもらった花の咲きほこるガゼボで、二人で
ゆっくりと過ごす事になっていました。ところが、今日の王子はいつもとはちょっと違っ
ていたのです。

ローランと侍女が二人を残して立ち去ると、不意に王子が言いました。
「…姫は、ローランがお気に入りなんですね」
「っっ!」
侍女たちが用意してくれたお茶を口に含もうとしていた時だったため、彼女はあやうく
それを噴きそうになりました。
「なっ! 何言っ…!」
「姫の猫がローランの前では、一層大きくなってますからねー。分かりますよ」
「そ、そんなの……」
「ほら、今だって! いつもの姫なら、ガーーーッと怒鳴る所じゃないですか。それがそ
んなしおらしくなるんだもの」
「〜〜〜〜〜うっ、うるっさいわね! 目、目の保養になるのよ、ローランは!」
「…そうでしょうね」
王子はそう言って黙ってしまい、いつもと態度の違う王子に、彼女は大いに戸惑いまし
た。今まで彼が、こんな事を言い出だした事はなかったからです。
――まるで拗ねた子供のような態度。
そう思って、彼女はおかしさを感じました。確かに成人として扱われるのが十五歳だと
しても、この年齢の少年たちが、大人の訳はないのです。
そしてその年齢に達していない王子は、年齢通りに考えても、まだまだ子供に違いない
のですから。
「王子、何かあったの?」
「……どうしてですか?」
「だって、今日の王子変だもん」
「…………別に…」
「別にじゃないでしょ、はっきり言いなさいよ!」
「……なんでもないです…」
「………〜〜〜〜!」
煮え切らない態度に、彼女の方が先に苛立って来てしまいました。
「何でもない訳ないでしょ! この間あたしに隠し事はしたくないって言ったのはどこの
誰よ!」
「…しつこいなあ、本当に何でもっ…」
王子がそう言いかけた時、ローランや侍女たちが控えている方向で、何やら騒いでいる
のが聞こえて来ます。王子はそれに気が付くと、彼女の方を振り返りました。
すると、仮面の中の顔が見えなくとも、彼女には王子が酷く慌てているのが分かりまし
た。
「王子? どうし…」
そう言った途端、彼女の体はふわりと浮き上がりました。何事かと驚いて自分の体を見
れば、自分よりも一段低い身長を持つこの王子が、自分を抱き上げているのが分かります。
彼女は慌てながらも王子に問いかけようとしましたが、彼の緊迫した声がそれを押し留め
たのです。
「喋らないでください。舌を噛みますから!」
王子はそれだけ言うと、瞬く間にガゼボから彼女を抱き抱え抜け出します。そして、ロ
ーランたちのいる方向とは逆へ向かい、飛ぶように移動するではありませんか。
彼女は訳が分からず、王子の言いつけ通りに黙って彼にしがみついているしかありませ
ん。

やがて庭園の奥に広がる、大きな池の所までやって来ると、そこで王子はようやく速度
を落としました。
ここはガゼボの傍とは違い、花々には覆われてはいないものの、丈の大きな木々が植え
られていて、周囲からの見通しはきかないようになっています。こんな距離を彼女を抱え
走ったせいで、王子の息は上がっていました。それもそのはずで、王子は仮面を付けてい
るのですから、普通に走るより、負担が大きくなっているのです。
王子の激しい動悸が伝わってきます。ですが、こんな状況であっても辺りを窺い、誰も
いないと判断するまでは、王子は彼女を抱いたままなのでした。

続く