◆◇ 姫の決断 ◇◆

(どうしよう…)
本当の事を言ってしまえば、彼女は王子の仮面をすぐにでも取り、是非とも素顔を見て
みたいと思いました。もちろん結婚相手の品定めという本来の目的もあります。
更に、この二週間接してきた王子の顔を見たいという単純な好奇心もあるのです。でも、
こんなふうに王子の素顔を見てしまったらどうなるのでしょうか?
彼女は隠し事が大の苦手なのです。細かい裏工作が苦手なのか、元々の性格が男前なの
か、『隠しているよりは言ってしまえ』な性格と言えます。それはうっかり自分の正体を
知られていると分かって以降、王子にはありのままを見せている所にも現れていると言え
るでしょう。
そうなれば、他の者ならいざ知らず、これからも一番接点が多いであろうこの王子に、
以前のように接する事が出来なくなるのではという懸念が湧いて来ます。それはもちろん
王子が行く末の楽しみな美少年だったとしても、また、彼女の好みに全く合わないとして
も同じ事です。
そこまで考えて、彼女は自分の考えが少し変わって来ている事に気が付きました。

――では、王子の容姿が可でもなく不可でもない場合は?

以前の彼女であるならば、これは間違いなく『却下』だったはずなのですが、王子の人
となりを知ってしまった今、彼女の判断は『容認』の方向に動いているのです。彼女は自
分の面食いを自負していましたので、これはかなりの衝撃でありました。
エルヴィーラ様は再び王子の仮面を見つめました。

王子の顔が見たい。でも見てしまえば、この国での生活は終わる。

少しの間逡巡し、彼女はついに決心しました。
王子の両腕の間に腕を入れると、後ろから抱きかかえるように王子を起こそうとしまし
た。体に力の入っていない人間を起こすのは、考えるよりも大変な事で、普段力仕事に無
縁の彼女はなお更です。自分より体の小さな王子ですら、頭を胸の位置まで引き上げるの
は至難の業なのですから、先ほど彼が自分を抱いて、ここに連れて来たのがどのくらい大
変な事なのか、実感してしまうエルヴィーラ様です。
王子を座る体勢にさせて、大きく息を吸い込みます。何故なら彼女はまだこれから王子
を立たせなければならないからです。
そうです。エルヴィーラ様は王子を王宮に連れて戻ろうとしているのです。
(…王子の素顔は確かに見たいけど、まあこの国の生活も悪くないし…)
そんな事を考えながら、王子に体を密着させます。
(…全く、あんたは果報者よ!)
息を整えて、更に力を込めようとした時、二人の後ろで物音がしました。
「っ!」
彼女はとっさに王子隠すように抱きしめました。
誰かは分かりませんが、それが王子の逃げ出した相手であったならば、そうしなければ
ならないような気がしたのです。

「エルヴィーラ様! エルヴィーラ様!」
ですが、そう呼びかける声は、間違いなくローランの声でした。その声に振り向くと、
ローラン以外にも、護衛隊の者が数人、こちらを窺っているのが分かりました。
突然ガゼボから姿を消してしまった王子と彼女を、皆で探していたに違いありません。
すぐさまローランは彼女の元に駆け寄りました。そのさっそうとした姿は、いつもなら心
を奪われ、しばしの間言葉を奪ってしまう威力を持っていましたが、今の彼女にはその効
力がありません。
「ローラン! 王子が!」
そう聞いた途端彼の顔は、今まで見た事のないほどに険しくなりました。すぐさま王子
の手を取り脈を確かめます。
「私をここに連れて来たあと、すぐに倒れてしまったの! 倒れた時に、私が王子の上に
乗ってしまったし、どこか打ったりしていたら…」
彼女はローランにそう訴えましたが、彼はそれ以上に王子の介抱をしようとはしません。
「ローラン? 何をして…」
彼女はじれったくなり、ローランに呼びかけましたが、彼はただ神妙な顔で、エルヴィ
ーラ様を見上げるばかり。それを見て、彼女は王子が初めて会った時に言った言葉を思い
出したのです。

「代々ジャーデ国の第一王子が姫を娶る時には、姫が王子を真に愛するまでこの仮面をつ
けていなければならないという決まりがあるのです」

「…まさか、『しきたり』だから? 王子が大変なのよ! それどころじゃないでしょ
う!」
彼女はローランたち全員に向かって怒鳴りました。ですが、臣下の者が、王族の決めた
事を無視して行動を起こす事は出来ないのです。苛立つ気持ちを何とかこらえ、どうすれ
ば王子を介抱出来るのか、彼女は必死に考えました。
そして――
「…王子はずっと仮面を取れない? 違うわよね。少なくとも食事の時には取っているは
ずだもの!」
王子の仮面は、顔全面を覆っているため、口の造形も見えないようになっています。で
すから王子はエルヴィーラ様の前で、一度も飲食をした事はありませんでした。
つまり、しきたりの『仮面をつけていなければならないという決まり』は、『エルヴィ
ーラ姫が見ている所では』という条件付きなのでしょう。彼女がそう問いただすと、ロー
ランは肯定の意味なのか、表情を緩めたように見えました。
ここでも『しきたり』の効力が生きていて、本人以外からは、情報の公言が出来ないよ
うです。
やはり『しきたり』などというものはろくな物じゃないとエルヴィーラ様は実感しまし
た。
(あたしが王妃になった暁には、絶対に撤廃してや――)
そう心の中でつぶやいてしまったのに気が付くと、彼女の顔は見る見る間に赤くなりま
した。その考えを追い払うように、早口でローランたちに命令をするのでした。
「っなっ、ならっっ! 私が見なければ良いんでしょう! 見ないから、早く王子を介抱
なさい!」
それでもローランたちはなかなか行動に移ろうとしません。
それを見た彼女は、先ほど自分が王子に介抱らしい介抱も出来なかった焦りも手伝い、
ローランの前だというのについに『キレ』てしまったのでした。
「いい加減にして! 主の体よりも大事な事なんかなあってたまるもんですか! ローラ
ン! 今すぐに私はここを立ち去るから、一刻も早く王子を介抱なさい! ジラルディー
ノ国の第一王女として、またジャーデ国第一王子の妃候補として命じます! もし責任を
問われるような事があっても、責任くらいあたしが全部取ってやるわよ! だったら文句
ないでしょう!」
そう言い残すと彼女は王子とローランに背を向け、王宮の方へとどんどん歩いて行きま
す。慌ててローランが他の者数人に指示を出すと、その者たちが彼女を囲むように駆け寄
って来るのが分かりました。ローランを除くその他の者たちは、更に奥へ向かい、その先
に繋いであったらしい馬のたずなを引きながらこちらへ戻って来ました。その半分が彼女
の前で停止し、もう半分は王子の方へ向かいます。彼女は振り向きたいのを我慢し、警護
の者に促されるまま、馬に乗りました。
「早く出して!」
エルヴィーラ様がそう言うと、警護の者は彼女を乗せ、王宮へと向かい馬を走らせるの
でした。

続く