◆◇ 疑問 ◇◆

周りの景色があっと間に後ろに流れて行きます。
彼女を乗せた馬は、あっという間に池から離れましたが、彼女は馬を降りる直前まで、
後ろを振り向く事が出来ませんでした。そうしてしまえば、そのせいで王子の介抱が遅れ
てしまうような気がしたからです。ですが、さすがに馬の足は速いもので、すぐに王宮が
見えて来ました。
彼女がようやく後ろを振り向くと、目に入るのは、今過ぎて来た木々ばかり。その木々
を見ていても、王子の安否が分かる訳でもないのに、彼女はしばらくその方向から目を離
す事が出来ません。
王宮に着くと、彼女の侍女達が心配顔で待ち受けていました。しかし実際彼女の姿を確
認すると、安堵どころか却って心配の度合いが増してしまったようです。
それと言うのも彼女の見事な髪は、移動する際に風に揉まれ、王子が倒れた時の衝撃で
も乱れに乱れ、衣服に至っても、地面に触れたドレスは汚れ、他の部分も擦れたり綻びた
り散々な有様だったからでした。
彼女自身は自分が何ともない事は分かっていましたが、侍女達の強い勧めもあって、ま
ずは医師に診てもらう事になりました。もちろん結果は何の問題もなく、その後すぐに身
だしなみを整えるため、浴場へ連れて行かれたのですが、その時鏡に映った自分の姿を確
認し、今更ながら彼女は愕然としてしまいました。
(こんな状態でみんな…っていうか、ローランに見られた上に、あんな態度まで取っちゃ
ったなんてーーー!)
あの時は無我夢中だったものの、冷静になって自分の行動を振り返ってみると、ジラル
ディーノ国の責任問題にも発展しかねない、恐ろしい発言をしているのです。でも、あの
時のエルヴィーラ様にはそうするよりも仕方なかったとしか言いようがありません。今に
なってもその行動は間違っているとは思いませんが、王子の事を考えるとその自信も揺ら
いで来たりします。
(王子は大丈夫だったのかな…?)
そう考えてしまえば、ローランに取った態度の事はきれいに忘れてしまえるのから不思
議です。
彼女はふと、王子の態度がおかしくなった時の事が気になりました。
「ねえ、あの時なにかあったの?」
彼女は体を清めてくれている侍女達に、王子とガゼボにいる時に起こった騒ぎについて
尋ねてみました。
「…ああ、はい。あの時王弟殿下がいらっしゃいまして、王子にどうしてもお目通りした
いと仰っていたのです」
彼女はそれを聞き、何故それが騒ぎになったのかが分かりません。
「それが…。ローラン様が、王子は今エルヴィーラ様との大事なお時間をお過ごしになっ
ていらっしゃるので、通す事は出来ないと仰って…」
そう聞いて、ますます彼女は分からなくなって来ました。少なくとも彼女の方には、王
弟殿下が会見に割り込んで来たとしても、困る事は思い当たらないのです。
ガゼボに殿下を通して用件を聞き、そちらの方が重要ならば会見は改めれば良いだけの
事なのではないでしょうか?
でも実際にはローランはそれを阻止しようとし、王子はあの場所から逃げたのです。つ
まり王子にとっては困る何かがあの状況にあった事になります。
それは一体何でしょう?

考えてはみたものの、やはり今はその事よりも王子の容態の方が気に掛かります。入浴
後では到底待ち切れないので、その間に侍女を遣わせ、王子の様子を聞きに行かせる事に
しました。
ほどなくして戻って来た侍女の答えは、王子は彼女同様戻ってすぐに医師に見てもらい、
そして今は安静に休んでいるとの事でした。でも王子の意識はまだ戻っていないというの
です。
特に怪我があったとは言っていなかったという言葉を聞き、多少は安心したものの、や
はり意識が戻っていないのは気に掛かります。彼女は入浴を早々に終えると、今度は自分
で王子の元へと行ってみようと考えました。
ところが部屋を出ようとしたまさにその時、彼女の部屋にローランが訪ねて来たのです。
彼がやって来るという事は、すなわち王子の身に何かあったという事です。
エルヴィーラ様は居住まいを正し、ローランを向かえる事にしました。
侍女に通されると、いつものように颯爽と若き護衛隊長は部屋に入って来て、彼女に向
かい一礼をしました。その態度からは、普段と変わった様子は見られなかったものの、彼
女は何となく居心地の悪さを感じていました。
やはりあの時の自分の態度を、ローランがどう思ったかが気になったからです。目下の
者に対し、こんな風に思ってしまうのは彼女も初めての事です。
とはいえジラルディーノでは、彼女の臣下で、妙齢で美青年はいなかったため、ローラ
ンが特別なのかの比較のしようはないのですが。
そんな事を考えながらローランを見ていると、今度は王子のガゼボでの言葉が蘇ってき
ます。

――…姫は、ローランがお気に入りなんですね――

それを思い出すと、エルヴィーラ様の頬がさぁっと赤く染まります。それはローランに
対してなのでしょうか、それとも…。
気持ちの収拾がつかない彼女でしたが、次のローランの一言ですぐに現実に引き戻され
るのでした。
「王子の意識が回復されまして、エルヴィーラ様がよろしければお越しいただきたいとの
事です」

続く