◆◇ 変化×2 ◇◆

よくよく振り返ると、今日は本当に王子と密着する機会が多かったように思います。
ですが、それをエルヴィーラ様が意識しづらいのは、仮面というクッションが、一役も
二役も買っているせいのようです。それは、実際に素顔が見える訳ではないため、いくら
仮面に接近しようとも、顔同士が近くなっているようには思えないのです。
しかしこれは彼女の方からの感覚で、つまり仮面さえなければ、彼女の顔は王子に息が
掛かるほどの距離にある訳です。王子の側からすれば、著しく接近した彼女の顔に、意識
しないでいろと言う方が無理な相談です。
彼女ですら、王子を男性と意識しないとしても、彼が仮面を取った状態であるならば、
こんなに顔を近付ける事はまずありえません。
そんな状況なので、今の王子の反応は、全くもって当たり前の反応ではあるのですが、
普段が冷静過ぎるくらい冷静な王子なので、彼女にとってここは絶好の突っ込みどころと
して映ってしまっておりました。
そして、こういうオイシイ状況になってしまっては、王子の体調を気遣う事も二の次で、
手負いの動物を容赦なく狩るハンターよろしく、しっかりと攻撃を開始してしまうのでし
た。
「あ・らぁーーー? 王子ぃーーー? どぉーしたのぉーー? あたし、すっご〜〜〜く
心ぱ〜〜い??」
「――っ!」
彼女の様子が変わったのが分かると、こちらも狩られる者の防衛本能からか、王子はビ
クンと体を引きつらせ、彼女に押さえられている体をよじり、何とか逃げ出そうと試みま
した。
しかし、そんな事を許すエルヴィーラ様(と書いてハンターと読む)ではありません。
彼女は満面の笑みを浮かべると、王子の手を握り締めるや否や、その手を違わず自分の頬
へと誘導します。
丹精込めて手入れをしている玉の肌をアピールするように、幾度かふにふにと上下させ、
王子の指で顔を包むようにしてから、更に仮面に顔を密着させました。すると逃げる事も
忘れ、自分の行動にいちいち反応を返す正直な王子の体に、どんなに慌てているのかが手
に取るように分かるのですから堪りません!
(おお! 意識してるしてるーーー! これよ、これ! この反応が欲しかったのよぅ
ー!)
心の中で快哉を上げながらも、エルヴィーラ様は攻撃を緩めようとはしませんでした。
「…ねーぇ、王子ぃ〜〜? 手ぇ、すっごい熱いわよ」
そう言って、王子の手にすりすりと頬をこすり付けます。再び面白いように王子の手が
反応します。それを悟られているのが分かるだけに、情けない声を出してしまう王子でし
た。
「ひ、――姫ぇっ! たっ…、たのしい…ですか? ……こんなことしてっ!」
当然その問いは即座に肯定されます。
「うん、すっごく!」
そんな彼女の、本心から喜ぶ笑みを見てしまっては、やっと一言を搾り出すのが精一杯
のようです。
「………………………………………………オニ……」
彼女はしばらくそんな王子の様子を、くすくすと笑いながら見ていました。仮面の下も
きっと真っ赤な顔なんだろうと考えると、おかしくてたまりません。ですが――

(王子の…顔――?)

ところが次の瞬間、彼女は彼の顔を想像する事が出来ない事に気付いてしまったのです。
それが分かってしまうと、先ほどまでの達成感はあっという間に霧散し、笑顔すら何処
かへ引っ込んでしまうのでした。
そんな様子を見た王子は、不思議そうに彼女を窺います。
エルヴィーラ様はわずかの間逡巡しましたが、静かに彼の手を頬から離すと、まっすぐ
に王子を見つめ、そして言うのでした。
「…王子。…聞きたい事があるの」
彼女の声音に宿る、先ほどとは明らかに異なる真剣な響きが、部屋の中に緊張感を生み
出します。そして、そう言った事に人一倍敏感な王子は、それだけでいつもの王子に戻っ
て行くのです。
年齢相応の恥ずかしがり屋なソウ王子から、ジャーデ国王位継承権第一位の責務を負う、
冷静なソウ王子への変化。
その様子を目の当たりにした彼女は、何故か心臓が大きく跳ねるのを感じました。そし
て先ほどの王子と同じく、動悸が止まらなくなってしまうのです。
(な、なんなのよ、コレ!)
彼女は悟られまいと、慌てて王子の手を離し、むなしい抵抗と分かっていても、必死に
両手を押し当てて、無闇に高鳴る鼓動を収めようと試みました。
そんな彼女の態度に気付いているのかいないのか、王子は冷静な声で切り出します。
「…王弟殿下の事ですね?」
やはり彼は、彼女の聞きたい事を的確に捉えていました。
自身の気持ちに驚いていたエルヴィーラ様も、彼のその声で我に返ります。
「…そ、そう。何で王子があんな行動を取ったのか…、教えてもらいたいの」
彼女はあの時の事を思い出しながら、ゆっくりと王子に言いました。
そして王子が以前自分に言った、『姫に何も隠したくない』という言葉の誠意を確かめ
るかのように、王子を見つめます。
二人の間に再び沈黙が訪れます。その沈黙の意味する事を悟り、彼女は胸が苦しくなる
のです。そしてその予想が外れる事はありませんでした。
「…すみません。…その事について…、…今は何も言えません」

王子もまた、彼女と同じように、一つ一つを噛みしめるように言うのでした。

続く