◆◇ 恐れ ◇◆

「…あたしには、隠し事はしないって…言ったのに?」

「……すみません」
答える王子も苦しそうです。
そんなふうに言われては、彼女は何も言えなくなってしまいます。動悸を抑えるために
当てていた手は、きつく握られたまま、今は違う何かを抑えていました。
(ごめんなさいとかすみませんとかが聞きたいわけじゃないのに…)

しんと静まり返った王子の寝室は、誰もが息をしていないようです。
ぼんやりとした頭で、彼女は王子の部屋に視線を移しました。ここは、エルヴィーラ様
の部屋よりも更に大きく、大変広い部屋でした。
部屋に入り、すぐに彼女の目にとまったのは、王子の体にはふさわしくない、大きく立
派な机です。机の上には、書類入れや使い込まれた筆記具などが、所狭しと並べられてい
ます。
そして、何より彼女の部屋との違っていたのは、王子の国独特の煌びやかな装飾のつい
た調度よりも目を引く、部屋にある蔵書の多さでした。机の後ろには大きな窓があり、そ
の両脇を固めるように、天井に届くほどの本棚がしつらえてあります。その棚に整然と並
ぶ、本、本、本の列――
弟のエリクの部屋にだって、これほどの蔵書は見た事がありません。同じ次期国王でも、
ソウ王子が背負うものは、この書物の量に比例するほどに重いものなのかと、彼女はひど
く驚いたのです。
こんな重苦しい場所が自分の部屋だなんて。王子は毎日何を思っているのでしょう? 
そういった調度と反比例するかのように、この寝所が部屋の隅にひっそりとありました。
そんな佇まいに彼女は、王宮の中でここが王子の唯一の砦のように思えてなりません。
そしてそれを証明するかのように、ベッドの近くには小さな机が置いてあり、そこには可
愛らしいガラス細工の鳥が置いてあるのでした。
それは一見、少女趣味とも思えるほど繊細な、細工をほどこされた鳥の置物です。その
鳥は三羽でセットのようで、大きい精悍な雄の鳥が一羽、それよりも少し小さな美しい雌
の鳥が一羽、最後にその二羽から比べると、ひとまわり体の小さな可愛らしい子供の鳥が
一羽。
(親子なんだ…)
その置き物を見ていると、不思議と心が落ち着いてくるのを感じます。
すると、王子の言った言葉が、今更ながら引っ掛かって来たのです。
(――今は言えない?)

「…王子」
今まで水を打ったように静まり返っていた室内は、再び彼女の声で息を吹き返しました。
「……何でしょう?」
王子もやっと流れる時間に顔を出し、そう言葉を返します。
「…今は言えないって事は、いつかは教えてもらえるの?」
そう言った彼女の問いの、王子の返答には、少々の間がありました。
「……ええ、僕がこの仮面を姫の前で取った時には、きっとお話します」
やっと答えた王子でしたが、その言葉には何故か元気がありません。
(でも、王子が仮面を取った時って――)
彼女の疑問は顔に出ていたようで、王子はすぐさまそれに言葉を返して来ました。
「…そうです。姫が僕の事を好きになってくれた時には、お話しなければならない事です。
でも…」
「…?」
「…僕は話すのが、…怖いです」
そう言うと、王子の気力が目に見えるようにしぼんで行くのが分かりました。
「…それ以外には、何らかの理由で僕がこの仮面を取る事になった時にもお話しするつも
りです。…すみません。こんな事しか…、今は言えないんです」
再び王子は謝りました。
もう彼が謝るのを聞きたくなかった彼女は、今までの話をすっぱりと断ち切るように言
いました。
「…わかった。もうそれは良いわ。でも、その代わりに答えてちょうだい」
元気のなくなった王子に、つとエルヴィーラ様は顔を近づけます。
「…な、何ですか?」
すると、王子の声に少し明るさが戻るのが分かりました。それに気が付くと、不思議と
自分の気分も軽くなって来るのです。
「今日確かあたしに、『…姫は、ローランがお気に入りなんですね』って言ったわよね
…?」
「っ、っ!」
王子は声を詰まらせました。その様子を見て取ると、彼女は間髪を入れず、とどめの一
撃を繰り出します。
「あれって、ヤキモチよね?」
「――っ!」
王子の雰囲気が、完全に先ほどの感じに戻っていました。
「なっ…、そんなの…っ、ぜんっぜん今の話に関係ないじゃないですかっ…!」
そう言う王子の声は、しどろもどろもいい所です。きっとまた熱が上がってしまってい
るのでしょう。彼女はちょっとやり過ぎとは思いつつ、更に深追いをしてしまうのでした。
「関係なかろーが、関係あろーが、あたしがそれで納得すんだから答えなさいよね! ホ
ラ!」
「…っ、僕っ、具合悪いんですよ! 熱があるんですから!」
「さっきそんなに辛くないっていったもの!」
「――っっっ!」
王子はしばし逡巡しましたが、それはそれは小さな声で『…そうです』と認めたのでした。
それを聞いた彼女はやっと気が晴れ、そろそろ王子を解放してあげようかと思いました。
今日は彼女にとっても、色々ありすぎて少々疲れたのですから、体調のすぐれない王子
にとっては、本当に大変な一日だったに違いありません。エルヴィーラ様が王子から体を
離そうとしたその時、今度は彼が口を開きます。

「…ひ、姫は…、僕の事をどう思ってるんですか?」
「えっ! えええっ?」

続く