◆◇ 四年前 その一 ◇◆

「…おや、これはこれは。ジャーデ国の…、皇太子様ではありませんか?」
「…おお、本当だ! 確か…ドウだとかモウだとか仰る…、おおっと失礼、ソウ王子でし
たね」

そこにいたのは、コフラー国のヴァレリオ王子と、メンディリバル国のギリェルモ王子
でした。
お二人は王と王妃がいらっしゃる謁見の間に続く広間にいて、そこは各国の交流の場ら
しく、他の国の方々も談笑を楽しんでおられるような場所でした。呼び止められた僕は供
の者を後ろに控えさせ、お二人の側へ行きました。
同じ王子とはいえ、ヴァレリオ殿は御歳三十一、ギリェルモ殿は二十八歳と、まさに大
人と子供ほどの年齢差がありました。
ですから、とにかく失礼にならないよう振舞おうと必死に挨拶したものです。

「お、お初にお目にかかります。…ヴァレリオ王子、ギリェルモ王子。お声を掛けて頂け
るとは、こ、光栄です」
片膝を付き、僕は深く頭を下げてそう言いました。僕のそんなぎこちない挨拶を一瞥す
ると、彼らは吐き出すように言葉を浴びせます。
「…これはこれはご丁寧に。さすが今をときめく富国の皇太子様ともなると、礼儀をわき
まえていらっしゃる事ですなあ!」
「全く、もったいない! 成り上がり…、いや、歴史の浅い国とはいえ、今や私達の国な
ど、及びも付かない大国になっておられるというのに…」
僕はそれを聞き、お二人がわざわざ僕を呼び止めた理由が分かってしまいました。
貧しかった頃のジャーデは、この二国を含む多くの国から融資を受けていました。です
から父は、自国で自給自足が出来るようになった後、今までの援助に報いるため、借り入
れた以上の金品を返還したと言っていたのです。
ところがその事が却って、お二人の国のように、現在の財政が厳しく、由緒ある王国の
反感を買ってしまったようなのです。
富国になったジャーデに対し、正面切って悪し様にするのは難しいですが、社交の場で、
恥をかかせる事くらいは、出来ない事ではありません。特に今、名代として来ている年端
の行かぬ次期国王になら、失態を引き起こさせられる。そう踏んだに違いありません。
僕は対処に困りました。
こんな場面に遭遇したのは生まれて初めての事でしたし、その上、まだ日も高いという
のに、彼らは既にしたたかに飲んでいるようだったからです。
「…ソウ王子もエルヴィーラ姫を妃に迎えようとお思いですか? はは! それはそれ
は! 姫も大した玉の輿な栄誉ですなぁ…、さすがはこの国自慢の姫様だ!」
「い、いえ…、わ、私は父の…」
「件の姫君は、私達にもまだそのご尊顔を拝させては下さいませんよ! よほど値踏みが
上手いのでしょうなあ? ジャーデのような富国でなければ会えないとは!」
お二人の威圧するような赤く濁った目は、ひたと僕を見据えています。膝を突いて見上
げる僕には、彼らが大きく恐ろしいものに思え、ますます萎縮し、声を出すのもままなら
なくなります。そんなやり取りを伺っていた、僕の従者達も、割って入るべきかの判断を
考えあぐねている様子でした。
そうこうするうち、その場の方々が集まって来てしまいました。それに気が付いた時に
は、頭の中が真っ白になり、何も考える事が出来ません。猟師の前の小動物よろしく、身
動きが出来ない僕を見て取ると、彼らは更に僕へと詰め寄ろうとします。
「…おやぁ〜、どうしました?」
「どうやら王子は、私どもような貧国の言葉などは聞く気がない、という事なぶふぶふぁ
ぷふ〜〜!」

バシャバシャと飛び散る水しぶき。ギリェルモ王子の言葉の最後は、僕らの頭の上に降
り注いだ大量の水でかき消されてしまいました。お二人はもちろんの事、僕も何が起こっ
たのか分かりません。
すると、体から水を滴らせ、三人仲良く座り込んだその目の前に、その方は突如現れた
のです。

それは、手に大きな花瓶を持った、こちらに向かって端然と微笑んでいる、それはそれ
は美しい少女――

(でも――なんで花瓶?)
先ほどまでのテンパリ具合が嘘のように、僕は少女を観察していました。集まりかけて
いた他国の方々も、皆そちらを見ています。
辺りはまさに、水を打ったような静けさに包まれ、僕らはしばらく口をきくことも忘れ、
その姿に見入っていました。
「…エぷ、エ…ルヴィーラ…姫…?」
ヴァレリオ王子が、ようやく水を吐きながら、あえぐように彼女の名前を言います。そ
こでようやく、僕はこの方が、ジラルディーノ王国第一王女、エルヴィーラ姫だと分かっ
たのです。

エルヴィーラ様は噂に違わず美しい姫君でしたが、その美しい顔には、凄まじい気迫が
満ちていました。その鋭い眼光は、名を呼んだヴァレリオ王子をひたと見据えているでは
ありませんか。僕だけでなく、誰もがそれに飲まれてしまい、音を立てる者もありません。
辺りにみなぎる緊張感――

ところがそれはあっけなく終結を迎えました。
まるで大輪の花が開くかのような微笑みをまとい、姫が王子に向かって話し掛けたから
です。
「…ごきげんよう。ええと、確か…、バレバレ様とギリギリ様でしたかしら? お会いで
きて大変光栄ですわ!」

続く