◆◇ 宣言 ◇◆

「…でも僕は次の日にはジラルディーノを発ってしまいましたから、とうとう名前を言え
なかったんですよ」
「ははあ〜……(汗)」
確かにそんな事もあったような気がします。
「出会いとしては、結構インパクトあるものだったんで、覚えていてくれるかな? と期
待していたんですけど」
「そっっ、それには……、色々あって…」
エルヴィーラ様はあの後、王妃に見つかってしまった恐ろしい思い出の印象が強すぎて、
こんなに詳しく聞いたというのに、どうしても細部を思い出す事が出来ません。
「…しかたないですね。たった一度、しかもあんな短時間ですから」
「…う、うう…」
王子が本当に残念がっているのが分かるので、彼女の心がちくちくと痛みます。自分だ
って、今となってみれば、きちんと覚えていたかったと思うのです。
ですが、これで王子が絶世の美少年などではない事がはっきりしてしまいました。こん
な風に出会っているのですから、いくら好みの年齢に達していないとはいえ、容姿が良け
れば、記憶には残しておく自信があります。

『普通の容貌で、泣き虫で年下の少年』

そのようなタイプであったからこそ、彼女の頭脳は易々とその記憶を削除してしまった
のでしょう。つまり今は、『普通の容貌で、性格と頭は良い、そして見かけに寄らず運動
神経の良い年下の少年』な訳です。
この結論から、昼間の自問自答が脳裏をよぎります。

王子の容姿が可でもなく不可でもない場合は――『容認』

つまり、自分は王子と婚姻を――。エルヴィーラ様は頭が沸騰しそうになりました。
彼女の頭の中でどんな事が起こっているかも知らず、王子はぽつりと言いました。
「…でも、僕はあの時本当に、姫の事、すごいなって思いました」
「…!」
王子が何を言おうとしているのかも分からないと言うのに、その声に反応し、彼女は顔
が火のように熱くなるのを感じました。
王子のいつもの鋭さがあれば、自分の考えが分かってしまうかもしれない――そう考え
ると、彼女は言葉も出せません。彼女はじっと、王子の言葉を待つよりありませんでした。
ところが――
「…きっと、きっと姫なら…、例え自分が何者であっても、自分は自分だって胸を張って
いる気がしたんです…」
予想もしない方向に飛んで来た王子の言葉に、彼女はそれをこぼさないようにキャッチ
するのが精一杯。ですが、その言葉の真意をよく吟味も出来ない内に、彼女は上がってい
た血が落ちていくのを感じました。
何故なら、そうつぶやいた王子の声が、とても悲しそうなのが分かったからです。
彼は先ほどエルヴィーラ様が見ていたガラス細工の方へと頭を巡らせます。

親子の鳥。
それが何を表すのか、彼女に分かるはずがありません。
「でも僕は……」
「……?」
王子の声は、悲しいと苦しいを混ぜたように響きます。
この年若い少年王子には、一体何があるというのでしょう? 国も裕福で、両親も非常
に人徳のある方々に恵まれ、更には臣下の者にも慕われている、まさに理想的な王子なの
に。
確かに次期王位継承者としての重責はあるのかもしれませんが、それは王家に生まれた
者として仕方のない義務なのです。王家の者は、それを補って有り余るほどのものを与え
られているのですから。そんな事は、この聡い王子なら当然理解しているはずの事なのに。
なら、何故こんなにも彼は苦しそうなのでしょう。
「…だから僕も…、そうなろうと思ったんです。エルヴィーラ姫のように。……僕も、僕
だから…」
「――」
彼女には、王子の言いたい事が理解出来ませんでした。でもそれはたぶん、王子が『言
えない』と言っていた事に関係しているような気がするのです。
王子は何かに怯えている――
彼女の逡巡が分かったのでしょう。王子はエルヴィーラ様の方を向きました。
「…ごめんなさい。訳分からないですよね」
仮面の奥で王子が頼りなく微笑んでいるような気がしました。そうすると、また彼女の
胸がちくりと痛みます。
「…部屋に、戻るわ。だからもう休んでちょうだい」
そう言うのが精一杯です。
今日は本当に色々ありすぎて、彼女も感情のコントロールがきかなくなりそうです。王
子に何かを言いたいような、言ってしまうのが怖いような。
だからそうならないうちに、今日の所は退散したかったのです。
エルヴィーラ様が寝所から、次の間の仕切りの扉に近づいた時、王子は再び彼女に呼び
かけました。
「…次は」
エルヴィーラ様は王子の方を振り返ります。
「…何があっても、誰が来ても…」
王子はベッドから体を起こしていました。
「次は決して、逃げませんから!」

続く