◆◇ 恩人 ◇◆

王子の部屋から退出すると、ここへ来た時と同じようにローランが立っていました。
彼女の沈痛な面持ちのせいか、彼も少々心配そうな表情になりましたが、特に何かを聞
くという事はしませんでした。そんなローランに付き添われ、自室に向かいながらも、彼
女の心には重いものが詰まっているようで、足取りも重くなってしまいます。

不思議なものです。
二週間前にこの国に来た時は、ローランが王子だったら良かったと思っていたというの
に。その彼が側にいても、心が弾まないなんて。
横を歩くローランの姿は、出会った時と全く変わらず優雅で精悍で、だから変わってし
まったのは間違いなく自分の方なのだと感じずにはおられません。
「…ねえ、ローラン」
「はい。何でしょう?」
彼は歩を少し緩め、顔をこちらに向けました。こんな事を聞いてどうなるのか、よく分
からないまま言葉を紡ぎ出してみました。
「ローランが王子に仕えるようになったのはいつ頃からなの?」
急な質問に驚いたのか、それともこれは『独り言』として話さなければならない事かを
判断したのか、ローランの返事には少し間がありました。
「……王子が十歳になられた時からです。ですからまだ三年ですね」
「…そう」
四年前に王子に会った時、彼が一緒にいなかったという事が、妙に納得が行きました。
彼女の美顔探知機に全く引っかからなかったのですから、やはりあの場所にローランはい
なかったのです。
でも…
「…何となく、もっと前から仕えているんだと思ってたわ」
「何故ですか?」
「何故って…」
それは、彼の王子に対する態度が、非常に一途な気がするからでした。
「…だってローラン、王子の事が大好きそうなんだもの」
「っ!」
彼女の不意の攻撃に、横を歩く美丈夫が噴き出しました。
「…だ、大好きですか…? それは私も王子の事は大事に思っていますが…」
頬を赤らめてそう言う身辺警護の長は、何だか可愛らしく感じます。
そう、王子の周りには、こんなに王子の事を思ってくれている臣下もいるのに。
エルヴィーラ様はローランの顔をまっすぐに見ると、真剣に問い掛けます。
「ローランは、王子が王位を継げば、この国は今よりももっと良くなるって思ってる?」
「……」
彼女の真意が見えないせいか、それとも話が飛びすぎているせいか、またもローランの
返答に間が空きました。ですが、彼女の表情が真剣なのを見て取ると、ローランはきっぱ
りと言い切るのです。
「ええ、もちろんそう思っています。私も、臣下の者たち全員が」
ローランの力強い言葉を聞いて、先ほどまで重かった胸のつかえが少し軽くなった気が
しました。

大丈夫――
そんなにひとりで思い悩まなくても、きっと大丈夫――

彼女は心の中でそう呼びかけるのでした。

自室には間もなく到着し、ローランは去り際にこんな事を言いました。
「ご存知でしたか、エルヴィーラ様。この国の厳しい気候は、花が大変自生しにくいので
すよ」
「…あら、でもガゼボにはたくさん咲いているでしょう?」
彼女の疑問はもう予想出来ていたという顔で、ローランが続けます。
「エルヴィーラ様の国は、森や山に囲まれ、花々も美しく咲く国だったでしょう?」
「ええ、そうよ」
そう言いながら、ローランは故郷に来た事がないはず、という事を思い出していました。
(王子にでも聞いたのかしら?)
そしてまた、ローランが何故今そんな話をして来たのか、真意を汲み取ろうと顔を見上
げます。
彼はそれに構わず話を続けます。
「ガゼボはエルヴィーラ様がいらっしゃる少し前に完成させたんです。花々は四年前から
育てているものですが」
「…四年前?」
「…ジラルディーノ王国に行った時、種をいただいて来たそうです。先ほども言いました
が、この国で育てるのは手が掛かるのですが、それは大事にお育てになっていました」
「…!」
「あそこにガゼボを立てれば、エルヴィーラ様も国を思い出す事が出来るでしょう?」
「……」
エルヴィーラ様は言葉にはしませんでしたが、ローランが誰の事を言っているのかは明
らかです。
「…そういう方です」
そう言うとローランは、満足したように頭を下げ、来た道を戻って行きます。彼女は嬉
しいような悔しいような、よく分からない気持ちになりました。
よく分からない気持ちは今日はもうたくさんで、でも確実に、彼女の心は軽くなってい
るのです。
だからローランの背中に呼び掛けます。
「本当に、大好きなのね!」
すると、彼は振り返って言います。
「…大好き、というか恩人なんです。私にとって」

――恩人?

それはまた考えの及ばない言葉が出て来たものです。彼女がその答えを聞く前に、見る
者全てを篭絡させる笑顔で、最後の追い討ちを放った後、ついに彼は立ち去ったのでした。
「…だから、是非エルヴィーラ様にも王妃となって、王子を支えていただきたいんです」

続く