◆◇ 前夜 その二 ◇◆

「……」
王子は少し考えているようでしたが、結局は彼女の言葉に従いました。
よくよく考えてみると、エルヴィーラ様の事を好きでなくなったのであれば、あんな取
り引きには何の効力もないのですが、ともかくここに留まってくれるようです。それが分
かると、彼女はさらに要求を追加しました。
「…そんなトコに…、かくれてない…で、こっちへ、き、きてよ!」
彼女は言葉の端々でしゃくり上げながらも、王子に強く言い募ります。
「…でも、だから、僕、仮面を被ってないんですって…」
王子は困ったように言うのですが、泣いている自分に混乱した彼女は、十七の少女の分
別を捨ててしまったようです。
「…そ、そんなの! なんかでかくせばいいじゃない! …なんで、なんできてくれない
のよーーー!」
そうして今度は本当に大きな声を上げて泣き出してしまったので、さすがに王子もこれ
には降参するしか手がなかったようでした。
「分かった、分かりました! じゃあ…」
そう言うと彼女の背後で再びガサガサと音がしたかと思うと、やっと王子は姿を現した
のでした。
「…これで…、いいですか?」
そう言うと、頭に上着を深く被った状態で、口元は袖を巻いて隠すという、何とも奇妙
ないでたちで現れたのでした。普段のエルヴィーラ様ならば、そんな姿を前にして、攻撃
を仕掛けない手はないのですが、そんな姿さえも今は涙の助けになるようで、それは収ま
るどころか更に激しくなりました。
王子はどうしようかと、立ち尽くして考えているようでしたが、それを待たず彼女は先
に行動を起こしてしまいました。

「――っ!」
彼女は王子を引き寄せると、その小さい体にすがりつき泣き始めたのです。
王子も初めは緊張と驚きのせいか、体を硬くしているようでしたが、やがて自分も手を
回すと、彼女を優しく抱きしめます。王子の温かい手のぬくもりを感じると、彼女も次第
に安心し、涙も収まって来るのが分かります。
そんな様子が分かると、王子はそっと耳元で囁きました。
「……何で…、泣いてるんですか…?」
その声はあまりにも優しくて、彼女は再び涙があふれそうになるのでした。言いたい事
はたくさんあるのに、こうしているだけで半分はどうでも良くなってしまうなんて。
でも一つだけ確実に言える事を言ってみます。
「…王子のせいだもん…」
それを聞くと、王子は心当たりがあるのか、何も言わなくなってしまったのです。
彼女はその沈黙が、肯定の返事に思え恐ろしくなりました。
このまま明日になり、婚約の儀式が始まれば、王子は自分に求婚すると言いました。で
もそれは『形式』だとも言ったのです。
王子の言いたかった事は、本当に自分を好きでなくなったという事なのでしょうか? 
聞きたいけれど、真実を聞くのは恐ろしい事です。でも、こんな風につまらない意地や、
恐怖に怯えている自分ならば、王子は本当に愛想をつかしてしまうのではないでしょうか。
四年前の自分の奔放な態度を、それでも勇気があると言ってくれた王子に、こんな情け
ない姿ばかりを見せていたくはありません。
(意地を張るなら、真実を聞く勇気に意地を通さなくちゃ! 『形式』で伝えられる明日
の儀式より、この場で王子の口から聞く事を選んでこそあたしじゃないの――!)
彼女は思う限りの勇気を奮い起こし、王子の体から顔を上げました。
そして息をゆっくり吸うと、一旦目を閉じ、再び開けた時には、迷いなく尋ねているの
でした。
「…王子は…あたしの事をどう思ってるの?」
それは以前に、王子が彼女に聞いた全く逆の質問だったのです。

続く