◆◇ 前夜 その四 ◇◆

「…え? えええ?」
さすがにこの告白に、彼女は声を立てずにいられませんでした。
ですが彼女の言葉に反応せず、王子は淡々と話を続けて行くのです。
「仮面が作られたのはそんなに昔じゃないんです。今から百年ほど前なんで、二代前の国
王が初代国王を模して作られたと言われています」
いつもは自分より他人を優先させるのが常な彼が、こういう風に話す時は、何を言って
聞かない意思表示。それが分かって来ているエルヴィーラ様は、黙って言葉を呑みました。
「…その王も国王になる時、僕と同じような問題があったんです。だから初代国王を模し
た仮面を被る事で、真の王になろうとした」
「……?」
王子は一呼吸置いて再び口を開きます。
「あの話は、今のこの国の現状です。父の代でこの国は裕福になった。でも、そのため、
国内外に問題を抱えてしまいました。父がもう少し若ければ、それを解決出来たかもしれ
ませんが…」
確かにジャーデ王は、近隣の王の中でも高齢の王と言えるでしょう。
それは、この年齢になっていれば妙齢の王子や王女が数人いて、そろそろ次期王位継承
者に王位を譲り、下位の王子や姫などが、他の国との繋がりを作るため、輿入れをしてい
るのが普通です。彼女の母国も、王子と王女一人ずつと子宝は少ないものの、間もなく成
人する王子がいますし、王と妃の年齢ならば、まだ子供を成す事が出来ない話でもないの
です。
ですがジャーデでエルヴィーラ様が紹介されたのは、この年若いソウ王子一人だけ。国
の行く末は確かに順風満帆とは言えないようです。
いつの間にか二人は、彼女の部屋の前までやって来ていました。
王子はエルヴィーラ様を腕から下しはしましたが、彼女の手は握ったままでした。です
がその彼の手は驚くほどに冷たく、そして微かに震えているのです。彼女はそれに気が付
くと、王子の具合が急変したのかと驚き、空いた手を王子の手に重ねます。
「王子?」
王子に自分の体温を分けるように包むと、彼の指がエルヴィーラ様の指を強く握り返し
ます。そしてそれが合図のように、彼は声を絞り出して、こう言ったのです。
「…あの王子は半人半獣。…でも僕、…僕は…、…半人半獣ですらない…」
言葉の語尾は揺れていて、エルヴィーラ様は王子の痛みが伝わって来るようでした。で
すが彼女には段々と、王子の比喩は何を表しているのか、そして彼が恐れているといった
事柄も、理解出来たような気がするのです。
するとまるで日が差すように、ここ数日荒れて暗かった彼女の心に、温かい光が生まれ
ました。それを今の王子にも分けてあげたいと思った彼女は、王子に握られた手を引き寄
せると、もう一方の手で王子の体を包むように抱きます。
抱きしめられた王子の体は、一旦緊張したように固くなりましたが、それに抗う事はし
ませんでした。
二人はそのまま、しばらく無言で体を寄せ合い、お互いの体温を共有するのでした。

「…さっきの声…、王子は気が付いているの?」
あまりにも小さな声――
きっと彼以外には届かないような声でエルヴィーラ様が囁くと、王子も彼女の耳元で答
えます。
「…心配要りません。愚かな行動で彼をがっかりさせない限り、ローランは僕の一番の親
友だと言ってくれてますから」
こんなに消え入りそうな声とは裏腹に、その自信に満ちた言葉には、ローランへの信頼
が溢れていました。二人がどのような友情で結ばれているのかは分かりませんが、彼女は
それに嫉妬心が起こりました。
もちろん今のエルヴィーラ様には、ローランと王子、どちらに嫉妬しているのかはっき
り分かります。嫉妬は別にして、彼女もあのローランが、王子を裏切るような真似をする
とは思えませんでした。
「…そうね。あたしもローランを信じてるわ…」
「……」
彼女の言葉に、わずかながら王子の変化が見られました。彼は体を離し、彼女を正面か
ら見られるよう、顔の位置を変えます。
「…さっき聞きましたね? 僕が姫をどう思っているのかって」
彼が囁くたび、吐息が掛かるほど側にいるのが分かります。そんなに近くにいても、未
だ輪郭もおぼろなのに、エルヴィーラ様は王子の言葉を聞くと、心臓を何かで突付かれた
ようになるのです。
「…姫はずるいですよ。あれは…、僕の言葉じゃないですか」
王子もその事にちゃんと気が付いていたようです。
「婚約の儀式が決まって…、僕も色々考えたんです。状況を全然説明出来ないままここま
で来ましたが、今は更に色々な事が取り決められてしまいました」
「色々って…?」
「…それも言えないんです。フェアじゃないでしょう? 初めからそうだって言われると、
困りますけど…」
「…」
「だから姫には、儀式で断わる機会を設けたんです」
「!」
王子はそこまで話すと、大きくため息をつきました。
「…僕は、…今まで何度か、あなたに僕の気持ちは言って来たはずです。だからこの国に
来てもらったって…。その気持ちは今も変わっていません」
「…!」
王子の声に強い意志の力を感じ、思わず顔がほころびそうになった彼女ですが、彼の次
の言葉にそれが引っ込んでしまいます。
「…僕には、あなたの気持ちの方が分かりませんよ」
他の事には驚くほど鋭いくせに、何故こんな事は分からないのかと、エルヴィーラ様は
呆れ、でもそれはそれで彼らしい気もしました。そんな彼女の無言の間をどう捕らえたの
か、王子がモゴモゴと訂正するのです。
「…いえ、…分からないっていうより、楽観視しないようにしてるのかな…? 姫は…、
厳しいようでいて、結局優しいですから、僕が辛そうなのを見たら、手ぐらい差し伸べち
ゃうでしょう? だって…、僕は、あなたの弟殿下よりも幼いし…」
「!」
『幼い』とは、また似合わない形容詞を出してきたものだと、彼女は噴き出しそうになり
ました。
「…確かに、まだ十二だって聞いて驚いたわ」
彼女の声が笑っているので、彼は少しむくれたように言いました。
「もう十三です。日付が変わったから…」
彼女は王子が、また年齢相応に戻っているのが分かりましたが、今は彼をやり込める思
案など沸いてこない自分が不思議です。
そして優しい気持ちで囁きます。
「……じゃあ、誕生日のプレゼントをしないとね」
「は?」
「プレゼントよ。誕生日には付き物でしょう? 王子が絶対喜ぶものをあげるから、楽し
みにしてて」
そう言って、エルヴィーラ様はもう一度王子を強く抱きしめました。
もうそんな事にも慣れてしまったのか、彼女に体を預けながら、彼は小さく呟きます。
「…本当に…、よく分からないや…」
ですが、その声は温かく弾んでいるのでした。

続く