◆◇ 婚約の儀式 告発 ◇◆

謁見の間に、王弟殿下が入って来たのが分かります。

そこの事を認識しても、エルヴィーラ様はずっとまぶたを閉じていたい衝動に駆られま
した。ですが殿下を前にして、そんな事など許されるはずがありません。ようやく意を決
すると、目を開く事にしました。
初めは薄く、徐々に目を開いていくと、先ほどまで見ていた王子の足先、そして肩まで
が目に入ります。そこまではすんなりと見る事が出来ましたが、それ以上を見る勇気が
中々湧いて来ないのです。
小さく深呼吸をし、ようやく目線を上へ運べば、そこにはつややかな黒髪を肩口で切り
そろえ、明るいとび色の大きな瞳を持つ、りりしい少年の姿がありました。
それがエルヴィーラ様の見た、ソウ王子の素顔だったのです。
「…ごめんなさい。詳しい話は、後で…」
目の前の少年は、確かに王子の声でそう語り掛けました。彼はエルヴィーラ様が自分を
見るのを確認すると、少し悲しそうに眉を歪め、殿下の方に向き直りました。
先ほどまで被っていたあの仮面は、既に王子の元になく、侍女が王子の元から離れて行
くのを見ると、殿下の目に付かぬ場所へと隠すのでしょう。王子と同じく殿下の方に、目
をやってはみましたが、胸が押しつぶされそうなのは、どうにも抑えられません。その痛
みは、彼女がジラルディーノに戻る事が決まってしまったからで、それは決して自分の意
思ではなく、王子の意思でもないのです。
ですが、王弟殿下の大きな声が、そんな感傷に浸る余裕もくれません。
「…ようやく会えたな、ソウ! 今日はエルヴィーラ姫との婚約の儀と聞いた! なのに、
私に知らせが来ないはどういう事か?」
王弟殿下は語気も荒く、王子に言い募ります。
「…私に内密にせねばならぬ訳でもあるのか? お前もよーく知っての通り、私はお前の
叔父であり、継承権ではお前の次に資格を持つ者! もしも何か、お前に後ろ暗い事があ
ってなら、私も黙っていられぬぞ!」
その言を聞いた彼女は、王子が知られてはならないと言った事柄は、既に王弟殿下に伝
わっており、それを暴く機会を待ち受けていたという事が分かりました。
「どうした、何か申してみよ! ソウ!」
すると、今まで黙ったいた王子が口を開きました。
「言葉をお控えください、殿下! 私はあなたの言う通り、第一王位継承者。次期国王た
るこの私に、無礼な振る舞い、例え叔父上であっても見過ごす事は出来ません!」
その声の威圧感に、周囲の者が一瞬にして呑まれるのが分かります。
自分の前では温厚で、気弱な少年に見えていただけに、彼のその豹変ぶりは、彼女も驚
く他ありません。
「――ぶ、無礼なのは、誰か! こ、この国の行く末にも関わりある重要な婚約の儀式。
何故この叔父に秘密にする必要がある?」
もちろん殿下も迫力に呑まれ、言葉もおぼつかなくなりながら反論をして来ましたが、
それを耳にした王子は、さらに表情に凄味が増すのです。
「…国の行く末、と申されましたか?」
そう言う彼の声は、今までに聞いた事もないほどの冷徹な響きを持っていました。その
響きが凍てついていればいるほどに、彼の心の中の激情が、彼女の胸に伝わります。
そして次に発せられた彼の言葉に、大きな衝撃を受けるのでした。
「叔父上の憂国とは、この儀式が済んで婚約が確定し、陛下から王位が継承されてしまう
事でしょう!」

――この儀式が済んで、王位が継承?

驚いてはみたものの、ですがそれは、深夜に彼が、エルヴィーラ様に告げた、ある一言
を呼び起こさせるのです。

『…今は更に色々な事が取り決められてしまいました』

言えない事、とはこの事だったのでしょうか。
確かに婚姻が成立すれば、その年に満たなくとも、世間では成人と同じ扱いになる事が
あります。ですが即位とは、まだ十三の王子にとって、やはり重過ぎる責務ではないでし
ょうか?
あの民から信頼の厚いジャーデ国王が、我が子可愛さだけでこんな事を決めるとは、と
ても考えられません。存命中に王位を継承させられれば、陛下自らが息子を一国の王とし
て、導いて行けると判断しての事なのかもしれません。でも…。
「それが性急だというのだ! 何故陛下がご健在であらせられるのに、次期国王を擁立す
る必要がある? その理由はお前にあるのだろう、ソウ!」
彼女は思わず王子を見ました。
彼の涼しい横顔は、焦りも何も見受けられず、まっすぐに王弟殿下を見据えています。
その瞳がすっと細くなったと思うと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出します。
「…陛下と王妃をどうされた?」
王子の言葉を受けた殿下は、何がおかしいのか、顔に愉悦の表情を浮かべました。
「この期に及んではぐらかしか? 案ぜずともお二人は、部屋でお待ちいただいている。
もっとも、王位を若輩なお前に委ねようとするほどお体が悪いなら、具合いの急変までは
責任は持てないがな!」
自国では遭遇した事のない状況にある事を、彼女はここに来てようやく実感しました。
仮面の作り話は、今のジャーデの現状だと、王子が語った事を思い出します。
もちろん国外の問題は、四年前にジラルディーノで彼が体験したような出来事でしょう。
そして国内の問題である、『王族内の王位継承を巡っての諍い』とは、つまり富める国
になったジャーデを、王子が即位する事に対する反発――いえ、王弟殿下を含む、それ
以下の継承者が阻もうとしているという事です。
阻むと言うのはあまりにも、軽い表現かもしれません。陛下や王妃の処遇から、この後
王子までも亡き者にすれば、この国の実権は、時間の問題でこの殿下に移るのですから!
すると、あの時庭園で耳にした事は、まさしく王子を抹殺しようとした企みだったので
はないでしょうか? そしてそれに、ローランも加担していたという事なのでしょうか?
今更ながら、彼女は背筋が凍る感覚を味わいます。
彼女は王子を見つめ続けていました。ローランを信じると言った、王子に微塵の揺るぎ
も見られないのは、やはり彼を信じているからに違いありません。
その視線に気付いたのか、彼は殿下から目を逸らし、彼女の瞳を捕えました。殿下に向
ける視線と違い、王子の目は暖かで、彼女の心中を察してか、小さな声で語り掛けます。
「…大丈夫です。あなたは僕が守りますから」
そんなに心細い顔をしていたのかと、彼女は自分が情けなくなりました。しかし、その
言葉を聞くと、心に強い火が点るのが分かりました。もうそれだけで、彼女の取る行動は
決まりました。
(ならあたしは王子を最後まで見届ける――)
王子は彼女の変化を読み取ると、再び険しい表情で、殿下を見据えて言い放ちます。
「ではお答えしましょう! 国の行く末にとって重要な儀式であるからこそ、影で私を亡
き者にしようとするお方をお呼びする事は出来なかったのです! 叔父上、私が何も知ら
ないとお思いか?」

続く