◆◇ 婚約の儀式 終結 ◇◆

それはまさに暗殺の告発――。
その言葉を受け止めた、王弟殿下の表情が、見る間に邪悪に歪んで行きます。
「ソウ貴様…、自身の言葉に気をつけろ! それがどういう事か、分かっての物言いであ
ろうな?」
その言葉に反応したか、今まで謁見の間にはいなかった、衛兵達が殿下の後ろを固めま
した。
そしてその中に、あのローランもいるのです。
ですがそれを目の当たりにしても、王子は一向に臆した様子がありません。それどころ
か、まるで挑発するように、殿下に言葉を浴びせ続けます。
「もちろん! この一週間はさぞや叔父上もお忙しかったでしょう? 王位継承が行われ
てしまう事を聞いて、ならばその前に私を消すのを考えるのは当然でしょうから。お陰で
私もこの一週間、自室にもいられない有様でした! …確かに」
そこでまで一気に言葉を紡ぐと、大きく息を吸い込み、とどめとばかりに声を張り上げ
るのです。
「王殺しよりも王子殺しの方が、断然事は簡単だ!」
実の叔父からの、非道な仕打ちに対する怒り! それが堰を切ったように、王子の口か
ら溢れます。
しかし、このような事を容易く言えるはずもなく、これまで王子がどれほど心を痛め、
傷付いていたかが量れるようです。ですが言われた当の殿下はそれを聞き、今度は見下す
ような視線で王子をねめつけ、笑い出したではありませんか!
「…王子? くくく、王子と申したかソウよ! これは笑える!」
そう言うと、殿下は集った衛兵達に向き直ります。
「真の王子であるならば、亡き者にしようとするものか! …そう、これは実に正当な行
為なのだから! 私は民をたばかり、そして王家を汚す諸悪を断とうとしたのだ!」
殿下の喜悦の声は、謁見の間に響きます。
「私が成敗しようとしたのは、下賎な血で王位を握ろうという愚かな小僧! お前の事だ、
ソウ! お前が兄上と義姉上の子でない事など、王族で知らぬ者はおらぬわ!」
おおよそは予想していた彼女にとって、もはや驚きはありません。ですが、代わりに襲
って来たのは、苦しいほどの胸の痛み。きっとこれは、王子の心の痛みの共有なのかもし
れません。
彼女の瞳は依然と王子に吸い寄せられていましたが、王子が彼女を再び見る事はありま
せんでした。
彼の横顔には、先ほどの険しい表情も消え、静かに殿下の方を見ているだけです。それ
は、何もかもを受け止める、辛く寂しい横顔のように彼女の瞳には映ります。王子が何も
言わないのを見て取り、更に殿下が口を開こうとしたその時です。

「…ソウは私達の子供だ」

その声を聞き、全ての衛兵達が一斉に礼を取るのが分かりました。王弟殿下はその声に、
びくりと体を震わすと、顔に驚愕の表情を貼り付け、その方向を見ようか見るまいかの決
断がつかないようでした。
それもそのはず。この重々しい声の主は、先ほど囚われたと言われていた、国王陛下そ
の方の声に他ならなかったのです。
陛下はゆっくり歩を進め、自分の義弟を正面から見れる位置までやって来ました。その
後から王妃も現れ、寄りそうローランに手を引かれると、陛下の横に並びます。
ようやく目に入ったその光景が、未だ信じられないといった顔の殿下でしたが、ローラ
ンの行動を見ると、やっと正気を取り戻したようです。
「…ローラン、貴様! 私を…」
そう言うと、またその瞳に邪悪な光が宿るのが分かりました。既に王妃の横で、礼の姿
勢を取った彼は、そのまま静かにこう言います。
「私は一度命を亡くした身、なれば、この身は救っていただいた方のためにしかありませ
ん」
その言葉で、ますます殿下の顔が歪んで行きます。
「…お前のような卑しい者が、ここにいられるのは亡き兄者のお陰であろう! その恩も
忘れ果てるとは! 誰にでも尾を振る、下賎の亡者めぇっ…!」
まるで呪詛のような言の葉が、ローランに向かって吐き出されます。
それを聞き、今まで殿下を静かに見ていた王子の目に、再び突き刺すような強い光が宿
ったと思うと、腰に差していた剣が、あっという間に引き抜かれます。
「口を慎め! いくら叔父上であろうとも、彼を辱める事はこの私が許さない!」
火のようなその言葉の勢いに、殿下が王子を睨み返そうとしました。しかし王子が、既
に剣を構えているのを知ると、殿下の顔色が蒼白に一変するのです。

「鎮まれ!」

陛下の一喝で、その場が一瞬に凍りつきました。
いくら老齢とは言え、このような波乱を含む元首の気迫に、抗える者などそういるもの
ではありません。未だ王子は、瞳に強い憤怒の色を湛えていましたが、抜いた剣を殿下に
差し向けるのを止めました。
しかし、収めぬ剣を持つ彼に、殿下は気が気でないようで、じりじりと離れようと後ず
さります。すると何時の間に移動したか、背後に立つローランが、殿下の後ろ手を、絡め
取ってしまったのです。
「…は、放せ! 無礼者! 貴様などが私に手を掛けて良いか…、わ、分かっているのか
っ!」
体の自由を奪われながら、そう毒付く殿下に向かい、ローランは氷のように冷たく言い
放ちます。
「…それは重々承知しております。しかし、もし殿下のご身分がなければ、この場で既に
息はしていないと思っていただきましょう」
彼の最後の一言は、真の殺意を感じます。王子同様ローランも、積もりに積もった恨み
があるようです。その言葉の威力は絶大で、殿下は顔面を蒼白にしつつ、そしてすがるよ
うに陛下を見ます。ですが、陛下の瞳にも、頼る所は一分も残されていないのを見ると、
がっくりとうなだれ、衛兵達に引きずられるようにその場を去るのでした。

それを見届けた王子の手が、演舞のように剣を鞘に収めます。それは素人目のエルヴィ
ーラ様にすら、扱い慣れているのが分かる仕草です。
彼女は王子に、こちらを向き、先ほどのように微笑んで欲しいと期待しましたが、いつ
もは敏感に悟る彼らしくなく、その願いは叶いません。そして、そんな二人の元に、王妃
が耐え切れないように駆け寄りました。
まずは王子に抱き付くと、何も言わずに抱きしめます。王子もまた、その抱擁に身を任
せ、老いた母を労わるように、言葉を掛けます。
「私は大丈夫ですから…母上」
そう聞くと、王妃は体を彼から離し、今度はエルヴィーラ様へと手を伸ばします。王子
にそうしたそのままに、彼女も強く抱きしめました。すると急速に力が抜け、王妃のぬく
もりが、今まで固まっていた彼女の体を柔らかに溶かしてくれるのです。彼女は何かを言
わなければ、と思いましたが、口を開く事が出来ません。そのまま王妃に身を委ねれば、
周りの光景がうっすらとぼやけてくるのが分かりました。
それに抗い、どうにか目だけで王子を探しますが、彼はこちらを向こうとしません。
そのまま目を閉じ、意識と共に、彼女は深い悲しみの淵に落ちて行くのでした。

続く