◆◇ ローランの過去 その一 ◇◆

「…以前、エルヴィーラ様にいつから王子に仕えているのかって聞かれましたね?」

「…ええ」
あの後、ローランの口から秘策を耳打ちされたエルヴィーラ様は、善は急げとばかりに、
王子の休んでいる部屋に向かっていました。
「仕えているのは確かに三年前ですが、王子と初めてお会いしたのは八年も前になりま
す」
「…そうなの?」
「ええ。私は王子のお話し相手として、王宮へやって来ました」
「え? じゃあ、ローランはやっぱり貴族なの?」
一介の兵士ならば庶民という事もありますが、王子の話し相手ともなれば、王族の傍流、
または貴族しか考えられません。
「…そう見えますか?」
「見えるわ! だって、あたし初めて会った時、あなたを王子だと思い込んだのよ。立ち
振る舞いが優雅なんだもの!」
「…それは光栄です」
そう言って、笑うローランは本当に魅力的な男性でした。
「…でもそれは、優雅な立ち振る舞いをするように教育されただけなんです。本当は…、
両親の顔も知らない孤児なんですよ」
『孤児』と言う言葉を聞いて、彼女はすぐに王子を思いました。
まだ聞いていない真実。ですが、たぶんその見当は大きく外れてはいないでしょう。
「…エルヴィーラ様もお聞きになられたと思いますが、王弟殿下の言う通り、この王宮に
入れるように取り計らったのは殿下の兄上、陛下の異母弟にあたる方です」
「…ああ、そう仰っていたわね…」
儀式の事は、記憶の隅に追いやってしまいたかったようで、思い出すのに時間が掛かり
ました。ですが、王弟殿下が言った言葉で激昂した王子を思い出すと、その言葉もすぐに
蘇るのです。
「…王子、すごく怒ってたものね…」
「…ふふ」
その事が嬉しいのか、ローランも王子同様、少年のような笑みを浮かべます。やはりエ
ルヴィーラ様は、そんな二人に嫉妬を覚えずにはおれません。
彼女のそんな態度に気付いたか、ローランは付け足すように言いました。
「王子は私ではなくとも、人への差別や侮辱は許しませんよ。あの温厚な方がって、思う
くらいに怒りますから」
そんな事を聞かされても、彼女としては納得が行きません。それに構わず、ローランは
話の確信に迫って行くようでした。
「…陛下には同異母弟が五人おられました。ですが、今陛下のお側にいらっしゃるのは、
王弟殿下ただ一人。ご兄弟のうち、二人は国外追放、そしてお二人は亡くなられているん
です」
「…」
既にこの国の内情を実感した彼女には、肌が粟立つような予感がしました。
「王子が誕生される前は、陛下の同母弟の殿下が次期国王の継承者だったそうですが、成
人して間もなく、不慮の事故で亡くなったそうなのです。そして継承権は次の異母弟の殿
下に移ると思われた。でも…」
「…王子が生まれたのね」
「…ええ。…権力争いは恐ろしいものです。相手が力の弱い子供でも…、いや、そうなら
なお更、手の届く範囲にいる者達は、それをどんな手を使っても手に入れようとする」
ローランは彼女に背を向けたまま続けました。
「…話し相手というのはもちろん仮の姿です。私は、王子を暗殺するために送り込まれた
んです」
「…! ウソ…」
彼女は耳を疑いました。こんなに信頼し合っている今の二人に、その過去は到底結び付
くものではありません。
「さっき、エルヴィーラ様は私に謝られましたが、私は疑われても仕方のない経歴を持っ
ています。それでも…、王子は今の私を信頼してくれています。そして、唯一それだけが、
私の心の支えと言っても良いものなんです」
「……」
彼女は言葉に詰まりました。
ならば、ローランを王弟殿下と同じように恐ろしく思っても良いのですが、どうしても
そう思う事が出来ません。彼女が何も言わないのをどう受け取ったのか、ローランはあの
『独り言』のようにしゃべり続けるのでした。
「初め…、私にとって王子は、かなり腹の立つ存在でした。
同じ人間として生を受けて、自分が受けて来た扱いと、酷く違う人物の側で仕えるとい
うのは、はっきり言って不愉快でしかありません。ですが、仕事は仕事。途中での放棄は、
自分の死に直結するほどの任務ですから、私は仕事がやり易くなるよう、王子に必死に取
り入ったものです。
有難い事に、王子は今とは違って、隔離と言って良いほど人から遠ざけられて育てられ
ていましたから、年齢の差があっても、結構なついてくれたんですよ…」

続く