◆◇ ローランの過去 その二 ◇◆

…それは、陛下も私のような手合いを危惧して、なるべく素性の不確かな者には近付け
させたくなかったための処置だったと思います。

既に実母弟が亡くなられているのですから、やっと授かった王子を危険に晒す事は出来
ないとお考えになっても不思議はありません。その後、それだけの理由ではない事も分か
りましたが…。
とにかく初めの一年ほどは、王子のお世話と称し、行動を一緒にしてもらう事にしまし
た。指示があった時、どれだけ謀略の影を消せるかで、自分の身の安全も図れますから、
隙を窺わなくてはならなかったんです。
そして、よく王子を観察するようになって、まず気が付いた事は、あの方は幼い頃から
ずっと、兵士並みの剣の訓練をされていたという事です。
これもやはり権力闘争に備えてだと思いますが、体格に恵まれていない王子が、大人と
同じ鍛錬を積む事は非常に困難な事と言えます。でも、あの今ではお優しい陛下が、当時
は非常に厳しく、率先してやらせていた事なので、臣下も王子の体を気遣って、手を抜く
事も出来ません。だから幼い頃の王子は、常に負傷の絶えない日々だったはずです。
また、今も続いている事ですが、帝王学と言うんでしょうか、これも当時からにみっち
りとやられていて、またそれを従順にこなしていました。こんな状態でしたので、初めは
優雅な身分と決め付けたのを、申し訳なく思ったりもしたものです。
ですが、王子という方々が、皆が皆、殊勝な方々ではない事は、その後国に来訪された
他国の王子達を見て分かりました。すると何故、この王子がこんなにも言われた事に不平
も言わず従うのかが、非常に気になったのです。
だってそんな状態なんですから、体に負担が掛かり過ぎて、幾度も倒れる事だってあっ
たんです。まあ、当たり前なんですけどね。
だからちょうど熱を出して倒れた時、私は王子に聞いてみたんです。そうしたら、熱で
頬を赤くしながら、あの王子はまた律儀に答えるんですよ。

「…だって、僕は…、お父様とお母様の子供だから…」

そんな当たり前の事を聞いた訳じゃないんです。お二人の子供なら、なお更、もっとわ
がままを言えばいいと思うんです。
警護は周りの衛兵にやってもらえば良い。この国は、権力争いが起きるほど豊かな国な
んだから、どの国からでも腕利きを雇えば良いんです。
…思えば、この時には王子はもう誰かに教えられていたんでしょうね。だから、陛下と
王妃お二人のために、王子は頑張るしかなかった…。

――で、私の話に戻りますが、悪はやっぱり露見するんです。
私は指示を受け、王子を事故に遭わせなければならなくなりました。何回か指示を受け
ましたが、中々上手く事を運べず、ずっと失敗を繰り返して、計画はズルズルと延びて行
ったんです。
その間に、私が異母弟殿下の差し向けた者だというのが露見してしまいました。謀反の
咎で捕らえられた殿下は、尋問を受け、私を直接育て、暗殺を仕込んだ者にそそのかされ
たのだという言い逃れをしたそうです。
陛下は非情な方ではありませんから、そう訴える事で、命ばかりは助かると思ったのか
もしれません。ですが、殿下の予想に反し、同母弟の死にも不審を抱いていた陛下は、厳
しい処分を決断しました。
王族の殿下はいくばくかの猶予が与えられ、処刑される事になりました。そして身分の
低い私達は、同じ処罰を、即刻公の場でされる事になったのです。
私はその時、今の王子とちょうど同じくらいの年齢でした。だからと言って、暗殺に加
わった者という、罪の重さは変わりません。

そして――それは、次の日に刑が執行される日の夜でした。私が捕らえられている牢に、
王子が忍んでやって来たんです。

その時の気持ちを何て言ったら良いか分かりません。
暗く冷たい牢の中で、手と足に枷をはめられた、惨めな姿を晒しているのは、確かに恥
ずかしい事でしたが、何より私は嬉しかったんだと思うんです。
――だって、今まで誰も自分を顧みてはくれませんでしたから。
何か分が悪ければ、切って捨てられる側にいる者にとって、向こうから来てくれる事な
んてありえないんです。しかも、私は王子の命を狙ったんですよ。
でもその時、まだ私はこの気持ちが嬉しいというのが、よく分かりませんでした。悔し
いような、泣きたいような、実際私は、王子の顔を見た途端、既に泣いてしまっていたん
ですけどね。
それでも強がって、『自分を殺そうとした者の所にやって来るなんて、何て馬鹿な王子
だ』と、王子に悪態をついてしまいました。そんな物言いをする私の顔を、王子はまっす
ぐ見て言うんです。
「本当に僕を殺そうと思ったの?」
私はそう聞かれると、胸が痛くてたまりませんでした。見れば王子も泣いているんです。
私はそれまで、王子が泣いた所なんて、一度も見た事がありませんでした。稽古で怪我
を負って傷を縫う時も、陛下や王妃に似てないと陰口を聞いた時も、彼は一人でじっと耐
えていましたから。
だからそれを見て、また涙が出たんです。

――自分は裏切ってはいけない者を裏切った。

そう考えて泣けて来たんです。
今まで生きていくために、散々嘘とは付き合って来ましたが、その時は、これ以上死ん
でも王子に嘘はつきたくなかったのを覚えています。私も涙で上手く声が出せませんでし
たが、何とか頭を下げました。涙が後から後から枷の上に落ち、膝も濡れるくらいに泣き
ました。
王子がまた、小さい声で何かを言うのが聞こえて来ました。
「ローラン…、友だち…って…言って、く、れた…のに……。ぼく…、ローラン…が、い
なくなったら…、か、なし…い…。ローランは…、かなしく…なかった…の…」
王子は泣きながらも、私を見て言います。私は何故こんなに、王子が自分に執着してく
れるのか分かりませんでしたが、同じ気持ちを抱いている自分に気が付きました。
王子は確かに陛下と王妃様に大切にされていますし、王子もお二人を慕っている。臣下
も王子には礼を尽くしていますし、なのに何故か…、王子の心は私と同じものが欠けてい
るような気がするのです。
私は首を振って、何とか声を出しました。
「…だったら、泣くわけ…ないだ…ろ…。バカ…王子…」
それを聞くと、泣き腫らした目で私を凝視しました。そして王子はその場を去って行っ
たんです。


それから彼がどんな風に取り計らったのかは分かりませんが、私の処刑が取り止めにな
りました。他の場所に移され、しばらくは監禁生活を強いられましたが、それは特に堪え
ませんでした。
ただあの日以来、王子の姿を見れなかったので、彼が自分をどう思っているかだけを考
えて過ごしたんです。
それから数週間の後、私は禁を解かれ、何故か陛下直々に呼ばれました。すると、そこ
には王子も陛下の側にいるじゃありませんか。
私は衛兵から戒めを解かれ、そして両刃を潰された、訓練用の剣を渡されました。そし
て王子も私の目の前で、剣を受け取ったのですが、その手にあるのは真剣です。
相対する私達に陛下は仰いました。
「ローラン、そなたはソウの命を狙った者だ。それは例えどんな理由があろうとも、許す
べからざる行いだ。いくら若輩とは言え、罪は罪。だからその罰は、王子自身が下す事に
した」
それを聞き、やはり王子は私に裏切られたと判断したのだと思いました。だから彼は、
陛下に私を裁く、その機会を求めたと。
でもそれは真実です。私は彼と初めて会ったその時から、彼を裏切り続けていたんです。
身分を偽り、暗殺目的で彼の側へと上がったんですから。
そう頭では理解出来ても、やはりまた胸が締め付けられるように痛んだのを、今でも良
く覚えています。
「ここで剣を交え、そなたが王子に打ち勝つようなら、そなたを国外に逃がしてやろう。
しかし、負ける時は命を絶たれる時と思うが良い」
陛下の仰る事は分かりました。
幼い頃より暗殺のため、外道の剣技を叩き込まれて来たので、死ぬ気でやれば、私が王
子に勝つ事が出来るかもしれません。ですが、私にもうその気力は湧いて来ませんでした。
王子が私の命で購いたいものがあるのなら、支払ってしまおうと考えたからです。

私は剣を構えました。王子が素早い動きでこちらへと、打って来るのが分かります。そ
の時の王子の太刀筋は、今まで見て来た彼らしくなく、直線的で素直すぎ、少し才のある
ものなら勝つ事も出来そうな気がします。でも、彼が私目がけて剣を振り下ろすのを確認
すると、私は目を閉じ、自分の剣を手から落とす事にしたんです。
それで全てが終りだと思っていたんです。

ところが――、
次の瞬間、王子の小さな体が馬乗りになる形で、私は地面に倒されていました。彼の剣
は、喉元に食い込む直前で止まっています。

「…何で、剣落とした?」
王子はそう私に問い掛けましたが、その表情は、頭を深く下げていて、判別する事が出
来ません。ですが、それはこっちの台詞でした。
「…王子こそ、何で一息に振り下ろさないんです?」
お互い沈黙しましたが、私が何も言わないでいると、また王子が口を開きました。
「…答えてよ! 何で剣を交えようとしないの?」
私はしつこい王子にうんざりしながらも、またあの時のように気に掛けてもらえる嬉し
さを感じていました。ですが、これは生殺しというものです。
王子が私を許せないなら、いっそ息の根を止めてくれた方が良かったのですから。
「…もう良いです。上げます、この命。もういらないから…」
そう言うと、王子は剣を引き、体を起こしました。
「それは…、殿下がいなくなったから?」
そんな事を言う、彼が何を聞きたいのかが分かりません。
「…殿下なんて、数回しか会ってないですし、恩も感じていませんよ」
 私の言葉に納得が行かないのか、更に彼は問い掛けます。
「じゃあ何で?」
どうしてこんな事をしつこく言わせるのだろうと思いましたが、やっと上げた彼の顔は
真剣そのものです。根競べでは彼には勝てそうもありません。仕方がないので私は懺悔の
ように言いました。
「…どうせ死ぬんなら、王子の手に掛かった方が良いからです」
王子が私の顔を覗き込むのが分かります。
途端に顔に雫が落ちて来ました。

――また泣いてる――

それを見て、自分の視界もぼやけるのを感じました。彼は私にすがって泣き始めました。
私も陛下の前だという事も、周りの事も全部忘れて泣き出しました。

続く