◆◇ 王子の過去 ◇◆

僕を育ててくれた母…、王妃は、近隣の村の裕福な領主の娘で、貴族ではありませんで
したが、当時貧しかったジャーデはその融資の目的もあり、先代の陛下が婚姻を決めたそ
うです。

そういった事で王家に嫁いだ母でしたが、父が奔走しこの国が豊かになると、その母に
対して王族の風当たりが強くなったと言います。その上、仮面の話で語ったように、世継
ぎの問題がありました。
母も何度かは身ごもったという話でしたが、出産にまでは至らず、その事に対しても親
族から陰口が起こっていたんです。父が出来るだけ母を守ろうとしても、母の目の前であ
からさまに離縁を促したり、自分の娘を連れて来る親族まで現れる始末で、国の情勢のみ
ならず、精神的な負担が多かったのだろうと言っていました。
ですが、幾度目かの懐妊で、ようやく胎児が順調に発育した時があったんです。
あと数ヶ月で出産、という所までに漕ぎ着けた時、父は王宮の医師共々、母を生れた家
へ戻し、良い環境で出産に臨ませる事にしました。慣れ親しんだ環境での出産は、リスク
が少ないからというのもありますが、口さがない者達から、せめて出産の時くらい離れさ
せようという父の配慮だったと思います。
もちろん警護も万全に、生まれる日を今か今かと待つばかりの幸せな毎日だったそうな
んです。

そしてついに予定も間近になった頃、父もその場に立ち会おうと、王宮から母の家にや
って来ました。
詰めて数日、ようやく母の陣痛が始まりましたが、子供はなかなか生まれません。何時
間もの時が流れ、母も徐々に体力がそぎ落とされ、ついに医師の手で、お腹の子を取り出
す事になりました。長い出産は母親のみならず、赤ん坊の命が危ないからです。

ですが、結果は最悪でした。
ようやく生まれたその子供は、待望の王子だったのですが、泣く事も、更に息さえもし
ていなかったからです。医師も懸命な蘇生措置を取ったようですが、その結果は変わりま
せん。
冷たい我が子を胸に抱き、父は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。この事を、母
に何と告げて良いか分からなかったからです。
何故なら、既に懐妊時点で、初産には遅すぎる年齢に達してた両親は、次の子供が作れ
ないと自覚していたからなのです。分娩の時間が長かった事もあり、母の意識が戻るまで
にはかなりの時間が掛かりました。その間父はまんじりともせず、目の開かぬ王子と、そ
して母の寝顔を眺めていたと言います。

次の朝、母がようやく目を覚ましました。しかし、側にいる父の真っ赤な目と、憔悴し
きった表情を見ると、何も言わずとも全てを悟ったと言います。まだ父の腕にあった我が
子の体を抱かせてもらうと、父の温もりが彼に体温を与え、ただ安らかに眠っているだけ
のようだったそうです。母は衰弱した腕に亡骸を抱き、気が触れたように泣き続けました。
父もまたその姿を見て涙が止まらず、ただただ頭を抱えるばかりだったのです。

ですが、父はやはり一国の王で、いつまでも自分の子供の死ばかりを悲しんではいられ
ません。
王宮を長く空ける事も出来ないので、母の容態が安定し次第、王宮に戻る決心をしまし
たが、その母は日増しに弱って行ったそうです。父をも襲った絶望が、腹を痛めた母には
更に重く圧し掛かり、食事も満足に取らなくなってしまったからです。
このままでは母まで失うと考えると、父はここに母を残し、王宮へと向かう決心がつか
なかったと言っていました。

ちょうどそんな折、母の生家のある村では、一つの事件が起こっていました。

村に行き倒れの女性が現れ、しかも女性は生まれて間もない赤子を連れていました。倒
れているのが発見された時、その女性は声も出せないほどに弱っていたそうです。医師の
元に運び込んではみたものの、どうやら産後の肥立ちの悪化で、状態は手の施しようがな
いほどだったと言うのです。
彼女は身なりも悪くなく、何故このような状態でこの村に来たのか分かりませんが、近
隣では見た事のない女性なのは確かでした。医師の手当ての甲斐もなく、女性は発見から
間もなくして息を引き取ってしまったそうです。
そして、残されたのは彼女が連れていた赤ん坊でした。
女性の持ち物からは、二人の手がかりになりそうなものはほとんどなく、唯一可能性が
ありそうといえば、彼女が肌身離さず持っていた、小さなガラスの置き物――つまりあの
鳥の置物――だったそうです。
ですがそれも、確かに庶民にはなかなか手の出ないものでしょうが、だからと言ってそ
れだけで持ち主を限定出来るかは分かりません。肉親探しは二の次にして、医師は取りあ
えず、赤ん坊の回復の手助けをする事にしたそうです。
その赤ん坊も衰弱はしている事はしていましたが、亡くなった母親に比べれば、それは
空腹と軽度の脱水症状で、命に関わる事ではありませんでした。ですから医師が適切な処
置をしてやると、赤ん坊は日を追う毎に回復して行ったそうです。

さて、回復はしたものの、この土地での人の入去は、住民個人で決定出来るものではあ
りません。この子供をどうするかは、領主である母の家に伺いを立てなければならない決
まりがあったからです。
そういった訳で、医師の手に抱えられ、母の家にその赤ん坊が連れて来られました。そ
れは、母が出産を終えて、まだ三日目の朝の事だったそうです。
その医師は、母が出産で戻っている事は知っていましたが、生まれた王子が死産だった
事を知らないでその赤ん坊を連れて行ったと言います。もし医師が、王子の死産を聞き及
んでいれば、そんな時に生まれたばかりの赤ん坊を連れて行く事をはばかったかもしれな
いので、まさにここが運命の分かれ道だったのかもしれません。
医師は領主である母の両親に子供のいきさつを告げようとしましたが、それを制止し、
彼らは母の現在の状況をその医師に相談したと言います。何故なら医師は、小さな頃から
ずっと母を診察して来た人物で、両親としても衰弱する一方の娘を何とか救いたいという
一心だったのだと思います。
彼は王宮の医師や父に相談された時、ふと自分の手に託された赤ん坊の事が頭をよぎっ
たそうです。こんなタイミングで、子を亡くした母と母を亡くした子が出会う事はそうそ
うあるものではありません。だからきっと、神の導きに違いないと感じた医師は、母にこ
の子供を引き合わせてみてはどうかと提案したのです。
母は我が子を亡くした事により生きる気力をなくしていますが、生まれて来た子供と同
じ、――そう、奇しくも同じ男児を見、そして乳を与えたら、母親としての感情が復活し、
回復が望めるのではないかと思ったらしいのです。しかし父にとって、その提案は無謀に
思えました。何故ならその赤子は、どうやっても亡くなった我が子ではないのですから。
そしてよしんば上手く事が運ぼうとも、その後に来る問題も目に見えています。
ただ、それ以外に打つ手などなく、このまま母の弱っていく様子を見ていられなかった
父は、承諾するしかなかったと言います。
母と赤ん坊はすぐにひき会わされました。

医師の思惑通りに母の関心は赤ん坊に向きましたが、初めは亡くなった我が子を思い出
し、憂いに涙を流したと言います。
ですが医師がその子の事情を話すと、我が子を残して亡くなった母親の無念さに思いを
重ねたようで、自分の弱った腕に抱きたいと言い出しました。
赤ん坊は母の腕の中に納まると、実の母の腕にいると錯覚したのか、医師が今まで世話
をして来た時には聞いた事もないほどの大きな泣き声を上げました。母の体は弱っていま
したが、体はまだ子を育てる状態にあったので、きっと彼女の乳の匂いがそうさせたので
しょう。
母は本能に突き動かされ、すぐさま彼に乳を与えたと言います。乳に力強く吸い付く赤
ん坊を見る母の瞳には涙がありましたが、それはもう決して悲しみの涙などではなく、強
い意志の光が宿っていました。それは傍目にもありありと分かり、見切り発車の提案で、
不安を抱えていた父も、母の容態が良い方に向かうと確信が持てたと言ってしました。

その結果は非常に顕著で、その子に乳を上げるという目的が出来た母は、医師の思惑以
上に食事も積極的に摂取するようになり、めきめき回復して行ったそうです。
その姿を見、父は一旦喜びましたが、素性の知れない赤子の面倒を、王妃である母に見
させておく事がいつまでも出来る訳ではない事も分かっていました。
確かに今の状態ならば、母を置いて王宮に戻る事も出来るでしょう。ですがやはりその
後に起こる問題、つまり二人引き離す時、更に事態が悪化する事を考えてしまうのです。
ならばこの子を、母共々連れ帰り、臣下の者に養育させ、合い間に母に会わせてはなど
と、考えられる事は考えましたが、そんな事でこの二人が、本当に幸せになれるのかが分
かりません。父は再び、亡骸の王子を抱いて母を見ていた夜のように、誰の子とも分から
ぬ赤ん坊と、添い寝をする母を見ながら夜を明かしました。

母の顔は、満足そうな母親の顔だったそうです。そしてその側で眠る赤ん坊も、やはり
母の側で安心して眠っています。
まるで本当の母子のようだと父は感じたそうです。
そう思うと父は、何故かは分からないが涙が止まらなくなったと言います。いいえ、父
にも本当は涙の意味は分かっていたそうです。
彼女は自分の愛する妃で、その妃が愛情を傾けているならば、その子は自分にとっても
愛する息子に他ならないという事を。
そして、朝になり、父はその子に名前をつける事にしました。亡き王子につけるはずだ
った、ソウという名前を。

この事を知る者は限られてはいますが、父は人の口に戸は立てられないのを覚悟してい
たと言います。そうなれば、今後色々な問題や争いも起きるかもしれません。
でも、それでも、良いと思ったそうです。

戸が立てられないのならば、全力でそれを守ってやれば良い。血の繋がりがないとこの
子が知っても、自分達が愛していればそれで良い――

そうして父と母は僕の両親になってくれたんです。

続く