◆◇ 仮面の理由 ◇◆

「僕が父と母からその話を直接聞いたのは、十歳の誕生日でした」

話し始めてからずっと、王子は目線を自分の手に落としていました。重ねた手は、何か
大事なものを頑なにに守っているようでもあります。
「それまで僕は、父の配慮もあって、あまり外界と接触のない環境で育てられました。
そんな中でも臣下の者の出入りがあり、その中には僕の本当の事情を知る者と、知らな
い者も含まれます。仕事の合い間に交わす話題が、僕と両親が似ていない事であったとし
ても、知らない者に悪意があるはずもありません。
そして両親の年齢や、それにより導き出される憶測が噂にのぼる事は、いくら事実を知
る者が口を閉ざしていても止めようが出来ない事なんです。またそれを僕が知ってしまう
のは、そんなに難しい事ではありませんでした。
それを…、否定でなく肯定するのも、何故だか僕にはとても簡単だったんです。
…だから、その話を聞く十歳までの間、僕はずっと怖かった。そもそもみんなが知って
いる事なのか、それと両親が知っているのかが分からなくって…。
だからと言って確かめるのも怖くって…。父上も母上も優しくしてくれるけど…、僕が
本当は二人の息子じゃないってまだ知らず、今この瞬間に分かったら? そうして彼らの
態度が豹変したら…? そう考えて怖かった…。
だから僕はずっと、父や臣下の言いつけに背く事が出来なかったんです」
それはローランの話ときちんと符号していました。ですが、小さな王子が考えた、自分
が二人の子供であり続ける方法は、何て哀しい方法なんでしょう。
「この国の情勢を考えて、父は自分で自分を守る力を与えようと、特に厳しく剣術を訓練
させました。そして、国王になるべく、統治者としての勉強も…。
…でも小さな僕には、僕が本当の王子ではないから、それに足りるように力を求めてい
るようにも思えました。やればやるだけの力は身につきましたが、その反面、僕の心はど
んどん萎縮し、自信のない、臆病な人間になって行くんです。
…今なら僕も父の気持ちは分かります。
父はすごく可愛がっていた弟を、成人してすぐに亡くしているって聞いているから。
その王子は優しく誰からも愛される王子でしたが、身を守る術を持たなかったって…。
そして、本当の我が子も誕生直後に亡くした父は、本当に僕が健康に成長するのを思って
くれたからこそ厳しくしてくれたんです。

それに二人は、立派な跡取りが欲しいと思って僕を引き取った訳じゃなかった。
王子という身分を強いてしまったのは、二人の息子になった時点で逃れられない事で、
ならばその立場で困らない教育は与え、それを受け取った僕が、僕らしく生きていてくれ
ればそれで良いって…。
せめて、…亡くなった王子の分も、元気に育ってくれればそれで良いって…思ってくれ
てたんです。
…でも、…それを知るまでは、僕には時間が掛かりました」

そう一気に話す王子を、彼女はただ見ているしかありませんでした。
その反面、自分がこの話を聞くに値するのかと、そんな疑問も頭に浮かんで来てしまい
ましたが、話してくれると言ったのも、止める気配も見せないのも王子です。なら自分は
最後まで受け止めなくてはならないはずで、そしてその後、王子に言わなければならない
事があるのです。
そんな神妙な事を考えていた矢先、王子の話に意外な人物が登場しました。
「…でもね、両親からその話を聞く前に、僕はジラルディーノに行ったんです。そこで姫
と会って、ちょっと考え方が変わったんですよ」
「え…?」
そう言って、彼がようやく上げた顔を見ると、エルヴィーラ様の心臓が勢い良く跳ねま
した。
「前にも言いましたが、姫の行動は僕にとって衝撃的でした。…もちろん姫は本当の一国
の姫君で、だからこんな振る舞いが出来るのかなっていうのもあったんですが…」
そこで、一旦王子はうーんと頭をひねって言うのです。
「でも、何か姫には、ジラルディーノのエルヴィーラ姫だからとか、そんな事には関係な
い、芯の強さがある気がしたんですよね。…あとは、向こう見ずって言うか…、怖いもの
知らずって言うか…。…何にせよ、普通に分別のある一国の姫君なら、あんな危ない事し
ませんよね」
そう話す王子は、先ほど話していた様子と異なり、うきうきとものすごく楽しそうなの
です。ですがその態度に、彼女は久々に半目になりつつ凄みを効かしました。
「…それ…、ケンカ売ってんの?」
「そう、そのガサツな物言いとか、猫被りな所とか、偽っているようで、偽っていないと
こ…」

ぼごっ!

王子の頭を、エルヴィーラ様が勢い良く殴りつけました。黙って聞いてれば、何て事を
言い出すんでしょう、この王子は!
「…いたた…。…人を殴りつける姫も僕は初めてです」
「うっさい! 話を脱線させないでよ!」
「脱線なんかじゃないですよ。僕にとって、生き生きとしたあなたは、本当に魅力的だっ
たんですから!」
からかわれているのかと思いきや、王子の目は真剣です。こき下ろされているようです
が、どうやら王子が自分を好きな理由は、本当に外見ではない事も分かりました。
でもそれはそれで、彼女には微妙な所でもあるのです。
「…ジラルディーノから帰って以降です、気持ちで負けなくなったのは。ちょっと姫に毒
されたかなって思います」
そう言いながらも、王子の顔は照れ笑いで明るかったので、彼女はこれ以上の突っ込み
を入れる事が出来ませんでした。
「…今回の妃を取る話が出た時、真っ先に姫の事を思い出しました。
まさかまだ結婚されてないとは思いませんでしたが、それを聞いて、それならって仮面
を被る事にしてみたんです。あの仮面を作った王も、その血筋からは少々遠い人物でした
が、僕のように王家との関係が皆無だった訳じゃない。
…本当はそんな大それた事、どうかって思ったんですが…」
つまり王子は、自分に釣り合うように仮面を付けたと言うのです。それを聞いた彼女は
また頬が熱くなりました。
ところが…。
「…でも、姫をこの国に呼んでから、段々…また怖くなったんです。
僕が本当は臣下よりも身分の低い人間だと分かったら…? そんな事…、想像出来る訳
ないでしょう? それはいくらしきたりをクリアしても、どうしても拭えない真実なんで
すから」
「――」
彼女は否定しようとしましたが、確かに身分の事などは考えていなかったものの、王子
の外見や年齢にケチを付けていた事を思い出すと、言葉を出すタイミングを逸してしまい
ました。
「もし姫が僕に好意を持ってくれたとしても、本当の事を知った後、心が離れてしまうん
じゃないかって…。
そうなっても…、姫のせいなんかじゃない。
だったら話してしまえば良いのに、それがどうしても出来なかった…。…これじゃ、昔
と全然変わってないですよね…」
「…そ、それはっ…!」
彼女は今度こそ『違う』と言いたかったのですが、王子の言葉に遮られてしまいました。
どうやら王子はどうしても、全てを終わりに導こうとしているようなのです。
「…ごめんなさい。…こちらの勝手で姫をこの国に呼んだくせに、それを僕はまた自分の
都合で反故にしました。あなたには…お詫びのしようがありません」
そして最後にこう言ったのです。
「…これで話していない事はありません。こんな事なら、初めに隠さず話すべきだったん
です。例えそれであなたがすぐに帰ってしまったとしても…。
本当に…ごめんなさい…」
「……」

二人の間に沈黙が訪れました。
王子は再び目線を落としていましたが、両の手は開き、抱えるものはエンドマークのみ
のようでした。彼女はもう我慢出来ません。

「――ああ! もう! 言うわ!言うわよ! 何かもー、イライラする!」

続く