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触る事は怖くないんだろうか?
どうもなつめの行動は分からないところがある。
限定の何かが組み合わさると、それはなつめにとって恐怖の対象
になるんだろうか?
聞いてみたい気もするが、また警戒されるのも嫌なので、今はそ
れには触れない事にした。
「別に痛くないし、擦れただけだよ。それにこれは俺がやってくれ
って言った事だし‥」
そう言葉に出して言うと、すごい倒錯めいた行為をしたみたいだ。
何かおかしい。逆になつめの表情が暗いので、
「まあ、こんな風にして寝たのは初めてなんで、貴重な経験だけど
ね‥。」
と、軽く聞こえるように言ってみた。
普段なら考えられない事を言ってるなと感じる。それでもなつめ
にとっては、負担が減ったらしい。顔から暗さが引いていくのが分
かる。
それでようやく本題に入ることにした。
「‥さっきむこうの電話が鳴ってたんだよ。だからもしかしたら、
携帯の電池が切れてんじゃないかと思ってさ。」
「え?そうなんですか?私全然聞こえませんでした。ぐっすり寝ち
ゃってたみたい‥。」
そう言って、膝立ちだった姿勢から、そのまま布団の上に座る姿
勢に変えた。さっきまで俺の手を拘束していた紐を、両手で弄びな
がら、本当に聞こえなかったか思い出しているようだ。
「うん、起こすのすごく大変だった。」
俺は何となくなつめをからかいたくなって、わざと大げさに言っ
てみた。すると効果はてきめんだった。
「ええ?そんなに起こしました?私結構、声掛けられるとすぐ起き
る方だと思ってたのに‥。」
本気で信じてる。なつめを騙すのは簡単そうだ。
あんな事があった後なのに、何で俺たちはまた普通に話してるん
だろう。
もっと険悪な感じになるのが本当だと思う。これはなつめの性格
のお陰なんだろうか?
俺も徐々にそれに引きずられてる。ここ数日で、自分の言動や行
動が驚くほど変わってきている。
そしてそれが嫌じゃない。
今までそんな事を空々しいと思っていたのに。
「‥うそ、本当は3回しか声掛けてないし。しかもそんな大きな声
じゃなかったから、聞こえなかったかもな。」
「‥え‥、あ!」
そう言うとなつめの顔から緊張感が無くなって、こっちを見てち
ょっと怒ったような顔になった。
これも初めて見る顔だな。俺の顔はにやけてるんだろう。なつめ
が怒ってるんだから。
「‥ごめん。携帯取ってくれる?」
そう言うと、なつめはぷいと勢い良く後ろを向いた。
俺はといえば、それを見た途端にすかさず、今まで気になってい
た、下半身の状態を確認した。なんとも滑稽な自分に、少し嫌気が
さしたが、今の俺にとっては大問題なのは間違いない。
布団の上から触ってみると、体が完全な状態じゃなかったからな
のか、何の反応も起こっていないようだった。安心したと同時に、
なつめがこっちに向き直ったので、再び心臓が跳ね上がった。
そんな俺の葛藤を知らないなつめは、まださっきの顔つきで、無
言で携帯を取って差し出した。俺は内心の動揺を隠しつつ、それを
受け取る。
携帯のサブ画面を覗き込んでみる。案の定何も表示されていなか
った。
「‥どうかしたんですか?」
「‥やっぱり、電池が切れてた。親父がこっちに電話をしても、繋
がらないからむこうに掛けたのかもしれない。えと‥、」
時間が見たいと思い、ビデオデッキに目を移すと、既に午後10
時を過ぎていた。電話の主が誰だかは分からないが、掛けるにして
ももう少し早く掛けてくれれば良いのに。
向こうの電話では、掛けてきた人間の番号が分からないので、掛
け直す事も出来ない。
やっぱり親父からだろうか?
こんな時間に勧誘などの電話が掛かって来るとは考え辛い。ただ
の間違い電話の可能性も無くは無いが‥。
黙って考え込んでしまったために、なつめが所在無さげだ。この
ままだと、今日も1日、彼女に無駄に過ごさせてしまった事になる。
今から親父の会社の方に電話を掛けて確認を取ろうか?
番号が分かっているのは会社だけなので、親父の事を知るには、
他に方法は無い。だが、本当に親父からの電話と確信が持てない以
上、この間の繰り返しになる気がする。あのやり取りをもう一度す
るのは、かなり気が重いが‥。
「‥親父の会社に電話してみる。」
ベッドを降りて、足に力を入れてみる。朝や昼の感じよりは多少
ましになっているが、足元は相変わらずふわふわとした実感の無さ
が付きまとった。
「‥大丈夫ですか?まだ‥寝てた方が‥。」
なつめも立ち上がった。俺の頼りない歩みを見て、補佐しようと
して手を出したが、俺はそれをやんわりと拒否した。それによって
昼の事を思い出したのか、なつめの動作が途端にぎこちなくなった。
余計な事をしたのかもしれない。
さっきまでの打ち解けた雰囲気は、あっという間に消え去った。
いや、打ち解けていると勘違いしていただけの状態だったのかもし
れない。
部屋を出ると、キッチンのあたりは真っ暗で、廊下の冷たい感触
がおぼつかない足を刺す。こっちのエアコンは切って寝たらしい。
なつめはそういった事も普通に気が付く。電灯を灯し、エアコン
を再び入れて、テーブルに出しっぱなしの名刺を拾う。
受話器を取り、久しぶりにダイヤルをまわした。
呼び出し音にビクビクしている自分を感じる。情けない気持ちに
なりながら、10回ほどコールしたが、繋がらなかった。
とうとう打つ手がなくなってしまった。受話器を置く手が重い。
「‥出ないや。」
振り返ってなつめにそう言う。なつめの顔には別段落胆の色もな
かったが、俺には罪悪感が起こった。今日の朝までは、彼女の帰宅
を阻もうという気持ちが少なからずあって、そのせいで連絡を取る
事を怠っていたからだ。
「‥ごめん。‥明日朝、‥もう一度会社に連絡入れてみるよ‥。親
父の事も分かるか‥わからないけど‥。」
謝る事しか出来ないから、もう謝るのは止めようと思っていたの
に。結局この言葉しか俺には出ないようだ。
「‥いえ、今日は瞬さん具合が悪かったんですから、気にしないで
下さい。」
「‥。」
そこで話が詰まった。俺となつめは椅子に座る事もせず、立った
まま所在をなくしてしまった。今はどちらもお互いから目をそらし
ている。居たたまれない空気が俺達の間にはある。
まだ会って3日目――――――。これが当たり前の距離なのかも
しれないのに――――――。
そのまま突っ立っているのは、さすがにまだ俺の体にはキツイよ
うだった。
体の覚醒に伴って、神経が風邪症状の認識もし出したらしい。寝
てから大分経っているので、薬の効果も薄れてきてるのだろう。な
ので傍の椅子に腰掛ける事にした。
続いてなつめも俺の前に座った。
ここにいてどうなる訳でもないが、俺の部屋に布団がしいてあり、
今のこの2人状態で再び戻るのは、なんとなくなつめの事を思うと、
避けた方が良いような気がする。
再び沈黙が続いた。エアコンの音が規則的に響く。
今度は俺の方から言う番なのかもしれない。
「‥今日は‥、引き止めてごめん‥。」
「‥え‥?」
なつめが俺を見る。俺も今度はなつめの方を見て話した。
「‥俺はもう大丈夫だよ。‥今はまだちょっと、だるいけど‥、明
日にはたぶん良くなると思う‥。だから‥。」
「‥‥。」
―――――帰って良いから。そう言おうとした。会った時に言っ
たように、親父の電話があったら連絡する。そう言おうとしたのだ。
なのに―――――。
「なつめは‥、帰りたいのか?」
「‥え‥?」
だが、口から出ていたのは、別の言葉だった。
「親父に連絡が取れれば、どうすればいいか分かるかもしれない。
‥けど、なつめの母さんが言った事を考えると、そこにいるのが良
くないから俺の‥、いや、親父の所に来させたんじゃないのか?」
「‥でも‥、私‥」
「‥近くの知り合いでもない、ここによこした理由は?‥君は親父
の名前も知らないって言ったよな。そのくらいの知り合いの所に預
けけてでも、家にいない方が良いって事だと思わないか?」
「‥、それは‥」
俺は一気にまくし立てていた。なつめが戻ると言った時に考えた
事を全て。
なつめに反論できない事が分かってて言っている。まるで詰問か、
なじっているかのようだ。
「俺は、ここにいれば良いって言ったよな。今でも、そう思ってる
‥。少なくとも、何か分かるまで‥、ここにいればいいじゃないか
‥!」
「‥でも、それじゃ‥、迷惑じゃないですか‥!こっちの都合で、
いきなり現れただけでも申し訳ないのに‥。私‥、ここに来たけど、
本当は訪ねようかずっと迷ってたんだから‥!だから‥ずっと外で
‥。」
俺の語調が荒くなってきたせいもあって、なつめ自身の言葉使い
にも、「ですます」が抜けて来た。
今までは俺に気を使って言われっぱなしになっていたのが、とう
とう我慢出来なくなって来たらしい。
初めて会った日に、あんな長時間外で待っていたのは、確かに母
親に何か言い含められていた事もあったんだろうが、なつめ自身に
とっても、見ず知らずの家に踏み込む勇気が出なかったのだ。それ
は当たり前だ。今になってやっとあの時の疑問が解けたような気が
した。
そんななつめに、今俺が掛ける言葉と言えば、こんな酷い言葉し
かないなんて。
「‥でも、結局は俺の家を訪ねるしかなかったんだろ?」
なんて意地の悪い言い方なんだろう。今日の朝、具合が悪いせい
で口走ったのとは全く違う。今は言おうとして言ってるのだ。なつ
めにそういった事実を再認識させたくて言っている。
「だって‥」
なつめの目が涙で潤んで来ている。これじゃ、昼間の繰り返しじ
ゃないか。目にした胸はちりちりと痛むのに、俺は言う事を止めら
れない。
「‥だったらそれで良いじゃないか!最初に言った、知ってる人間
がどうかなったら気分が悪いって言うのも確かにある‥。けど‥、
俺は元々本当はそんなに優しい人間じゃない!‥普段は、誰がどう
なろうと、知ったことじゃないって思ってるんだ!でも‥」
「‥?」
何を言おうとしてるんだろう。なつめも分からなくて困った顔を
している。
言いたいのは1つだけだ。でも、俺にはそういう事を、ちゃんと
言った経験が無い。でも、言わないとならない気がする。言わなけ
ればきっと、なつめも俺の前から消えてしまうだろう。
そんな事はもうだくさんだ。
「俺は‥、なつめの事は‥‥心配なんだ‥!俺自身こんなの変だと
思うけど、本当に心配なんだよ!!」
「‥どうして‥?私‥」
「‥わかんないよ、俺にだって‥。」
「だって‥私‥、瞬さんに‥迷惑ばっかり‥」
「‥迷惑なんて、思ってない!」
「‥」
のどの奥が熱い――――――。
「‥俺は‥なつめと一緒に‥」
そう言った時、いきなり電話が鳴り出した――――――。
(つづく)