|
「‥きゃっ‥!!」
急に引っ張ったせいで、なつめは体勢を崩し、俺の方へ倒れ込む。
なつめの体重を支えるために、勢い抱き合う格好になった。
「‥っご、ごめんなさっ‥」
俺の腕の中で、なつめが真っ赤になって慌てる。それを見た途端、
ふと、「俺たちはどんな関係に見えているのか?」などという事が
頭をよぎってしまった。
確かに昨日、なつめを初めて異性と自覚したが、今を以ってもま
だ、彼女をそういった対象に考えるには至っていないはずなのに。
でも、俺達は今の所、赤の他人で、年齢が近くて、その上異性だ。
全く意識しないといえば、それは嘘になるだろう。だから、俺の頬
が熱くなっても仕方がない事だと思う。でもそれを悟られたくなく
て、発した俺の言葉はつっけんどになった。
「‥危ないよ‥。」
俺が怒ったと思い、なつめが萎縮する。
「‥ごめんなさい‥。」
そうじゃないのに――――――。
――――――そうじゃないなら、言わなければ。
唐突にそう思い当たった。自分が段々と人並みに戻っていくよう
な感覚。
言わなければ分からない。俺となつめは、いや、俺は他の誰とで
あっても、言わなければ分からないような関係しか築いてない。
俺は今まで、言っても叶わないと決め付けていたが、叶う事だってある。
それは昨日なつめに教えてもらった。
「‥お、怒ったんじゃないよ。‥ここら辺、歩道でも構わずチャリ
で突っ込んでくる奴がいるから‥、その‥危ないんだ‥!」
あんまり上手くない説明だ。自分ながら、情けない。
でも、なつめにとって、説明の上手下手は関係ないようだった。
俺が怒っていない事を、俺の表情を見て顔色でも確認している。そ
の顔はやけに近い。
それもそのはずで、俺たちはまだ抱き合ったままの格好だった。
正確には、俺がなつめの背中に手を回し、なつめは俺の腕を掴んだ
ままという感じだ。なつめもまだこの状態にまでは頭が回っていな
いんだろう。
ようやく俺が怒ってない事が確認出来たらしい。なつめの表情が
和らいだ。俺もそれを見てほっとする。なつめから手を放すと、や
っと彼女も気付いたらしく、慌てて体を放した。
「‥っあっ!っご、ごめんなさい!!」
あまりに勢い良く体を放しすぎて、またバランスを崩す。そして
俺が手を伸ばしてなつめの手を取る。
「‥だから、危ないって‥」
今度の俺の顔は、きっと呆れていたんだろう。彼女の顔がかなり
情けない感じになった。それを見た俺は笑ってしまった。
ここら辺にまだ慣れてないせいで、目が行ってしまうなら、無理
にそれをやめさせるもの可哀想だ。
「‥いいよ。だったらなつめに俺が合わせるから、好きな所を見て
回ろう。まだ時間は大丈夫だから。」
なつめが再び俺の顔色を確認した。
「‥えっ?本当に?‥良いんですか?」
「危ないよりは良いよ。」
なつめの顔がほころぶ。こんな事で喜ばれるなら、いつでもそう
してやりたくなる。なつめと俺の歩く順番を交代し、彼女の安全は
俺が見守る事にした。
「‥あたしの住んでる所って、駅とかにこういったお店無いんです。
だからこんなすぐにデパートとか、大きな店があるのがめずらしく
って!」
ここははっきり言って、そんなに大きな街じゃない。それでも確
かに、駅付近には、名の通ったデパートがいくつかある。ものすご
く快適ではないが、不便すぎるほど不便でもない、郊外のごくごく
普通の街なのだ。
そんな街であっても、なつめにとってはすごい街なのかもしれな
い。それは彼女の態度でよく分かる。
俺はちょっと、なつめの暮らしていた所に行ってみたいと感じた。
そこは俺達の年齢には退屈な町なのかもしれないが、俺は案外気に
入るかもしれない。
――――――その時は、そう思った――――――。
なつめの安全を見守りながら、彼女の足の向く方に付いて行くと、
次に目に止まったのは携帯ショップだった。なるほど、確かに携帯
には興味があったから、当然の事なのかもしれない。
「‥なつめの同級生とかって、携帯持ってる子少ないのか?」
と、何気なく聞いてみると、なつめは少し沈んだ表情になった。
「‥ううん、結構みんな持ってます。」
‥ああ、やっぱり持ってるよな。
「‥友達‥、一番仲の良い友達は、お年玉で最新機種を買ったの。
でも、すぐに新しいのが出ちゃうし、電話代が学生割引って言って
も、結局自分で払うわけだから、あたしには買えないんです。」
友達にはその事をそのまま言えたんだろうか?俺はなつめの家の
事情を、少しではあるものの知っている。でも、同学年、しかも仲
の良い友達には言えない事なんじゃないんだろうか?
「‥ちょっと見ていこうか?」
「‥はい。」
買えなくても興味は消えない。それはそうだよな。
そんなに大きな店舗ではなかったが、店先には各電話会社の色々
な機種が並んでいた。最前に陳列されているのは、現在の最新モデ
ルだろう。
確かに中学生が買うには、ゼロが一桁多過ぎる。
俺は、自分が使っている電話会社の携帯の並ぶ場所へなつめを呼
んだ。そして最新機種よりも一つ前のモデルを指差した。
「なつめはこの中のどれが良いと思う?」
「‥え?」
「なつめが使うとしたらで良いから、どれが良いと思う?俺は選ぶ
のが苦手だから。」
「‥え、えーと‥。」
急に言われて戸惑ったものの、中から黒と赤の二色でデザインさ
れた携帯を指差した。中学生の女子が選ぶものとしては、渋くてカ
ッコ良いデザインだ。
「わかった。」
俺はそれを取り、店員を呼んで、購入手続きをした。俺がいきな
り携帯を買い出した事に、なつめは驚いている。
5分ほどで手続きが済み、30分後にまたここに戻って来るよう
に言われた。電話会社に契約をし、その時点で携帯が使えるように
なるのだ。
あまり離れると戻って来るのが面倒になるので、周りの店を見て
回る事にした。ちょうどすぐ傍に、大きなデパートがあり、そこに
入っている店をインフォメーションでチェックすると、学生から2
0歳前後の年齢向けの店舗が多く入っている。
とりあえず1階から見ていくと、こういったデパートによくある
フロア構成で、アクセサリーや、シューズ、カバン、その他の小物
などの店がひしめいている。
実際なつめに必用な買い物が出来る所は、ここの2階以上のフロ
アだが、それらにざっと目を通しているだけで、あっという間に戻
る時間になった。
名残惜しそうななつめを連れて、携帯ショップへ戻った。先ほど
手続きを済ませてくれた店員に、再び声を掛けると、既に使えるよ
うになった携帯が入った紙袋を渡してくれた。それをなつめに渡す。
なつめは俺が荷物を渡したのだと思い、なんの躊躇も無くそれを
受け取った。
「それはなつめの分だから。」
完全に店内から出た所で俺は振り返り、なつめに向かってそう言
った。
あまりにも唐突過ぎて、すぐには俺の言葉が理解できなかったら
しい。なつめはポカンとした表情をした。
「‥俺が学校とか行ってる間、連絡を取るためとはいえ、ずっと家
にこもってられないだろ?でも、これを持ってれば、出掛けてても
連絡取れるからさ‥。」
‥本当は自分の金で買ってやりたいところだが、バイトもしてい
ない俺には、親父から貰ってる生活費で買うしかない。
こんな事なら、ちゃんとそういった事をやっておくんだった。ま
さか、こんな事が起こるなんて、1週間前の俺には想像もつかなか
ったんだから、仕方が無いと言えば仕方が無い。
そんな考えをよそに、なつめはようやく俺が、2台目の携帯を購
入した真意を飲み込めたようだった。
「‥え?で、でも、だって‥」
「1つ前のモデルだから、嫌かもしれないけど‥。」
俺がそう言うと、なつめは首を大げさ過ぎるくらいに振った。
「‥そ、そんな事ないです!だって‥!あ、‥でも‥。」
なつめの語尾が濁った。俺はその理由をさっき聞いている。
「‥もちろん電話代も、俺‥、というか親父が払うよ。これは俺と
同じ電話会社だから、割引きもされてるし、メチャクチャ通信費が
かかんなければ、俺の生活費の範囲内だし、問題はないよ。」
「‥‥」
なつめはまだ逡巡しているようだ。目は自分の手の中にある、携
帯の紙袋に注がれている。
「‥なんて、親父とはいえ、人の金で買って大きな事は言えないけ
ど、連絡が取れないと困るのは本当だろ?この位は甘えても良いん
じゃないか?」
「‥‥でも‥」
「‥っていうか、俺が買いたいと思ったんだから、もしそれで何か
言われたら、俺がバイトでも何でもして親父に返すよ。それなら、
なつめは気にしないで良いだろ?」
なつめが俺を見上げる。彼女がこの事を気にしないはずが無いの
は分かっている。でも、俺がなつめにしてもらった事を考えたら、
それでも安すぎるくらいなのに。俺の心が読めない彼女は、複雑な
表情を浮かべていた。
慣れない贈り物は、やっぱり相手を動揺させるだけなんだろう。
「‥、ごめん。余計気を使わせちゃったな‥。」
俺がそう言うと、なつめはもう一度携帯の紙袋に目をやった後、
再び顔を上げる。でもすぐにまた顔を伏せて喋りだした。
「‥あの‥、‥すごく‥、うれしいです。本当は‥、本当は持って
る人が‥、うらやましかった‥から‥。」
頬が熱くなるのが分かる。俺は照れるような柄じゃないはずなの
に。
「‥携帯‥、ちょっと出して‥。」
俺は恥ずかしさを押し隠し、勤めて普通に話し掛ける。
それを受けたなつめが、携帯の袋を開ける。その手つきは、まる
で宝物を取り出すように慎重そのものだ。俺もそれに感化され、渡
された携帯を受け取るのにも、神経を使ってしまった。
たかだか携帯に何をやっているんだろう?
自分の携帯も取り出し、その時ふと思い立って、なつめの携帯は
彼女自身に返す事にした。
「今から番号言うから、ダイヤルしてみて。」
最初の電話はなつめに掛けさせてやりたかった。
なつめも俺の意図が分かったらしい。俺は自分の番号を携帯の画
面を見ながら伝えた。
液晶画面で番号を再度確認してから、通話ボタンを押させると、
当たり前なのだが俺の携帯が振動しだした。
まだ登録していないので、電話番号だけが表示されている。一旦
切るように言って、今度は俺の方から掛け直してみた。
すると、今度も当然なつめの携帯が鳴った。標準設定の電子ベル
の音が耳に痛い。けれど彼女にとって、それは初めての自分だけの
電話の音なのだ。
「‥はいっ!」
それは、目の前に掛けた本人がいるのにも関わらず、律儀に電話
を受けた事でも分かった。自分でもすぐにそれに気が付いたのか、
「‥あ!‥」と言って、俺の方を見た。見る間に顔が赤くなる。
それがおかしいような、嬉しいような、何とも言えない気持ちに
なって、思わず俺も電話に応答してしまう。
「‥もしもし?」
自分の声が、サラウンドになって聞こえる。なつめは切るに切れ
ず、かといって言う事もなく、ただ赤くなるばかりだ。可哀想にな
って俺の方から通話を切り上げた。
「‥それが俺の携帯の番号だから。消さないように後で電話帳に登
録しておくといいよ。リダイヤルでも掛かるけど‥。」
「‥はぃ‥。」
恥ずかしさも手伝ってか、再び携帯を仕舞い込みそうななつめに、
携帯の本来の役目を果たさせるべくジーンズか、上着のポケットに
入れておく事を勧めた。
彼女にとっては、不安要素がある保管場所だが、いざ必要な時に
気が付かなければ意味がない。
結局ジーンズに入れる事にしたようだ。入れた携帯が気になって
仕方ないらしく、その部分に手を当てている。
何だかすごく子供っぽくて、俺は思わず口元が緩む。そしてそれ
に気が付いたなつめが、非難の目で俺を睨む。
「‥な、何がおかしいんですか!」
「んん、いや、何でもないよ。」
「‥笑ってるじゃないですか!!」
「笑ってない、笑ってない。じゃ、そろそろ買い物に行くぞ。」
「‥〜〜〜!」
そんなやり取りをしていた時、不意に背後から声を掛けられた―
―――――。
(つづく)