「たての、――――――立野!」


 その声に振り向くと、そこには見知った顔が立っていた。

 美紀の友達の「ちさ」と付き合っている奴だった。ちさは、俺や
美紀と同じクラスなので、下校時に彼女を迎えに来るのを、何度も
見た事がある。


 名前は――――――、何だっけ?


「‥買い物?」


 人懐こい表情で、難なく俺達の間に入り込んでくる。もちろん同
伴のなつめにも目を向けるが、軽く笑いかける程度の、嫌にならな
い関心の向け方だった。

 そのせいか、なつめにも緊張した様子がない。

 こういった振る舞いがすんなりと出来る人間を見ると、以前なら
疎ましく思ったものだったが、今は素直に羨ましくなった。


「‥なんかずっと休んでたんだって?大丈夫かよ?」

「‥ああ、風邪‥。‥もう平気だけど‥。」


 俺の言葉の歯切れが悪いのを見て取って、ナガサワ――――――、
確か永澤という苗字だった――――――が俺に言った。


「‥悪い、ちょっと話したいんだけど。そんなに長い時間取らせな
いからさ。」


 そう言うと、申し訳なさそうな顔をなつめにも向けた。それを受
けたなつめが、俺を見る。俺が迷っている目をしてたんだろう。


「‥じゃあ、あたしさっきのデパートに行ってます。‥あの、終わ
ったら連絡して下さい‥。」


 携帯がさっそく役に立ちそうだ。


「‥ごめん。遅いようだったら、なつめから掛けてくれる?あ、そ
うだ‥」


 俺は携帯を取り出して、アンテナの部分を指差した。


「‥これ、今は三本表示されてるけど、全く表示されてないと、電
波が届かない所で、掛けたり受けたり出来なくなるんだよ。屋内だ
とそういう所多いから。アンテナが立つ所に移動してから掛けて。」


 知識では知っていたらしく、なつめはすぐに納得して、デパート
の方へ歩いて行った。

 俺がその後ろ姿を見送っていると、永澤が再び声を掛けて来た。


「‥仲いいなぁ。」


 今度の言葉には、明らかにひやかしを含んでいたが、嫌味な感じ
ではなかった。しかしそう言われて、恥ずかしい気持ちになるのは
仕方がない。


「‥話って?」


 俺の声のトーンが変わっても、永澤の態度は変わらなかった。


「‥可愛い子じゃん。いやー、あんな雰囲気見たら、ちょっと妬く
のは仕方ないかと思ったよ。」

「‥?妬くって、‥美紀?」


 まあ、俺とほとんど話した事の無い、こいつが俺に話しがあると
いえばそれしかない。


「そうそう。何か美紀の奴、そーとー血ィ上ってるって、ちさがウ
ルセーんだよ。」


 そう言うと、永澤は肩と顔をがっくりと落とし、大げさにため息
をついて見せた。


「ま、具体的にゆーと、『別れる』って言ってるらしいぜ。」

「‥!」


 こいつの彼女である「ちさ」は、美紀の一番の友達で、さっぱり
しているせいか、美紀以外にも男女共に友達が多く、人望もあるよ
うだ。
 それは、クラスの皆と最低限の接触しか持たない俺にでも、躊躇
なく話し掛けて来る人懐っこさを持っているからだろう。
 仲が良い美紀と、俺が付き合っているという事もあるんだろうが、
やはり生来の明るさなんだろうと思う。

 美紀も「ちさ」と同じように、多くの友達がいる。この二人が仲
良くなるのは当然の事で、性格的にかぶっている所が多いんだろう。


 違う所と言えば、きちんと自分に合う性格の人間をチョイスした
か、全く違うタイプの人間をチョイスしてしまったか、という所か
もしれない。


 何故、美紀は俺と付き合おうなどと思ったんだろう?


 「ちさ」同様、美紀も他の男に人気があるのだ。その事は知って
いる。そんな事は、付き合っているというだけで、嫌でも耳に入っ
てくるものなのだ。

 実際、俺が美紀を放っておく事が多いので、そういう奴らは、わ
ざわざ俺に見えるように美紀と喋ったり、誘ったりしている。
 それに対し、俺は何の関心も示した事がないので、彼らにとって
は張り合いの無い当て付けなのかもしれない。

 また、美紀にとっても、俺の無関心さ加減は、あまり気分の良い
ものではなかったようで、幾度か不満を言われた事がある。ただし、
いつものように、それで俺が態度を変えることは無かったが。


 それでも今まで、美紀の方から『別れたい』のような言葉を言わ
れた事はなかった。あの美紀が何も言ってこないのは、相当怒って
いるんだとは思っていたが、「ちさ」にそんな事を言ってたのか。

 なつめの事が分かるわけは無いと思うのに、あの電話だけで、俺
の家に他の人間がいる事が分かり、敏感に何かを悟ったのかもしれ
ない。
 今までの俺を見ていれば、家に誰かを上げるなんて事は、そうそ
うないと分かっているから。

 今まで続いていたのが不思議なくらいだ。そしてとうとう愛想を
つかされる時がやって来たんだろう。至極当然の事だと思う。


 確かに、そんな状態では「ちさ」の性格からして、美紀を心配し
てやっきになってそうだ。


「‥そっか‥。」


 他人事のような返答しか出来なかった。とばっちりを受けている、
永澤には悪いが、俺の言葉を聞いても、彼は気にした様子もない。


「‥そゆ事は本人同士の問題なんだって言っても、女には通じない
みたいなんだなー。」


 などと言いながら、再び大きな息を吐き、真剣な面持ちで顔を上
げた。
 彼にも、女の友情のベタベタ具合で何かあった事でもあるのだろ
うか?それとも、男同士というだけで、こういう部分は分かりあえ
るものなのか?

 そんな風にぼんやりと、永澤を観察していると、今度は大きく息
を吸い込んで、その後一気にまくし立てた。


「だからさー!!行き違いなら、連絡取って話したら?って話!俺
の話はこれだけっ!!」


 言い終わるや否や、ぱっと表情が笑顔に変わった。俺はあっけに
取られ、その顔を見つめる。


「‥こういうのメンドクセーよなあ?」


 気の抜けたようなその言葉に、なんだか実感がこもっている。虚
をつかれていた俺は、そこで吹き出してしまった。永澤も声を立て
て笑った。


「‥わかった。」

「そか、そりゃ言った甲斐あったな。」


 大仕事の後のように、永澤は伸びをした。そしてちょっと好奇心
が動いたようで、
「‥やっぱ、あの子が原因なの?」
と、聞いて来た。


「‥たぶん。」

「‥ふーん‥。」


 それ以上永澤の方が何も言わないので、俺の方がいらぬ言い訳を
する事になってしまった。


「‥彼女は‥、その、親戚みたいなもので‥。そういうんじゃ‥。」


 自分で言った言葉にはっとした。

 「親戚」?親父の方の親類なら、親父が知っているかもしれない
が、母さんの方の親類に関係するとしたら――――――?

 でも、そんな事があるだろうか。二人が離婚したのを知らないく
らいの親戚が、自分の子供を預けるものか?

 いや、なつめの母親は借金から逃れるためだったかもしれないと
すれば、逆に足が着かない方が良いは良いのかもしれない。でもそ
れなら、親父の方の遠縁だって範囲内なのかも――――――。

 思いついたものの、結局は今の状態では、推測の域を出ない所に
行き当たってしまう。また堂々巡りか。


「‥ま、親戚でも、何でもいいんじゃない?俺は別に美紀の味方で
もないしな。そーゆー関係じゃなくても、一緒にいて楽な奴ってい
るしさ。」


 思考から戻された。

 黙ってしまった俺を、永澤が気遣ったのかもしれない。そして永
澤の一言で、再度なつめへの感情について思いを巡らせてしまう。

 なつめとは、一緒にいて楽――――――というのは確かにそうな
んだが、それだけでは表現できないものがある。恋愛感情ではない、
とは思う。肉親ではないけれど、それに近い感じだろうか?

 たぶん今は――――――。


 何を言っても、思考の檻から戻って来れなくなってしまう俺に、
永澤の方から終止符を打ってくれたらしい。


「じゃ、俺そろそろ行くわ。あんまり長話しても、あの子に悪いし
な。」

「!‥あ、ああ‥。」

「また学校でな!」

「‥あ、うん。また‥。」


 そう言うと、軽く手を振りながら、背を向けた。俺は言わなくて
はならない言葉を、言ってないのに気が付いた。


「‥な、永澤‥!」


 俺の呼びかけに、永澤は顔だけこっちへ向けた。


「‥あの、サンキュー‥。‥その‥、教えてくれて‥。」


 上手く舌が回らない。こんな事を言える自分に照れてしまい、冷
や汗が出て来た。でも、俺の言葉を聞いた永澤は、顔だけでなく、
体も俺の方に向き直ると――――――、


「‥俺さぁー、立野って、もっととっつきにくいって思ってた!何
でも話してみないとダメだなー。」


――――――と、満足そうにそう言った。


 その後、俺の肩を力強く叩いて、「じゃあな!」と言い捨て、今
度こそ振り返らずに帰って行った。俺はその後姿を、しばし呆然と
見送っていた。




 ――――――とっつきにくかったのは本当だ。多分数日前なら、
確実に永澤を嫌な気分にさせて帰してしまったに違いない。




 美紀の事は、ひとまず買い物が終わってから考える事にした。連
絡を取るにしても、何と言えば良いのか、考えなければ出てこない
のだ。

 今まで、『別れる』は無かったものの、美紀と気まずくなった事
は何度もある。その度に美紀が折れて来た。俺はそれが当たり前だ
と思っていた。

 でも今は――――――。




 自分が確実に変化しつつあるのを感じながら、俺をそうさせた張
本人に連絡を入れる事にした。

 別れてから15分位だろうか?
 1人にさせてしまった事が気に掛かって、久しぶりに追加された
携帯の番号を急いで発信する。足は既にデパートを目指していた。


 コールが1回、2回、3回‥、「やっぱり電波の届きが悪いのか
‥?」、などと考えていると、4回目のコールで出てくれた。


『‥は、はい。もしもし‥。』


 電話から聞こえる声は、直に聞くのとは多少違いがあるものの、
確かになつめの声だ。心なしかおぼつかない口調ではあるが。


「もしもし‥俺。‥今どこにいる?」

『‥あの‥、えと‥、2階です‥。』

「じゃ、すぐ上がってくから待ってて。」


 そう言って、携帯を切ると、エスカレーターで2階へ上がった。
すると、なつめも小走りにこっちへやって来た。


「‥よかった。電話‥、知らない人だったらどうしようかと思っち
ゃった。」

「‥って、俺しか知らないだろ?」

「‥そうですけど、『俺』としか言わなかったから‥。」


 なつめが心細かったのが何となく分かった。

 こんな知らない土地で、知り合いは俺1人。その俺もまだよく知
らない人間で――――――。


 確かに俺は、なつめに保護欲を掻き立てられるらしい。永澤が言
っていた「いい雰囲気」は、やっぱり肉親よりの感情が、醸すもの
なのかもしれない。

 それは本人達にしか分からないのかもしれないから、美紀への説
明にはならなさそうな気がする。こんな説明に悩む日が来るとは思
わなかった。


 その後、しばらくはまたブラブラと、なつめの見たいものにあわ
せてデパートの中を歩き回った。

 その間になつめも、気に入った服を売るの店を見付けたらしい。
そろそろ時間的に厳しくなる頃になったので、そういった店に行き、
ざっと一通りのものを買い込む。

 思った通り、服など複数買うのを遠慮したので、そのへんは構わ
ず選ばせて買った。あと、気になっていた下着の類も、なつめの方
からだと言い出しそうも無いので、観念して俺から行かせた。

 付いては行かなかったので、また遠慮が出たら困ると思ったが、
これに関しては、なつめの方も切実だったんだろう。ちゃんと買っ
て来たようで、店を出て来きた時、買い込んだそれらが入った袋は、
結構大きいものだった。

 そんな感じで、2人の手荷物はあっという間に増えた。


 自宅から出てから、既に5時間強が経過している。そろそろ夕食
の事も考えた方が良いだろう。


「‥なつめ、腹が減って来ないか?自宅に戻ってからじゃ遅くなる
から、食事を済ませて行かないか?」

「え?あ、はい。」

「何が食べたい?俺は何でも良いから。」

 そう言うと、なつめはちょっと考えたが、おずおずと聞き返した。


「‥本当に、どこでも良いですか?」


 その言葉にちょっと驚いて、財布に余裕があるのを確認する事に
した。

 そう言えば、なつめがうちに来てから、ちゃんとした食事を振る
舞っていなかった。今日くらいはちょっと奮発して、食べたい物を
ご馳走してやりたい。

 2人での食事で、そこまでかかる事は無いと思うけれど、すごく
高級なと所じゃなければ、大丈夫なくらいは残っている。


「うん。いいよ。」


 俺がそう答えると、なつめは意外な事を言った。


「‥えと、ファミレスで食べたいです。」


 その答えを聞いて、俺は拍子抜けしてしまった。いや、聞き間違
えかと思った。


「え?ファミレス?」

「‥えっと、はい。あの、ダメですか?」

「‥ダメじゃないけど、本当にファミレスなんかで良いの?もっと、
美味い店とかあると思うんだけど‥。」

「‥」


 俺の言葉でなつめが黙ってしまった。行きたいと言うならそれで
全然構わないか。なつめの好きにさせると言ったんだし。


「‥わかった。じゃ、いくつか店があるから、その中からなつめが
行きたいファミレスを選んでそこに行こう。」

「‥!はい!」


 実を言うと、俺はファミレスを利用した事があまり無い。何度か
美紀と一緒に入った事がある程度で、普段はファーストフードの店
の方を利用しているからだ。

 選んだファミレスに入店してみると、土曜日というせいか、いさ
さか夕食時刻からは外れているものの、店内は結構込み合っている。
 幸い、少々待った程度で席につく事が出来た。

 店員に案内されながら、周りを観察する。
 店内は俺達と同じ年齢層のカップルやグループがほとんどだった。
着席してすぐに、メニューを持った店員が水を運んで来たので、な
つめの方にメニューを差し出すのを目で追ってみた。

 すると、携帯を初めて触らせた時のように、何やら緊張している。
でも、明らかに喜んでいるのも分かる。なつめはすぐに顔に出てし
まうようだ。

 メニューをめくっては目を輝かせている。まるで子供だ。いや、
まだ14だし、つい2年前までは小学生、つまりは正真正銘の子供
だったんだよな。


 俺の視線に気が付いたらしい。なつめがこちらを見て、顔を赤く
しながら、抗議の表情を浮かべた。

 俺はまた顔が緩んでいたんだろうか?でも、なつめとのこんなや
り取りも、すっかり慣れて来てしまっている。


「‥どう?うまそうなのはあった?」

「‥ま、まだちょっと‥、よく見てみないとわかんないです‥っ!」


 恥ずかしかったのか、なつめにしては、語気が荒い。からかって
いる訳じゃないのにな。


「いいよ、ゆっくり選べば。‥でも、ファミレス、好きなのか?」

「‥えっ?えっと‥、‥。」


 そう言うと、なつめが口ごもった。さっきのあの態度といい、1
番に行きたい所に言った事からして、好きなんだとばかり思ったん
だが、そうじゃないんだろうか?


「‥いや、俺あんまり入った事無いんで、店って言われて、ファミ
レスが出てこないからさ。」

「‥え?そうなんですか?こんなに何軒もあるのに?」

「自慢じゃないけど、数回しか利用した事無いよ。だから、ちょっ
とシステムが分からない。」


 俺が正直な所を言うと、その言葉を聞いたなつめの表情が和らい
だ。そしてたどたどしく話し出した。


「あの‥、家からそんなに近いわけじゃないんだけど、あるにはあ
るんですよ、‥ファミレス。でも‥、」

「‥うん。」

「‥あ、あたし‥、入った事‥無くって‥。」


 こんな時、自分の表情の乏しさを有り難く思う。

 俺はなつめに同情したりはしたくない。そんな事は、自分に置き
換えれば、すごく恥ずかしい事だから。


 携帯も、ファミレスも、仲の良い友達になればなるほど言えない
だろう。そんなのは本当の友達ではないという人間もいるかもしれ
ない。
 けど、誰だって、みんなと同じ位置にいるように見られたい。

 恥ずかしいという気持ちが悪いなんて、訳知り顔で言える奴は、
既にその時期を脱しているからだ。

 無責任な叱咤なんて何の役にも立たない。俺達が必要としている
のは、その時どうあるかだ。

 その後の事なんて、俺達にどうして想像すれば良いというんだろ
う。


 俺には話せる。そうなつめが思ってくれれば良い。


「‥じゃ、2人とも良く分からないんだ。ヤバイな。俺、外で食う
って、ほとんど無いから、普通の店でもヤバイ。」

「‥あたしも‥。」


 なつめが俺の言葉を受けて答える。もう口ごもる事は無い。

 俺達は、全く違う環境で育って、性格にしても似ているとは思わ
ない。


 ――――――でも、永澤が言ったように、楽な関係になれれば良
い。




 なつめに無理矢理デザートまで頼ませて、かなりゆっくりと食事
をし、全てを平らげて外に出ると、外気はすっかりと冷え込んでい
た。


「‥食い過ぎた‥。」

「‥あたしも‥。」


 顔を見合わせて笑った。2人の口から白い息が漏れる。でも、不
思議と寒くない。なつめの頬も上気している。

 俺はもう一息吐き出して、勢いを付けた。


「‥じゃ、帰るか。」

「‥はい。」


 両手の荷物の重みに加え、満腹で緩慢になってしまった体で家路
を急ぐ。2人の吐き出す息が、俺達の後ろへ流れ、白く跡を繋いで
行く。
 家に帰ってからも、いくつかの問題は残っているのだが、それは
一時置いておく事にした。

 ともかく今はゆっくりと、2人で家に向かう道を歩き続けたかっ
た――――――。


(つづく)